日本で人気のコルトレーン『バラード』について

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日本で人気のジョン・コルトレーンの人気アルバム
⇒『バラード』

これについて語った動画をアップしています。

コメント

イヤダローさんからのコメント。

もう、コルトレーンで一番好きなアルバムです。say it のイントロが流れてくるだけで、”あぁ、ジャズっていいなぁ”と思わされます。来客の際、流すと無難なアルバムかと思っているのですが、一度、”来客の際、流すといい雰囲気になるアルバム特集”を企画していただきたいものです。

>”来客の際、流すといい雰囲気になるアルバム特集”
いいですね〜、検討します!

大 深堀さんからのコメント。

J・コルトレーンのバラードを聞いていると,激しいブロウする,J・コルトレーンが恋しくなるのは,僕だけかな?大深堀でした🎉🎉🎉😂😂😂❤️❤️❤️

ワシもじゃ🎉🎉🎉😂😂😂❤️❤️❤️

白根タツヤさんからのコメント。

全くの同感です。
コルトレーンファンには低評価だと思います。
あくまでも個人的な見解です💦

ありがとうございます😂

永井勉さんからのコメント。

ですよね・・・WWW
私もコルトレーンのバラードは苦手なんです・・・
ぶっちゃけ、バラード系だったらロリンズとかスタンゲッツの
方が各上な気がします・・・
バラード系に対して気持ちがいってない・・・
感じがします・・・個人的には冷たいバラードみたいな・・・
何か来ない感じがするんです・・・

Kawai Andyさんからのコメント。

NHK FMをラジカセでエアチェックしてよく聴きました。当時は地方都市の高校生だった私がジャズに触れるには乏しい小遣いでたまに行けるジャズ喫茶とFM放送ぐらいでした。ですからコルトレーン初心者として聴いて、充分に魅力的に感じましたが、今となっては物足りなさを感じるのは、収録時間がどの曲も短くバラード曲ばかりで起伏に乏しく、平板に聴こえてしまいます。しかし却ってそれが聴きやすさにも繋がり幅広い人々に支持されているんじゃないかと思います。バラード系と言えば、歌モノですが「John Coltrane & Johnny Hartman」もよく聴きます。がどちらも聴きやすく虚飾のない「詫び」た感性が好きですね。

しかし一方、ヘビーリスナーが「Say It」にあざとさを感じることもなんとなく解るような気がします。「如何にもジャズ」っていう感じなんでしょうか?似たような感じで、ブレイキーの「Moanin」やデスモンドの「Take Five」ヘレンメリル「You’d Be So Nice To Come Home To」マクリーンの「Left Alone」などもそんな感じがします。ジャズとお酒、大人のなどの紋切型の言葉(イメージ)が浮かびます。これらの演奏自体は強い印象を備えているのでメディアが押した烙印のように感じることは仕方ないのでしょうね。

こんなのはトレーンじゃないとは思いません、これもトレーンなんだと思います。

おっしゃってることは、いちいちご尤もだと思います。
そうなんです、初心忘れたジャズ中毒者なんですぅ😂
補助車無しの自転車に乗れるようになった途端、補助車付きにしか乗れなかった気持ちを忘れてしまった子どもというか。もう戻れない、というか。

確かに聴きやすいですけど、良い作品なんですけど、聴く順番間違えたかなぁ。

多分、入門直後に聴くと印象が変わっていたんでしょうね。
割と、最初の頃に聴いたエヴァンスの『ポートレイト・イン・ジャズ』とか、マイルスの『カインド・オブ・ブルー』の印象って、今でも変わらずに保たれているような気がするので。

しかし『バラード』の場合は、随分コルトレーンを「知っちゃった」後に聴いたということもあり…。
やっぱり、『ヴィレッジ・ヴァンガード』や『セルフレスネス』、『ブルートレイン』や『インターステラースペース』にのめり込んだ後に聴いたことが、このアルバムに抱くイメージを決定づけてしまったのかもしれないと思っています。

なかなか、客観的になれないんですよね、難しい。

>これもトレーンなんだと思います。
そうなんです、その通りなんです、まさしく。

…と、ここまで書きながら、「なぜ、補助車付きの頃の感覚や記憶が無くなるのだろう?」と改めて疑問が湧いてきたので、ジェミニ君(AI)に質問してみました。

すると、このような答えが(笑)。

補助輪なしの自転車に乗れるようになる過程で、私たちの体は驚くべき適応を見せます。その変化が、なぜ補助輪付きの感覚を忘れ、転ばなくなるのか、その理由を詳しく見ていきましょう。

なぜ補助輪付きの感覚を忘れがちになるのか?

神経系の変化:

新しい神経回路の形成: 補助輪なしでバランスを保つためには、新たな神経回路が形成されます。この新しい回路が、より効率的にバランスを保つための情報を処理し、補助輪付きの頃の感覚よりも安定した走行を可能にします。

古い回路の抑制: 補助輪付きの頃の感覚は、新しい回路が形成されるにつれて徐々に抑制されていきます。これは、脳がより効率的な方法を優先するためです。

筋肉の強化:

バランス筋の強化: 補助輪なしで走行するためには、体幹や脚のバランス筋が強化されます。この強化された筋肉が、より安定した姿勢を保つことを可能にします。

ペダリング筋の強化: ペダルをこぐ力が強くなることで、よりスムーズな加速や減速ができるようになり、補助輪付きの頃の感覚とは異なる、よりダイナミックな走行が可能になります。
心理的な変化:

自信の獲得: 補助輪なしで乗れるようになることは、大きな達成感と自信につながります。この自信が、自転車に乗ることへの不安を軽減し、補助輪付きの頃の感覚を忘れさせる一因となります。

新しい感覚への慣れ: 新しい走行感覚に慣れていくにつれて、補助輪付きの頃の感覚は、過去の経験として記憶の中に埋もれていきます。
なぜ自転車に乗れるようになると転ばなくなるのか?

バランス感覚の向上: 上記のように、バランス筋が強化され、神経回路が最適化されることで、バランス感覚が飛躍的に向上します。これにより、ちょっとした傾きや障害物にも対応できるようになり、転倒のリスクが減少します。

予測能力の向上: 経験を重ねることで、路面の状況や障害物、風など、様々な状況を予測できるようになります。この予測能力により、事前に姿勢を調整したり、速度を調節したりすることが可能になり、転倒を防ぐことができます。

反射神経の向上: 不安定な状況に遭遇した際に、素早く反応できるよう、反射神経が鍛えられます。この反射神経が、転倒の瞬間を回避するのに役立ちます。
まとめ

自転車に乗れるようになることは、単に移動手段を一つ増やすだけでなく、私たちの身体能力や心理面に大きな変化をもたらします。これらの変化が、補助輪付きの頃の感覚を忘れ、転ばなくなる理由なのです。

※補足
個人差: 上記は一般的な傾向であり、個人差はあります。
再学習: 長い間自転車に乗っていなかった場合、再び乗る際に少し時間がかかることがあります。これは、一度形成された神経回路が、ある程度は衰えてしまうためです。
自転車に乗れるようになることは、子供にとって大きな成長の証です。この経験を通じて得られるものは、単に自転車に乗る技術だけではありません。ぜひ、お子様の成長を温かく見守ってあげてください。

だそうです(笑)。
すごい、さすが、一瞬でこれだけの回答を!

とにかく色々な要因があるということだけはわかりました(笑)。

激しいコルトレーンばかり聴いていると、激しい演奏に順応する神経回路が強化されちゃうんでしょうかね?(人はそれを「麻痺」という、のかも?😂)

Kawai Andyさんからの返信。

なんだか、激辛カレーにハマる感じですね。わかります!(笑)
活躍期間10余年で多くの名盤を残せたのは演奏に対する尋常ではない集中力と没入感でしょうか、特に「至上の愛」以降フリーの影響を受けて更に激烈なサウンドを求めたのは色々なものが影響しているんでしょうが、やはりドルフィーの存在が大きかったような気がします、そう思うのは暑すぎて最近よくドルフィーをよく聴いているせいでしょうか?(苦笑〜)

そうそう、まさに激辛カレーにハマる感じですね。
私自身、激辛カレー好きで、普通のカレーライスは「なんだ、これって茶色いシチューがご飯にかかってるだけじゃん」なんて言ってほとんど食べなくなっちゃっていますから、その感覚よく分かります。

Kawai Andyさんからの返信。

あはは、やはり!😆