動画「セロニアス・モンクやマイルス・デイヴィスの“間”について等」(こちら)に視聴者さまよりいただいたコメントに対してのアンサー動画をアップしました。
コメント
永井勉さんからのコメント。
取り上げていただいてありがとうございます・・・WWW
さて企画です・・・WWW
内なるプレーヤーと外なるプレーヤーというのはどうでしょうか・・・
例えばリーモーガンは社交的なプレーヤーだと思うんです・・
例えばモブレーは内向的なプレーヤーはだと思います・・・
皆さんはどうなんでしょうか・・・?😅😅😅
内なるプレイヤーは、私にとってはレニー・トリスターノですね。
ライヴに引っ張り出すのにも一苦労な人だったようです。
同じピアニストで、外なるプレイヤーというと、オスカー・ピーターソンかなぁ。
アニタ、エラ、エラとルイなど私が好きなVerveのヴォーカルアルバムの歌伴、彼なんですよね。引っ張りだこ。まあ彼が外交的という以上に、きっとVerveのプロデューサー、ノーマン・グランツ大のお気に入りで、仕事を回されまくっていたんでしょうね。
一雄 杉田さんからのコメント。
クリスマスが近づきましたね?
マイルスとモンクのあいだに「ケンカ」などあろうはずもなく、モンクがちょっとツンのめったのは、、バグスのあのヴィブラフォンが神過ぎたのだと、、、
後はMJQのあの面々、パーシーヒースは何事もなかったかのように弾き続けるのがなんともカッコいいんです。
そして、最後はマイルスの、、「もう終わりにしようや、飲みに行こうぜ」と言わんばかりのフレーズがよりカッコいいんです😂
永井勉さんからのコメント。
ジャズ界でのモンクは座標である・・・WWW
私はそうおもってます・・・
例えば変態曲のブリリアントコーナー・・・
どブルースのブルーモンク・・・
超絶なコード進行のルビーマイディア・・・
多面的思考がモンクだとしたら
単面的思考がほとんどのミュージシャンだと思います・・・
きつい言い方をしたらモンクが?????な人は単面的思考
しか持たない人だと思うんです・・・
本当に泥酔状態の永井です・・・WWW
《ブルー・モンク》とか、《ラウンド・ミッドナイト》とかの代表曲、これ、鍵盤でて一つひとつ音を重ねていくと、無駄な音が一つもない。一音一音には、必ず何がしかの意味があって、ものすごく論理的というか構築的なんですよ。
音の重ね方によっては、エグく聞こえると感じる人もいると思うんですが、それでも自分でピアノを鳴らしてみると、めちゃくちゃ胸にスーッと染みてくるというか、綺麗を飛び越えて、ものすごく美しくハモっている。気持ちいい。
このあたりの感覚というか快感は、申し訳ないけど楽器やっていない人には、なかなか実感としては伝わらないことだと思います。そしてこの「体感」をいくら言葉を費やして説明しても無駄というか、おそらく1/10も伝わらないと思います。そのあたりが歯がゆいんですが、まあ、理解したくない人に無理して理解しろというつもりもないので、ピン!とこないのなら、ガマンして聴く必要もないし、好きになる必要もないので、どうぞ他のエリアで好きな音楽見つけてくださいね、グッドラック! としか言いようがないんですよね。こればっかりは。
で、先ほど、音の組み合わせには、何がしかの意味があると書きましたが、意味、というか意図といった方がいいのかな?
モンクのピアノソロって、比較的ボトム(一番下の音)は、ルートであることが多い。それはボトムに7th系の音を置くことが多いエヴァンスやハンコックとは異なり、きちんとコードトーンのベーシックなところは分かりやすく提示してれている。このあたりが、ストライドピアノのスタイルの伝統を受け継いでいる、…かどうかまでは分かりませんが、『ソロ・モンク』の《ダイナ》なんかでは、しっかりストライドしているので、最低限のコード提示のマナーは守ろうというある意味、頑なに保守的ですらあるところも垣間見える。もちろん場合によってはボトムにルートを置かないこともあるのですが、そういう時は、たとえば『ヒムセルフ』の《ラウンド・ミッドナイト》なんかが良い例ですが、時折右手と左手をクロスさせて鍵盤を叩いていることがあるじゃないですか? あれって、クロスして右手よりも高い音域を弾いている左手は何の音を押さえているのかというと、ルートの音なことが多いんですよ。それだけ、コードトーンの成分、役割の明示にはこだわっていると私には感じます。一見、奇抜な響きに聞こえる人もいるのかもしれませんが、実は、かなり守るべきところはキッチリと守っていて保守的とすら私には感じるんですね。エグく聞こえるのは、あくまで結果論であって、まあモンク本人はどこまで考えていたのかは分かりませんが、少なくとも曲を破壊しようとは断じてしていないし、和音の響きに工夫を凝らすことによって、つまり別な角度から光を当てようとしているように感じます。そのことによって、より一層、その曲の魅力を別な側面から引き出そうとしている。いうなれば、交通ルールはきちんと守って走っていながらも、見る人が見れば酔っ払い運転に見えてしまう錯視(聴)効果のようなものって、モンクの演奏にはありますからね。まあ「単面的思考」の人には、そのあたりの複数の情報量を処理する能力がないか、そのような訓練を受けていないか、そもそもそのような情報処理をするだけの気力がないか、なのでしょう。
押さえるべきところ、守らねばならない最低限のルールは守りつつも、カチッと着こなすのではなく、クールの着崩す。この精神的余裕とおおらかな精神。音楽理論がわからなくても、楽器をやっていなくても、この「精神的な豊かさと開放感」は、感性が豊かで受信感度の高い人にはしっかりと伝わっているのだと確信しています。
そうそう、最年少芥川賞受賞作家ということで、一時期綿矢りさと共に「時の人」として注目された金原ひとみも、まだ新人作家としてデビューまもない頃にインタビューか対談で、「ジャズは知らないけどモンクは好き」と言っていたのが印象的でした。感性が豊かな人には、モンクの音楽がもたらす自由さ、開放感はきちんと伝わっているのですよ。
ちょっと泥酔、高野でした(笑)。