サンジョルディさんからいただいたコメント。
【ジャズ好き上司上田と、部下・下田、ハードバップ好き羽田のモンク話】
【上田】モンクと言えば、「変」「調子っぱずれ」「個性的」「独特のタイム感」「初めてピアノを弾いた子供みたい」「実験的」「不協和音」など、様々言われているね。
【羽田】「変」の理由が分かりにくいですね。
【下田】僕は、最近YouTubeでコードの説明動画を見るようになりました。そこで感じたのは、モンクは、コードに対するアヴォイド・ノートをあえて使ったのではないかと。
【羽田】「アヴォイド、避ける音・注意すべき音」を試してみた、と。
【上田】モンクのピアノは、ウィキペディアに「本質的に独学」と書いてあったね。
【羽田】そこの所はよく分かりませんね。でも、独学であれば、和音に対しても自由な発想だったかも。アヴォイド・ノートを気にしなかった。
【上田】ジャズには、アフリカン・アメリカン独特のブルーノート・スケールもあるし。
【羽田】テンション・ノートもかっこいいから活用するジャズメン気質もありますし。
【下田】自分が「何となく不協和音だなあ」とぼんやり思ったのが、「アヴォイド・ノートを使ったからだ」と、はっきりすれば、僕のモンクに対する気持ちも楽になります。
【上田】下田君は、「今日の頭痛の原因は、気圧のせいです」と原因を探るタイプだからね。モードの時も、もやもやの原因を探ったし。
【羽田】モンクがアヴォイド・ノートを積極的に使ったなら、ある意味コードの縛りからすでに逃れて始めていた。つまりモードジャズ的発想の先駆けかも知れませんね。
【上田】昼休み、終わるよ。⇒こちら
アヴォイド・ノートねぇ……なんて思っているうちにいつの間にか動画をアップしていました。
ジャズを習うと必ず教えられる箇所ではありますが、最初のうちは、あまり「こうしちゃダメよ、あれもやっちゃダメよ」と禁則事項でガンジガラメにしちゃうと硬直しちゃって何もできなくなるんじゃないかなぁ、なんてことをジャズを習いに行きはじめの頃の私は思っていましたけど(校則とか拘束とか大嫌いな人種だったので)、でもまあ知っておいても損はない知識ではありますが、でもやっぱり意識しすぎてもなぁという想いもあります。
まあ、あまり普段は考えすぎないようにしてはいるのですが。
コメント
永井勉さんからのコメント。
モンク・ヒムセルフ・・・m(__)m
セロニアス・モンクと不協和音とアヴォイドノートについて・・・
何か どの音も コードを聴いても捨て音がないですよね・・・!!!
モンクの綺麗なコードのなかにひとつだけ汚しをかける一音・・・凄いですよね!!
それはまるでパーカーのソロプレーと同じ感じだと思っています・・・m(__)m
とにかくパーカーを聴けば聞くほど演奏するべき対象ではなく鑑賞するべき音楽だと
強く感じている今日この頃です。
ただ単に早く吹くのだったら無機質にソロをとればいいと思うのです・・・
でもなんでしょう パーカーのフレーズって プレーヤー心を くすぐるんです.!!!
プレーヤー目線ではコード演奏とソロプレーはこの二人を超える人は現れないと思います!!!
パーカーにもモンクにも捨て音ないですね。
そして、この2人が発する音の「情感」って、人間的でありながらも、歓びとか悲しみといったチープに言語化できる日常的でわかりやすいものではなく、さらに次元が上というか、もっと透明で純粋な感じがします。
ムーチョ-TenorTbさんからのコメント。
アボイドは7と11なので僕は経過音、その中でもアクセントの音でも使います。
ロングトーンではあんまり使ってないです。
パッシングノートとして使うのであれば問題ないですね。
ロングトーンにしちゃうと目立ってしまい、違和感を感じる人も出てきちゃうんでしょうね。
御駄賃取郎さんからのコメント。
たしか1970年代の末か1980年初頭の頃だったと思いますが、新橋のヤクルトホールで解説つきの「真夏の夜のジャズ」の上映会というイベントがあり、でかけた。壇上には評論家のダン・モーガンスタン他アメリカの評論家がならんでいて上映前にジャズの歴史に関して色々と通訳つきで解説していた。その時客席から手を上げてある質問?が発せられた。
曰く「それは違うと思います。それは云々~~」と延々と訂正発言をつづけた。私は(おっそろしいオヤジがいるもんだなあ。。常識はねーのか?恥をかかせやがって!)と腹がたった。それが油井正一さんであった。ふりかえればそれは演出であったのかもしれないが、若かった私はK・OといいTモリといい、日本のオッサンのジャズフアンという人種はいかにも、あやしげな奴ばかりだなあ。。と正直、思ったものだ。笑・・そして今、自分自身がそうした「あやしげなオッサン」になりきってしまっている。www「はぢを知れ!!」←(自分宛)。。
>「真夏の夜のジャズ」の上映会というイベントがあり、
ほえぇ~、そんなイベントがあったんですね。
この映画、DVDは持っていて、たまにテレビで見るのですが、スクリーンで見るとまた違うんでしょうね。
>上映前にジャズの歴史に関して色々と通訳つきで解説していた。
けっこう予算かけていたというか、気合いはいったイベントっぽい感じがします。
>その時客席から手を上げてある質問?が発せられた。
>曰く「それは違うと思います。それは云々~~」と延々と訂正発言をつづけた。
たしかに会場にいれば、「おっそろしいオヤジがいるもんだなあ」と腹が立つでしょうね。
しかし、その人が油井さんだったとは!(笑)
そんな性格の人だっけ?と思うと、たしかにイベントを盛り上げるための「やらせ」というか「演出」の可能性もあると思いますが、やらせだとしても当時は熱かった時代だったんだなぁと思います。
>日本のオッサンのジャズフアンという人種はいかにも、あやしげな奴ばかりだなあ
そういう思いは、私も持っていました。
だから、ジャズを聴きはじめた頃は、そういうオッサンたちと将来わたりあえる人間にならなきゃダメなんだろうな、逃げちゃだめだ!逃げちゃだめだ!と『エヴァンゲリオン』のシンジ君のように心の中で呪文のように繰り返していたものです(笑)。いま考えれば、必要以上に全身に力がはいっていたと思いますが、なにやら深入りするとマズそうな世界に自分は自らの意思で足を踏み入れているのだ、もう後戻りはできないぞ、どうする?それでもいいのか?と本能と自問自答していたようにも思います。
なんとなく「ヤバイ世界っぽいぞ」直感が告げていたのかもしれません。半分当たって半分外れていたような気もしますが、この直感はジャズそのものに対して感じるヤバさよりも、ジャズ周辺の空気に感じるヤバさだったと思います(つまり面倒な人が多そうな予感)。
>そして今、自分自身がそうした「あやしげなオッサン」になりきってしまっている。www
わははは、それは私とて同様です。
いつの間にか、フォースの暗黒面に陥ってしまっており、純粋無垢だったアナキン・スカイウォーカーが気づけばダースベーダーになっているという、うーん、わかるぞベイダー!って感じでございます。
お互い、もう後戻りはできないのだから、もう開き直って生きていきましょう(笑)。
オバタリアンって言葉が昔流行りましたが、ジャズタリアンなオッサンでええじゃないか、ええじゃないか、赤福餅はええじゃないかの気持ちで残りの人生突っ走るのも、案外悪いことではないような気がします(笑)。
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ところで、『真夏の夜のジャズ』が話題の遡上に乗っていたので、ちょっとしたウンチクというか豆知識を。
題して「ペダルのトラブル!真夏ジャズ」。
それは、チコ・ハミルトンのバンドの映像のことえす。
この映像は、どうしてもエリック・ドルフィーのフルートの演奏に目がいってしまうという方も少なくないと思います。
私もそうでした。
しかし、ドルフィーのみならず、ぜひチコ・ハミルトンのドラミングにも注目してください。
特に、《ブルー・サンズ》で、ドンドコドンドンとマレットで叩いている姿。
汗をかきながら真剣な顔でマレットを叩いています。
なかなか曲想に合ったユニークなアプローチです。
じつは、この時、ドラムセットのバスドラのペダルが故障して動かなくなっていたのだそうです。
だから、なんとか足を使わず、腕だけで効果的な演奏をもたらそうと苦心していたみたいなのですね。
それを知った上で、再び『真夏の夜のジャズ』のチコ・ハミルトンの演奏を見直すと、ドルフィーだけではなく、ハミルトンのほうにも愛着がむくむくと沸いてくるのです。
見どころたくさんのドキュメントフィルムですが、このようなエピソードを知っしまうと、ますます何度観ても飽きなくなります。