【コルトレーン超入門12】ピアニスト、マッコイ・タイナーについて

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コルトレーン黄金のカルテットの一員、ピアニストのマッコイ・タイナーについて語った動画をアップしています。

コメント

御駄賃取郎さんからのコメント。

私が、反復の魅力・高揚感?を実感した(させられた?)のは、マッコイだった。それまで(今でも?)「モード・ジャズの多くは、坊主の読経だ」 と感じてきた。その高揚感?こそ長尺演奏をめざした「モード」の魅力なんだろうなあ?と思っている。しかし、やはりあくまでも「歌心を持った人」とそうでもない人(表現したいことが)の差は感じとれる。それはコンサートで、より明確に感じた。テーマが演じられた瞬間にこそ沸き起こる「大拍手」に強くそれを感じた。

モードスタイルの魅力は聞き手側に新しい魅力を感じさせたが、(没頭して長尺を聞き終えてこその感動体験)
はたしかに大きな感動があると思う。しかしこれは意味は少し違えどもクラシック音楽がたどってきた道にも感じることだった。音楽家には都合のいい表現だが、受けて側の好みは分かれるところだ。

コルトレーンの「ライブ・インジャパン」をやっと抵抗なく楽しめる?ようになったのは60歳を超えた頃、入院中の病院のトイレでやっと薬の力で、長い便秘から開放された瞬間]であった。「苦あれば楽あり」とはこういうことか?と自分もやっとコルトレーンにちかづけたのか?と大きな勘違いもした瞬間だった。^^; まさに(クッソー!!)であった。。m(_ _)m

私のモード・ジャズの愛聴盤は今でもマッコイの「アトランティス」(ライブ盤)と「エコーズ・オブ・フレンド」(ピアノ・ソロ)だ。そしてもちろんトレーンの「インプレッションズ」もマスターに同じく大好きだ。

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私もコルトレーンのアトランティック・レーベルから出ている初演の《マイ・フェイヴァリット・シングズ》のマッコイのピアノを聴いて反復の魅力(心地よさ?)に目覚めました。

あのピアノはいいですよね。
いつまでも聴き続けていたいと思わせる反復による催眠効果のようなものがあります。

それは、高校生の頃に好きでよく聴いていたジ・アート・オブ・ノイズの《モーメンツ・イン・ラヴ》で耐性ができていたからかもしれません。

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モード演奏って、その多くが枠組みがシンプルで自由度が増したぶん、演奏者のセンスが露骨に出てしまう怖さってありますよね。
それこそつまらない演奏は「坊主の読経」に聞こえてしまいかねない。

絵でいえば、塗り絵と真っ白な画用紙の違い?

塗り絵には枠線があります。
その枠線の中を色で埋めていけば、多少塗り方が下手だったり雑だったりしても、枠線の輪郭のおかげで、それほどヘンテコリンには見えないで済みます。
この枠線が、いわゆるコード進行という強固な枠組み、塗り絵でいうと枠線で、リズムセクション(特にベース)がしっかりしていれば、和声の流れが曲の輪郭を聴き手に提示してくれているので、「とりあえず曲が流れている」という進行感が感じられます。
たとえ、その上に乗っかるアドリブのフレーズがイマヒトツだったとしても。

ところが、モードの場合、塗り絵でいうところの枠線がほとんど取り払われた状態なので、塗るのが下手な人が白地のキャンパスに絵を描くようなものなので、その技量というかセンスの悪さが如実に現れてしまう。

だから、センスの良い旋律を作り出すことが苦手な人は、メロディラインよりもインパクトで誤魔化そうとする方向に走るのかもしれません。フラジオとかフリークトーンとか、あるいは執拗に同じパターンを繰り返すとか、で。
そして、インパクトのある咆哮や、反復フレーズが似合ってしまう構造だったりもするんですよね、モードって。

そのあたりが、御駄賃取郎さんがモードを嫌う理由の一つなんじゃないかと勝手に思ってますw

私は演奏者一人ひとりには向き不向きと、似合うスタイル、似合わないスタイルってあるんじゃないかと思っていまして、あと、器用か不器用かという資質もありまして、如才なくバップからモードまで如才なく器用に横断できる人もいますが、少なくともソニー・クラークやエロール・ガーナーのモード演奏は想像できないです😆

個人的にはアート・ペッパーは、「進行感」が感じられるコードの流れの中で、スマートで節々にキュンと胸を締め付けるようなフレーズを吹く方が、本来の資質に「合ってるよね」と思っています。
復帰後のエキサイティングなプレイは、モードジャズの「エキサイティングに吹いても似合ってしまう」フォーマット上でブリブリ吹きまくっていた同業者たちからの影響が大きいのでしょうね。
もちろん、それにトライしてみようという意気込みは素晴らしいと思いますし、それなりの成果は出しているとは思います。そして、後期ペッパーを推す人は、そのような「姿勢」も評価する理由の大きなパーセンテージを占めているのではないかと思います。もちろん、音楽の評価や感動の理由はそのような熱気とか意気込みとか譜面には出来ない要素も含めてのことなので、後期ペッパーが好きな人の気持ちもわかります。岩浪洋三さんのような「後期ペッパー派」は、「晩年のペッパーを批判することは、ペッパーの人生そのものを否定することだ」とまで仰ってますし、その気持ちはわからないでもありません。評価の対象を「人生、生き様」にするのか、「個々の演奏、各論」にするのかによっても随分と違ってくると思います。

ただ、評価の対象を「音楽、演奏そのもの」に絞ると、やはりモードスタイルを前に悪戦苦闘しているかのようなペッパーの一部の演奏を聴くと、肩の力が抜けたセンスをサラリと発揮しているペッパーの方が「らしい」よなぁと感じてしまうのであります。
とはいえ、『ザ・トリップ』は好きですけどw(ドラムがエルヴィンだから?)

なんだか話がペッパーの方に移ってしまいましたね(汗)。

マッコイの『エコーズ・オブ・ア・フレンド』、私も好きです。
《ネイマ》を聴いて一発で虜になってしまいました。最後の曲はちょっと長いけど…(苦笑)。

坪内満さんからのコメント。

雲様、温故知新❢ ありがとうございました。アナリティクス〜コルトレーン! やっぱり、さすが恐るべしコルトレーンですね。大昔、コルトレーンを特集や表紙にもってくると、部数かのびたものでした。            温故知新、そういえば、ゲイブルスかフランク・モーガンと演っていたインプレッションズ、マッコイぼかったな〜温故知新、それではゆっくりコルトレーンユニットを愉しませていただきます❢ありがとうございます。

ありがとうございます。
個人的にはマイルスの方が活動歴も長いし、さまざまなスタイルの名盤を残しているので、マイルスの方が人気は上だと思っていたのですが、予想以上に「コルトレーン」好きが多いことに驚いています

坪内満さんからの返信。

雲様、お忙しい中、返信いただき、ありがとうございます。
 当時、マイルスは「アガルタ」❢ クロスオーバー(フュージョン)、ハードバップリバイバル、カンパニー等のヨーロッパフリー〜 そういえばNYラテンのファニア・オールスターズもありました❢ そのような状況のなかで、コルトレーンは「Jazz(業界)」における、黄門さまの御印籠だったのではないかと思います。 
 あれから幾星霜〜 この頃、コルトレーンは肩を凝らします! もっぱらロリンズに揉んでいただいております❢ また、寺島さん曰く「暗い時代の暗いジャズ喫茶〜」(辛口ジャズ名盤1001)でのドルフィーたちは、いま、日なたに放たれ、嬉しいかぎりであります❢
          雲様のご健勝を❢

ありがとうございます♪

unmagonさんからのコメント。

マッコイはその後長寿を保ったが、後進の育成はあまりせずに孤高の存在に終始してしまったのは残念でした。