動画「若かりし日のウィントン・マルサリスの発言」(こちら)と、「このジャズマンが好きな人はこんな人だ/マイルス好き、コルトレーン好き、ロリンズ好き、モブレー好きはどんな人?」(こちら)に視聴者さまよりいただいたコメントを紹介した動画をアップしました。
コメント
Jさんからのコメント。
モンキアンですか
モンカ─ どうですか😅前回ので‥ 確かにメロディーの重さより 最近軽めのリフのジャブが 私めにもよか〜
J
モンカーだと、なんだかグレイシャン・モンカー3世みたいですね。
そういえば、リー・モーガンも参加している『エヴォリューション』というアルバムに《不思議の国のモンク》という不思議な(?)曲がありました。
Jさんからのコメント再び。
よくチャリで 通る途中 very という理髪屋があり
いつも???
きっと 出来上がりを自分で 大変よくなった とか 大変ダ〜 とかとか😂 かな〜!?J
御駄賃取郎さんからのコメント。
「おむすび太郎」こと?御駄賃取郎です。爆・・・これおもしろいなあ!で、うまそなおむすびだよなあ?!爆爆\(^o^)/
オカハセ・チャンネルさんがおっしゃるところの「田舎モンの頑固ジジイ」そのものの、わしですだ。^^
そして、私の田舎なら「モンク好き」な人のことは「つまりモンペ!だべ?」と呼ばれることは必至かと・・・。(^^ゞそういえば、上京したばかりの頃の同級会である女性が「・・東京になじめない・・。だってみんな女性がキレイなんだもん・・!」と半泣き顔で語った。すると別な女性からすかさず「大丈夫!私もそうだったけど、銭湯の湯船にゆっくり浸かって周りをじっくり見渡してごらんよ。安心すっから!」と助け船を出し、大爆笑があがった。
・・今ではこんな話など「一体どこの田舎の生まれだ?」と思われそうだが、あの頃(50年以上も昔)の地方から上京した学生には、極めて当たり前の環境だったように思う。
「風呂なし・トイレは共同」というのが普通の一人暮らし学生の環境だった。だからこそ、村上春樹のような「夢物語妄想」?なんぞ「クソくらえ!」と反発し、同世代故に許せなかったものだ。
それにくらべたら。左巻き思想?の学生運動のほうに、自分とは思想は違えども大いなる共感をもったものだ。そしてまた、私より世代がうえのジャズファンのほとんどが若い頃にはこんな環境であったように思う。だからこそその「ジャズへの渇望感?」には説得力を、自分は感じている。
・・・こんな環境から生まれたジャズファンにとって、すがれる唯一の趣味は読書とジャズだった・・・なんてこのサイトだから書かせてもらうが、他のサイトでは「ウザイじじいだな!」で終わることであろうなあ・・・。_(._.)_
いや〜、今回もおむすびのように中身がぎっしり。お駄賃節炸裂!
いいですねぇ。
しかも「おむすび太郎」って(笑)。
サムネのおにぎりガールも、たぶん米をふき出してます。
それにしても、今回の「田舎モンの頑固ジジイ」宣言からはじまり、湯船での「大丈夫確認」エピソード。
これはもう、完全に昭和の人情喜劇・短編が一本撮れそうですね。
でも、そうなんですよね。
50年以上前に地方から上京した学生たちの「最初の東京」って、今の若者が想像するものとは、まるで違う。
風呂なし、共同トイレ、狭い六畳一間。
そういう暮らしの中で、唯一の贅沢が「読書とジャズ」──御駄賃さんの「すがれる唯一の趣味だった」という言葉にはリアリティを感じます。
と同時に、そういう現実の中で生きていた方々が、村上春樹の描く「夢物語」に対して引いてしまうのも、いや、反発を覚えて「てやんでぇ!」となるのも、これまたよく分かる話です。
ジャズ聴いて、静かに本読んで、たまに「やれやれ」と呟いているだけなのに、やたら複数の女性からモテて⇒槍珍無双!
そんな男、1970年代のリアル東京にどこにいたんだよ!?って(笑)。
いやいや、昭和40年代のリアルな一人暮らし学生は、そんな甘いもんじゃなかったでしょって。
でもここ、私なりに折り合いのつけ方がありまして──
村上春樹の小説って、現実を描いてるように見えて、じつは仮想空間の仮装劇場なんですよね。
ディズニーランドの中で、動物が人間の言葉を話すみたいな世界観。
いわばディズニーランドの中で、言葉を話すネズミが手を振ってる世界。
それに「ネズミが喋るわけねぇだろ!」って突っ込んでも仕方ない。
だから、「モテモテやれやれ男子」も、いわば「人間語を話すネズミ」みたいな存在なんですよ(そういえば、初期の作品にはネズミが登場していましたね)。
村上ワールドの「やれやれモテ男」は、しゃべるアヒルや、22世紀から来た猫型ロボットと同じレベルの存在。「夢物語妄想」として楽しむものなのだぁ!と、そういう前提で読むとまた違う楽しみ方ができるのではないかと。
ただ…現実の固有名詞や駅名、ブランド、ミュージシャン名が出てくるから、“妙なリアル感”が乗ってしまうんですよね。
でも実際の物語といえば?
人がワープするし(別の場所や、パラレルワールドや、夢の中とかに)、やけに井戸の底や地底に入るのが好きな登場人物が多いし、ロリコン趣味があるのかどうかはわかりませんが、中学生くらいの年齢の少女が妙に聖なる存在的に持ち上げられるし。それってネパールのネパールの「クマリ」信仰かよって(笑)。不可侵な存在でありながらも、オトコが救済を求める“聖なる存在”みたいな女の子が物語によっては登場しますよね。
やっぱりファンタジー以外の何物でもないですよ(笑)。
ちなみに、御駄賃さんの「ジャズへの渇望感」という言葉を読んでいて、ふと、私の頭には「破壊せよ!」の中上健二かびました。
これは完全に私の個人的な妄想なんですが、彼にとってのジャズって「気付け薬」であり、「後ろ盾」であり、コンプレックスと衝動を埋めるための「承認剤」だったのではないか、なんて思ってます。つまり、「鎧」みたいなもの? わからないけど。妙に虚勢張っているというか、必要以上にジャズを錦の御旗にして激っているというか、「ジャズ武装」しているように感じます。
私にとっては意味不明なモチベーションではあるのですが、そんなジャズへの、あるいは“生きること”への渇望を抱えて上京した若者が、かつては大勢いた、のでしょうね。
御駄賃さん、ぜひまた、おむすび片手にふらっと寄ってください。
昭和の湯気とともに、いつでもお待ちしております🍙🎷
2024年9月10日 18:36