先日アップした動画「マイルス・イン・トーキョーのサム・リヴァースとトニー・ウィリアムス」(こちら)に視聴者さまよりいただいたコメントを紹介した動画をアップしています。
コメント
高松貞治さんからのコメント。
ウェイン・ショーター最近聞いてないなぁ。もともと、ウェイン・ショーターのような難解な、テナー・サックスが好きではない(コルトレーンは別)やっぱり背後に日蓮聖人がいるからか(笑)最近、池田大作も死んだし、何かのたたりか?家の近くに日蓮宗の寺があるんですが、あまり日蓮聖人の悪口は言わないほうがいいですよね。
Stone Bouncingさんからのコメント。
ショーター、「スピークノーイービル」がジャズのレコードのなかでも特に好きです。ハービーのピアノ、エルビンのドラム、フレディのトランペット。とれも奇跡的に名演だと思います。この世界を作り出したショーター、やっぱりすごい。
いいですねぇ。
パーソネルにしろ、彼らのプレイももちろんのこと、それに加えて、一度観たら二度と忘れない、あのジャケットも印象深いものがあります。
音楽もジャケットも醸し出す雰囲気が独特です。
永井勉さんからのコメント。
私は何よりショーターの1964 – Jujuの 01. Juju が大好きなんです!!!
マイルスのショーター4部作もそうなんですけど、フリージャズ風に聴こえて、
実はショーターの音は緻密に計算されているサウンドだとかんじています・・・
特に01. Jujuで聴けるメインテーマは、ホールトーンスケールを使った音楽で
は、他に類をみない叙情的なフレーズになっていると思います!!!
おっしゃる通りだと思います。
さすが永井さん。
ミュージシャン目線。
ショーターの作る曲って、ショーター的に「強調したいポイント」がどこか1つは必ずあるように思います。
それは、ちょっとしたメロディの一部だったり、ハーモニーだったり、スケールだったり、妙な繰り返しだったりと、ポイントは曲によって違いますが、ボンヤリしているようで、実は結構したたかな「一点強調ポイント」があるのではないか?
そういう目線で聴くと、一聴分かりにくいショーターの世界もグッとこちらに近づいてくるのではないかと思います。
Kawai Andyさんからのコメント。
ウエインと云う人は難易度の高い作曲や常套句へ陥らない演奏に常に挑戦していると思います。そういう意味ではビ・バップ以降のジャズの正統な継承者の一人だと言えますし、私は良く解らないというのが分からないのです。
また彼の音楽のモチーフに感じる様々な「大自然の神秘的なイメージ」にも感動します。そういう意味でWR時代では二人の共通した興味であるSF的なイメージも初期にはありましたが、次第にザヴィヌルが具体的で牧歌的な「人間」を、ウエインが抽象的で神秘的な「大自然」を分担して行ったんじゃないかと妄想しています。時々作品で聴かれるSEに花火や列車の音、ジャケットのアートワークに火山や彗星などの演出がそう思わせます。
それはソロになっても変わらないものを感じます。大自然や生命に備わる瑞々しい美しさや、時に人間に襲いかかる猛威の力など、それらを音で描き出している様に感じますが、類型化された都市生活者の音楽としてのジャズの語法でありながらも類型化を脱したジャズの可能性をいつも追い求めていたんじゃないでしょうか?
おぉ、新視点!
>ザヴィヌルが具体的で牧歌的な「人間」を、ウエインが抽象的で神秘的な「大自然」を分担して行ったんじゃないか
言われてみれば、そのような感じがしてきました😀
龍 大阪さんからのコメント。
ショーターに関しては、私も、よくわからない時期がありました(笑)。しかし、1988年ぐらいかな? 読売ランド内にある「オープンシアターEAST」というところで、ライブアンダーザスカイがありまして、そこにショーターバンドが出演しました。コルトレーンのトリビュート企画として、デイブリーブマンとショーターが、ミスターPCとかやってたと思います。
コルトレーン企画での、ショーターは、そんなに凄いと思わなかったのですが、自身のバンドでのショーターの音! 「ショーターの音って、こんなんだったんだ」と衝撃を受けました。ライブとはいえ、広い野外会場ですので、RAMSAだったけな?パナソニック系のPA用スピーカー群が積まれていて、正確には、生音ではないのですが、それでも、ショーターの、特に、ソプラノサックスの音のキラメキ、迫力に、かつて感じたことのない衝撃を受けました。
もう、お亡くなりになりましたので、ショーターのライブ演奏を聴くことは永遠にできなくなりましたが、私はそれを体験できて、誠に幸せでございます。
その時体験した音に近いのは、ハンコックとのデュエットの「ワン・プラス・ワン」というアルバム。ミシェル・ペトルチアーニらが参加している、「マンハッタンプロジェクト」。古いアルバムだと、ブルーノートの「スピーク・ノー・イービル」あたりではないかと。「マンハッタンプロジェクト」はyoutubeで検索すると見れると思います。
マイスルとやってる60年代のコロンピアの録音は、ショーターの良さが録りきれてないと感じます。なんか、モコモコした音で、ひとつには、ショーターは、タンギングが、あまり、上手でなかったんではないか? 特にテナーサックスでは、舌が短いのか、音の歯切れが悪く感じる。彼の口に合うのは、ソプラノサックスだと感じてます。
あのライヴ、直にご覧になられたんですか?!
それは羨ましいです!
私はこの映像、何度も観ました。
そして、この映像が「今までよくわからなかったショーターって実は凄いかも?」と思わせてくれるキッカケとなりました。
《Mr.PC》は、リーヴマンのソプラノも凄まじいんですが、そのあと、膨らみのある神秘的で(?)豊潤な音色の虜になり、それがショーターというサックス奏者に注意が向くようになりました。
その後、『ネイティヴ・ダンサー』のソプラノサックスに魅了されたり、マイルスの『ビッチェズ・ブリュー』を改めて聴いてみると、ショーターのソプラノが宇宙な感じ(?)がしたりと、もっぱらソプラノの魅力からショーターの世界に目覚めていった記憶があります。
龍 大阪がおっしゃる通り、ソプラノ向きの体格(口腔質?)なのかもしれませんね。
もちろん、その後、少しずつモフモフしたテナーの魅力にも(主にヘンな旋律から)目覚めていきましたが、いまだに私の中ではショーターは「ソプラノが美しい人」というイメージなんですよね。
いやぁ、それにしても、ライヴ・アンダーのショーターを体験されているとは、羨ましい。
ちなみに『マンハッタン・プロジェクト』もLD持ってまして、飽きるほど観てます。
ゲストのラッシェル・フェレルが凄まじい(爆笑)。
あと、ショーターが放つソプラノの鋭く短い音の存在感も素晴らしいです。
龍 大阪さんからの返信。
もうひとつ、ぶっこんでおきます。
Wayne Shorter & Herbie Hancock [HD] – Full Concert | Live at North Sea Jazz Festival 2002
おそらく、ワン・プラス・ワンの延長の演奏でしょう。
これ、直に聞いた人は、たぶんショーターが忘れなくなるでしょうね(笑)
ショーターの音に対する鋭敏さというか、マイクに対する立ち位置とか変えることで、生音とPAから聞こえる音の混じり具合とか計算して演奏してる。クラッシック奏者で、そういうこと考えてる人は、いるみたいだけど、ジャズやポップスで、ここまで計算してる人は、あんま見たことない。昔のウェザーリポート時代の映像をyoutubeで見ても、マイクの位置とか微調整してるんだよね。だから、もう、曲が難解とか、どうでもよくて、そこで体験した人は、これまでの音楽体験とは別のなにかを知ってしまうというか。晩年のショーターは、そこを追求してたように思います。それは、コルトレーンが追求して、成しえなかったものでもあるのかもしれません。
そして、残念ながら、録音機器を通すと、その素晴らしさが何割が削がれてしまうのです。
ライブでショーター体験を知った者がウェイン・ショーターのすばらしさを伝道していきたくなります。
ぶっ込まれますた(笑)。
映像でみるとショーターの立ち位置、音の響かせ具合をコントロールして吹いているのがよくわかりますね。
たしかにこれは切り口とかフレーズとかではなく純粋に音の体験、音の体感の世界で、生でリアルタイムに接しないと伝わらないであろう情報過多な世界かも。
ハンコックのピアノも鋭どカッコ良きですね。
尖った幽玄の美。
トイペット愛玩具さんからのコメント。
自分にとってのウェイン・ショーターはウェザーリポートのメンバーとしてを初めて知った後に、そこからマイルス・グループ、ジャズ・メッセンジャーズと時代を下ったり、彼がこの世を去るまでのリアルタイムの時代を追った感じですね。
ウェインの音楽性がハード・バップと一線を画していたのは、典型的な黒人文化以外の幼少期から愛好していたSFやコミックの今で言うサブカルチャーからの影響を受けていたというのも大きいんじゃないですかね。
>今で言うサブカルチャーからの影響
それは大いにあり得ると思っています。
SF作品が描く宇宙空間、異星人、未来社会などの独特の世界観、時間旅行や異次元空間など、通常の時間の概念を超えた世界観など、このような時間と空間の概念は、意識的にも無意識的にしろ、音楽のテンポ、リズム、楽曲構造に影響を与える可能性があるように思います。
また、ショーターが具体的にどのようなSF作品を愛読していたのは分かりませんが、私の拙いSF読書と映画鑑賞体験からですと、カート・ヴォネガット・ジュニアの『タイタンの幼女』、アンドレイ・タルコフスキー監督の『惑星ソラリス』などが思い浮かび、これらの優れたSF作品は、単に進化したテクノロジーや未来社会が描かれるだけではなく、人間が抱く孤独感、希望、絶望といった様々な感情を、SFという俎上で描き出しているように感じます。さらに、これらの作品のみならずSFには複雑なストーリーや設定のものが多く、理解するのに時間がかかる(涙)。こういう回りくどさ(?)みたいな表現様式も影響を与えている、かも(?)と思ったりもするんですよね。
SF作品で培った世界観、ストーリーテリングなんかも、もしかしたら影響を受けているのかもしれませんね。