ジャズ評論家の第一人者であった故・岩浪洋三さんの思い出と、岩浪氏があまり評価していなかったピアニスト、セシル・テイラーについてを語った動画をYouTubeにアップしてみました。
なんだか最近、録音開始ボタンを押して話し始めると調子にのって、どんどん話が脱線し、結果的に語る時間が長尺化してきているので、もう少し、スリムかつコンパクトに話すよう頑張ります!
しかし、あの「セシル嫌い」の岩浪さんでも、私が大好きな「カフェモンマルトル」のライヴ盤は、評価してくださっているので、それは嬉しいです。
もっとも「アルトサックスのジミー・ライオンズはB級だが」という前置きがついた上での評価ではありますが……(苦笑)。
思うに、現代音楽やデイヴ・ブルーベックの研究ばかりしていたセシルは、ビ・バップを経由したジャズ表現が出来ない人です。
ですので、ビ・バップの要素、つまるところ、チャーリー・パーカー的な要素をジミー・ライオンズのスタイルに求めていたのかもしれませんね。
まるごとそっくりというわけではありませんが、ジミー・ライオンズのアルトには、パーカーの影響の片鱗が見え隠れしますから。
コメント
奥野眞琴さんからのコメント。
岩浪洋三さん2012年に79歳でお亡くなりになっていたのですね。合掌(-_-)
ジャズ入門時代に、複数の荒地出版の書籍には、お世話になりました。
兎に角、マイルススクール卒業生の人物を称賛、特に「ジョー・ザビヌル、ウェザー・リポート」には特別な思い入れでしたね。
「新主流派」の名付け親でもありましたからね。
奥野眞琴さんからのコメント。
「新主流派」は日本だけで通用すると聞いていましたが、岩浪さんが命名したのですね。初知見。ありがとうございます。
yasさんからのコメント。
岩波洋三さんと言えば、ファラオサンダース の「因果律」
というイメージが今も残っています
カーマ!!!!(笑)
TAKESI0506さんからのコメント。
私はもちろん岩浪洋三さんには会ったことはありませんが、未知の人からは少し誤解されやすい人物だったのかもわかりません。
20年ほど前に少し文通があった愛媛の松山の方の話では、その人の行きつけのジャズ喫茶に、岩浪さんが帰省するたびに顔を出していたようです。人柄は純朴でひじょうに好人物なのですが、松山の人のような素人に対して大真面目で議論を仕掛けてきて、しょっちゅう喧嘩になっていたそうです(^^;)、粟村政昭さんや大和明さんのようなクロウトにも論争を仕掛けていたようで、大和明さんは自身の著書「ジャズ/歴史と名盤」の中でかなり岩浪さんを批判しています。よほど腹に据えかねたのでしょうか(^^;)、大いに論争を仕掛けて、もっとジャズ論壇を活性化すべきであるという、岩浪さんのお考えがだったのかもしれません。
これまた古い話になりますが、スイングジャーナルの66年1月号に、油井正一さんが、アール・ハインズの新譜に対する岩浪さんの評文に対して、「あの寝言のような文章は、一体どういうことか?」と噛み付いている文が載ってました(^^;)
面白いですね〜。
なんだか岩浪さんのお人柄(人間的な部分)がよくあらわれたエピソードだと思います。
後藤啓太さんからのコメント。
岩浪さんの風俗ネタ、大好きでした。「僕はねぇ、ジャズで食えなかったから風俗記事も一杯書いたけど」と、真夜中まで吉祥寺の中華料理屋でジャズの話はそこそこにズーッと猥談に花を咲かせていました。懐かしいです。
興味深いお話の書き込みをいただきありがとうございました。
以下のURLの動画で、いただいたコメントの紹介をしています。
▼
今後もどうぞよろしくお願いいたします。
花野夏さんからのコメント。
岩浪氏は驚くほどJAZZが分かっていない評論家でした。
コメントいただき、ありがとうございました。
▼下記動画にてお返事しています。
zukaroからのコメント。
カフェモンマルトルのLenaが私の中ではベストです。ライブでも生の音を聴きましたが
身も蓋もなく良かったです。どんよりとした時間が少なく、とても聴きやすかったです。
SATOSHEEE Eさんからのコメント。
私は岩浪さんの評論やライナーノーツにはあまり良い印象がありません。例えば、ジョー・ヘンダーソンを二流と評したりしていました。また、ライナーノーツも、ソロの順番を記述しているだけで(聞けばわかると思うから)、悠雅彦さんのような踏み込んだ分析がなく、物足りなさを感じたものです。あくまでも、個人的な意見です。
AAAさんからのコメント。
『酒のほそ道』の作者ラズウェル細木氏が昔書いていたジャズ漫画で、ジャズ評論家は多忙を極める、ソープランドの待合室で
原稿を書かねばならないこともしばしばである、という一コマがあり当時爆笑したものでしたが、元ネタがあったのですね。
そうなんですよ。
最初読んだ時は意味がわからなかったのですが、後で知って爆笑したものです。