中山康樹・著『Jazz名盤名勝負』(廣済堂出版)のアート・ブレイキーのところを読んでいます。
コメント
MrNOBUchanさんからのコメント。
verve、及び他に残されたピーターソンのアルバムでは、「シェイクスピア・フェスティバルのオスカー・ピーターソン」(verve)「ザ・サウンド・オブ・ザ・トリオ」(verve)「モーションズ&エモーションズ」(mps)が、私が永年回し続けた、ピーターソンの私的ベスト・スリーです。三枚目はトリオ・ウィズ・ストリングス(クラウス・オガーマン編曲)盤なので、かなりのジャズ・ファンでも御存じでない方のほうがむしろ多いかも。収録曲のうちアントニオ・カルロス・ジョビンによるボサノバ・ナンバー「wave」は個人的に、究極の名演と信じる演奏です。とはいえフェイドアウトせず、エンディングまで収録して欲しかった・・・。
あと、ドイツで録音したmps盤は音がverve盤に比較して素晴らしく明白で力強く、それに気をよくしたピーターソンによる、総じて高い水準の演奏が聴けますね。
御駄賃取郎さんからのコメント。
昔から「なんとなく今日は購買意欲がないなあ・・」と思った時には必ずオスピ(OP)のレコードを買っていました。ハズレなし、と思ったからでした。しかし今ではオスピを熱く語ることはほとんどないようですね。笑
先日孫の友人が「うんこジャズ?ってどんなジャズ?」ときくので「たとえばどんなジャズのことだと思う?」と聴くと「・・・うーん・・たとえばオスカー・ピーターソンとかアート・テイタムとか?・・」「え?なんで?どして?」ときくと「垂れ流しっぽいからですぅ。。」とこたえたのには驚いた!!笑
私は音がよいのでMPSレーベル時代をよくきくのですが、なかでも一番の愛聴盤といえば「グレイト・コネクション」です。これはペデルセンのぶっとく、ふくよかなベースの音が堪能出来るので好きです。
曲単位ではロンドンハウスライブから分売された中でも「サムシング・ウォーム」の「枯れ葉」「アイ・リメンバー・クリフォード」が一番好きです。最晩年のテラークレーベル時代には(またMPS時代のような音がきけるかな?)と期待したのですが、録音面ではテラークレーベルのジャズ録音には疑問だらけ?で失望しました。
中山康樹氏には長生きされて「アートテイタムを聴け!」という本を書いてもらいたかったなあ・・と思うや切!
今なら、プーさんが書いて(語って)くれたらなあ?と思いますが、売れないだろうなあ?・・なんてね。笑
いつか「ジャズ批評」に期待ス!
「なんとなく今日は購買意欲がないなあ…」という日に、オスカー・ピーターソンのレコードを買っていたって、これ、なんとなくわかります。
私の場合は、それがオスカー・ピーターソンだったことってほとんどありませんが、そういうときはブルーノートかプレスティッジの「見覚えのあるアルバム」を買ってました。
「確実に満足はするけど、意外性や暴発は少ない安定のOP」って、なんだか旅先でふと入った知らない町の中華屋で五目チャーハンを頼んだら、妙にちゃんとしてて美味しかったときのあの安心感に似ているような気がします。
お孫さんのお友達による「垂れ流しっぽい」発言、意外と本質ついているかもしれません。
その方、実はかなり耳が良くて感性が鋭いのでは?
あまりに滑らかで、継ぎ目なく、ド派手な起伏もないまま洪水のように音が押し寄せるピーターソンやテイタムの演奏って、確かに“流れてる感”がある。
ただ、ここで思うのが——
テイタムやピーターソンが「垂れ流し」に聞こえるのは、こちらの耳と感性が追いついてないからじゃないか?
実際私自身、以前は「上手いのはわかるけど、どれも同じに聞こえる…」という時期がありました。
でも、それを変えてくれた本があるんです。
それが、『すごいジャズには理由がある』という本。
ご存知かもしれませんが、これ、ジャズピアニストのフィリップ・ストレンジさんが結構細かく譜例を用いながら解説していて、具体的に“ジャズマンの凄さ”やアプローチの内容を解説してくれているんです。しかも、パーカーやマイルスと並んでアート・テイタムをガッツリ取り上げてるところが新鮮。
だって、テイタムって「モダン以前」扱いされがちじゃないですか?
でもフィリップ氏は、バップの源流はテイタムにある!と明言されてるんですよ。
その根拠の一つとして、「カンザスシティから上京(?)してきたパーカーは、テイタムがピアノを弾いている店で皿洗いのバイトをしていた」という話。
皿を洗いながら耳を澄ませて、彼の変幻自在なピアノを聴いてた。影響を受けない訳がない。この体験が後のパーカーの流動性や自由な飛翔の原点になったと考察されています。
この本ではテイタムの「早弾き」だけでなく、サイド・スリッピング、代理コードや裏コードの巧妙な使い方、アルペジオとリズムのアクセント、即興の構造と変化の付け方などが、譜例とともに解説されていて、読んでてまさに目から鱗でした。
同じに聞こえてしまいがちなテイタムの演奏の裏では、実にさまざまな試みやアプローチがなされていたんですね。ところが、あまりに自然すぎて、あまりに上手すぎて、我々が「垂れ流し」と感じてしまう。しかし、その中では実はとてつもない思考や試行錯誤がなされていた。
分かる人にはわかる。
私のようなボンクラにはわからない。まだまだ修行が足りんなぁと思いました。いや、私の場合はいくら修行をしたところで無理な世界かもしれませんが。
一方のピーターソンについても、こんな解説がされていました。
ストレンジ氏は、技術的には圧巻、もちろんリスペクトしているが、“肉体に染み込ませたパターン”で弾いている部分が多いと。
つまり、予定調和の中でのスリリングさ。
プロが聞くと、「この後こうくるだろうな…やっぱりきた!」というところが多いみたいですね。
だから、お孫さんのご友人が「垂れ流しっぽい」と感じたのも、もしかするとある種の鋭い直感だったのかもしれません。
中山康樹氏には長生きされて「アートテイタムを聴け!」という本を書いてもらいたかったなあ…に関してですが、正直な話、中山さんがテイタム本を書くかというと…たぶん書かないでしょうね(笑)
その点、プーさんがもし書いたなら、ジャズピアニストとしての視点から、かなり細かく分析してくれただろうなぁと想像します。
でもおっしゃる通り、たぶん…売れないでしょう(笑)
「テイタムは、あまりに“うまくて普通”に聴こえてしまう」
これは、リスナーが音楽を“引っ掛かり”で覚える生き物であることの証だと思います。
しかしその“引っ掛かり”の奥にある、微細な狂気や構築美に気づけるかどうか。
その閾値(いきち)を越えるには、やはり凡人には時間と経験値が必要なのかなぁと。
その一方で、そういうことを華麗にすっ飛ばして中心部があっさり見えてしまう人もいるんだなぁ、とも思いました。
2024年10月14日