【コメント返し】営業ぼーがい

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動画「【コメント返し】「言わなきゃいいのに」「書かなきゃいいのに」な、最後の余計な一言」(こちら)に視聴者さまよりいただいたコメントを紹介した動画をアップしました。

コメント

飛田野正人さんからのコメント。

新関公子著『東京美術学校物語━国粋と國際のはざまに揺れて』(岩波新書)という本を最近読みました。
こちらは絵画の話で、音楽とりわけJazzとは関係ないのですが、どうしても結び付けて書いてしまうこと、
お許しください。

この本では一つの学校の中で「絵とは日本画のことか?洋画のことか?」という感じで対立が鮮明になります。
前者は例えば横山大観、後者は黒田清輝というのがby nameとして挙げられます。このバチバチの緊張関係の
中で、日本の絵画の近代史が紡がれていったという訳です。

この絵画の日本近代史と、日本のJazzの近代史を比較したらどんな答えが出るんだろ?と思いました。
自分としての答え(勿論間違いがあるのかも知れませんが)は、実は日本においてはJazzの中で強烈な思想対立が
なかったのではないか?というのが正直なところです。AかBか?両方ともいい!は認められないという
緊張関係がないので、あくまで個人の感想で終始してしまうのが限界だったんじゃないのだろうか?と。

この推論・仮説には自分で言うのもおかしいですが欠陥があります。日本人は例えば「国粋か?国際か?」
のよう二項対立でしか公論が出来ないのか?個人の考えでは何処までも個人の考えで留まってしまうのか?
という点について、何の説明もしていない点です。

あくまで思考過程例ということで、ここまでに留めます。一方で、色々な観点からの討議はあっていいとも
思いました。

飛田野さん、示唆に富むコメントありがとうございます。
この「日本においてはJazzの中で強烈な思想対立がなかったのではないか?」説、確かに、そうかもしれないなと思いました。

そして、「絵画の近代史」と「ジャズの近代史」を並べて考えるという視点、興味深いですね。

日本においてはJazzの中で強烈な思想対立がなかったのではないか?

これはかなり真実味のある仮説だと思います。
もちろん、バド・パウエルは絶頂期か晩年かといった各論や、好き嫌いの議論はあったのでしょうが、「国粋 vs 國際」「日本画 vs 洋画」「Aを選んだらBは敵だ」のような、もっと枠の大きなテーマや対立軸は確かにジャズに関しては(私が知る限りにおいては)あまり見当たりません。

ではなぜか?という問いをいただいた形になるので、ここからは僭越ながら、私なりの勝手な整理を少し長めに書かせて下さい。

私がジャズを聴き始めた頃は、ちょうどジャズ本やジャズ雑誌の記事が面白い時期でした。
オーソドックスな既存の評論家に対して、新しいタイプ、すなわちジャズ喫茶のマスター(寺島靖国、後藤雅洋、大木俊之助さんなど)など「文字」と「レコード」だけではなく、「現場感覚」のマスターたちが著書を出版されていた時期だったので、「定説vs現場」という対立というほどでもないかもしれませんが、それでもちょっとした対立図式のようなものはあったような気がします。

強引にまとめるなら「啓蒙主義」vs.「現場主義」みたいな感じ?(笑)

とはいえ、思想的な対立というほどではなかったですね。

思うのですが、よく昔のジャズ評論家は偉そう、威張っている、何サマだという人も少なくないのはなぜか?
それは、日本のジャズ評論家の「属性」は似たような人たちが集まっていた、似たような属性の人にしか(原稿を)発注せざるを得なかったという事情があったのではないかと思うのです。

つまり、ジャズという「舶来文化」、そして、まだ輸入レコード1枚が高価だった時代、誰もが簡単に手に入れることができなかった時代に必要とされたのが、「紹介者」であり「場の提供者」だったわけですよね。

前者は、語学が堪能、かつ博識な人。
つまり英語が読めて、しかも読めるだけではなく、日本語の文章表現力もある人。そうなると必然的に高学歴かつ語学が堪能な人にフォーカスされやすいです。

もちろん、高学歴じゃない人でもジャズが好きな人もたくさんいたでしょうし、鋭い感受性は表現力をお持ちの方も巷にはいたのでしょうが、少なくともレコード会社からはライナーノーツの執筆依頼、そして『スイングジャーナル』のようなジャズ雑誌からは原稿執筆の依頼は来なかった。

それと、ある程度経済力のある人が多かったのでは?とも思います。
例えば、評論家の粟村政昭氏の本職が医師であったことからも分かる通り、当時は高価なレコードをたくさん買える経済力も必要だったと思いますし、必然的にそれだけの経済力のある職業の人となると医師や大学関係、教職の人、となってくるのでしょう。
もちろん、叩き上げの例外もたくさんいらっしったと思いますが、語学力と経済力が、「紹介文章」を書けるためのスペックとしては非常に大きなアドバンテージだったことは想像に難くありません。

一方で「場の提供者」は、もうご想像の通りジャズ喫茶であり、ジャズ喫茶のマスターですよね。
当時は高価だったレコードを大音量で聞くことができるジャズ喫茶という空間はとても貴重な場だったと思います。
そして、中にはジャズを学ぶ寺子屋や道場のような性格を帯びた店も出てきたのも想像に難くありません。

つまり、評論家にしてもジャズ喫茶にしても、「啓蒙」という色彩が非常に強かったのだと思います。

もちろん、バド・パウエルは絶頂期か晩年かといった「各論」での対立はあったにせよ、ジャズを「広める」、いや「啓蒙」する立場の人たちの考え、使命というのは、「美学」や「芸術論」の追求、掘り下げではなく、「紹介」「啓蒙」の方に視点が向かっていた。
だからこそ、好みの対立はあったにせよ、大きな思想的な対立は生まれなかったのではなかったのではと思います(あくまで仮説です、思いつきで書いてますw)

そして、「啓蒙」する⇒教える立場⇒だからこそ、上から目線、エラそう、そういうふうに受け取られる評論家やマスターもいたのでしょうし、実際、威張っている学校の先生もいるように、そういう「教えてやる」的な立ち居振る舞いの人もいたのでしょう。

つまり、誰もが気軽に感想や情報を発信できる今とは異なり、そして誰もが気軽に世界中の情報にアクセスし翻訳までしてくれる現在とは違って、昔は、情報を持っている人、情報にアクセスできる人(語学力がある人)、そして情報発信の場を提供している人が、ある種権威であり、ありがたがられる存在(大袈裟ですが)だったのでしょう。

そして、舶来文化を伝える、翻訳するというところまでがせいぜい、そして舶来文化の消化吸収理解までが精一杯で、ジャズ観や思想をめぐっての大きな対立は生まれる余裕がなかった(それは次のステップ)のではないかと思います。

“対立”が起きるには、そもそも「定義」が必要なんですよね。
日本画 vs 洋画は、一言で言えば「日本における絵画とは何か」という「定義」にまつわる論争です。
定義闘争は思想闘争とセットです。

ところが、日本のジャズ受容史を見ると、そもそも「定義付け」がきちんと確立していたのか、漠然とした「共通認識」のようなものはあったでしょうし、だからこそ「ジャズいは死んだ!」という人も出てくるのでしょうが、厳密な定義付け、つまりジャズはこうであらねばならないという領域にまでは至っていなかったのではないかと思います。
その理由を考えてみると、やはり「舶来文化」だったということが大きいのではないかと。
⇒だから輸入レコードを追いかける時期が続いた(入手できる人は一部の人)
⇒音盤入手にも情報にもカネと語学力が要った(一部の人)
⇒そして何より、時代がまだ「紹介と受容」のフェーズだった

つまり、受容→紹介→啓蒙の時代が長く続いていたわけです。
「啓蒙の時代」は思想闘争より「伝達」が優先されるので、対立以前の段階だったのではないかと勝手に想像しています。

そして先述した通り、いわゆる評論家は、職業的にも属性が似ている。ということは、思想対立を生みにくい。

映画史の論争は出自・思想・階級がバラバラだからこそ起きる側面が強い。
対立は異種格闘技戦だから生まれる。

しかし日本のジャズ紹介屋は“同門の徒”が多かったわけです。

ここで話がジャズからロックになりますが、ジャズではあまり国際とか国粋とかそういう論争は(私の知る限りでは)ありませんでしたが、ロック方面では日本語でロックは成立するか論争はありましたよね。
これは定義闘争でした。
演劇界の「新劇 vs アングラ」などもそう。
対してジャズは、舶来文化の紹介+翻訳⇒普及という段階で長く止まっていたように思います。

そして、ここで思い出すのが、秋吉敏子の『孤軍』や『Long Yellow Road』。これらの作品はまさに「ジャズの国粋 vs 國際」に触れる可能性があったはずなのに、当時の古雑誌をめくる限りにおいては(そして私の知る限りでは)論争にはなっていなかったと思います。

一方クラシック側では、ありましたね。
武満徹『ノヴェンバー・ステップス』です。
若き坂本龍一が「オリエンタリズム批判」で公演会場前でビラを撒いていたのは有名な話ですよね。
こちらは定義と美学の問題なので対立が起きる土壌があった、のかもしれません。

かたやジャズ側は、そのステップに届かなかったのか、届く必要がなかったのか、届く準備ができていなかったのか。

ということで、雑にまとめると、
日本のジャズは長らく“翻訳・啓蒙・普及フェーズ”に留まり、“定義・思想フェーズ”に移行しなかったため、強烈な二項対立が生まれなかった(生まれにくい構造だった)。

そして言い換えると、日本のジャズは「受容と消化の歴史」であり、日本の絵画は「定義の歴史」だったということになります。

ということで、普段は考えたこともないようなことを考えるキッカケをいただきありがとうございました。

Nyaho Nyaho Tamakloさんからのコメント。

嫌い=良くないとする視野の狭さ、懐の狭さが嫌ですね😞
本当に何様なの?って不快に思う批評家いますよね

2025年6月16日 18:56