【コメント返し】死んでへんよ

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動画「ライヒ、高校教師、ジョンスコ、紅茶になりますぅ、そしてドルフィー」(こちら)に視聴者さまよりいただいたコメントを紹介した動画をアップしています。

コメント

一雄杉田さんからのコメント。

連休明けに何故か深酒でYouTubeを観てまうんですよね~

「ジャズは死んだか」、、
それほど強烈に刺さったんでしょうね?プレステッジの四枚、針を落とした時に聴こえるバラードで、、、「マイファニー~」や「イフアイワ~、」や極めつけは「ItNever~」なんかを強烈に来ちゃったんでしょう?

例えば、ボブ・ディランの「フリーホイーリン」、針を落とした時に聴こえる「風に吹かれて」が、強烈に来ちゃって、エレキギターを持って登壇したボブ・ディランに向かって「ユダ!」つまりは裏切り者と叫んだ御仁に繋がるものか?

「ジャズは死んだ」や「ユダ!」と叫んだDELI菓子~のない面々も、純粋な音楽の信者だと感じるんですけどねぇ~~😊

DELI菓子~⇒いいですねぇ😆

ボブ・ディランがエレキに持ち替えた時に大ブーイングだったという話は知っていましたが、聴衆から「ユダ!」って言われたんですか!
それは知らなかったです。
言った人(たち?)の困惑ぶりと、びっくり仰天ぶりは相当なものだったんでしょうね。

で、せっかくだから、ちょっと調べてみました。

Gemini君によると、以下のような回答でしたw

そのエピソードはロック史における最も有名な事件の一つとして語り継がれている事実です。

1966年5月17日、イギリスのマンチェスター・フリー・トレード・ホールで行われた公演での出来事でした。

当時、フォーク・ソングの旗手として「プロテスト・ソングの神様」のように崇められていたディランが、後半のステージで電気楽器(エレキギター)を使い、大音量のロックを演奏し始めたことに憤慨した観客の一人が、曲の合間に叫んだ言葉が「Judas!(ユダ!)」でした。

ご存知の通り、イエス・キリストを裏切った弟子の名を引き合いに出すことで、「フォークを捨ててロックに走った、裏切り者!」という最大限の拒絶を表現したものです。

このヤジに対するディランの返しもまた、伝説となっています。

反論: ステージ上のディランは「I don’t believe you… You’re a liar!(信じないね、お前は嘘つきだ!)」と言い返しました。

煽り: 続けて自身のバンド(後のザ・バンド)に向かって、「Like it fucking loud!(クソでかい音でやってやれ!)」と指示を出します。

演奏: その直後、歴史的な名演とされる凄まじい熱量の『Like a Rolling Stone』が演奏されました。

補足:音源の存在
長年、この事件はロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでの出来事だと誤解されていましたが、後に録音テープが精査され、マンチェスター公演であったことが判明しました。

現在では公式のライブ盤(『Live 1966』)としてリリースされており、その生々しいやり取りを実際に聴くことができます。当時の熱狂と殺伐とした空気感が混ざり合った、音楽の転換点を象徴する瞬間と言えますね。

あのアグレッシブなやり取りの背景には、当時の音楽シーン特有の「熱量」と、今では想像しにくい「フォーク音楽への信仰心」がありました。

「ユダ!」と叫んだ人物のその後や、当時の観客層について、興味深い事実がいくつか判明しています。

あのヤジを飛ばした主は、キース・バトラーという当時大学生だった男性であることが、事件から30年以上経った1990年代後半に判明しました。

当時の心境: 彼は熱狂的なフォーク・ファンで、ディランを「自分たちの代弁者」として崇拝していました。しかし、エレキを鳴らすディランを見て「ポップ・グループのような安っぽい真似をしやがって! 裏切り者め!」と激昂し、ヤジを飛ばした直後に会場を後にしたそうです。

その後の変化: 興味深いことに、彼は後に「あの時は若くて愚かだった」と語っています。年齢を重ねるにつれ、ディランの変遷を受け入れ、理解するようになったようです。1998年にドキュメンタリーの取材を受けた際には、再び現場(マンチェスター・フリー・トレード・ホール)を訪れ、当時の自分の行動を「若気の至り」として振り返っています。

他の観客たち: 多くのファンも同様に、当初は戸惑い拒絶したものの、数年も経つと「ロックとしてのディラン」を一つの完成された芸術として認め、再び熱心なリスナーに戻っていきました。

ディランを「裏切り者」と呼んだ人たちは、単なる音楽ファン以上に「フォーク・リバイバル運動」の信奉者としての側面が強かったのが特徴です。

それまでのディランのファンの属性(層)は、学生やインテリ層: 政治意識が高く、社会変革を志す若者が中心でした。

労働階級の活動家:フォークを「労働者のための、飾り気のない真実の音楽」と考えていた人々。

聴いてきた音楽:ウディ・ガスリーやピート・シーガーなどの、メッセージ性の強いプロテスト・ソング。あるいは、イギリスやアメリカの古くから伝わる伝統的な民謡(トラッド・フォーク)。

当時、エレキギターやドラムは「商業主義」や「浮ついたポップス」の象徴でした。彼らにとってフォークは、生身の人間が言葉を伝えるための「清貧で高潔な聖域」だったのです。そこに大音量のエレキサウンドを持ち込んだディランは、「魂を金で売った」かのように映ったわけです。

ディラン自身は、「自分は誰の代弁者でもないし、政治的なポスターにもなりたくない」と考えて変化を求めました。

結果として、あの夜「ユダ!」と叫んだ若者たちの拒絶が、皮肉にもディランを「フォークの神様」という狭い枠から解き放ち、「ロックの巨星」へと押し上げる決定的なエネルギーになったと言えます。

キース・バトラーが晩年に「(自分のヤジが)ディランの最高の演奏を引き出したのかもしれない」と少し誇らしげに語っていたエピソードは、音楽史の面白い着地ですね。

↑なのだそうです。
ディランも言われっぱなしではなかったんですね。
そして、野次を飛ばした人も判明していて、しかも改心(?)反省(?)しているとは思いませんでした。

もしかして、エレクトリックに走ったマイルスのことを当時はコキ下ろしていたジャズファンも、後年、「あの頃の自分は聴く耳持ってなかった」と考えを改め……てなさそうな感じがします(笑)。

2025年9月16日