ピアノのリハビリ開始!

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ピアノ(鍵盤)のリハビリを始めました。
やっぱり、ハーモニーを奏でる楽器が弾けると、いろいろと見えてくることも多いですからね。

そのことについて語った動画です。

コメント

永井勉さんからのコメント。

いや~羨ましいです・・・私はキーボードが弾けないんです・・・涙
雲さんがんばれ・・・来たる日の為に・・・m(__)m
😅😅😅

ありがとうございます😭

bokonon modestyさんからのコメント。

『Bitches Brew で Modern Jazz は終わった』と書かれた本を読んでJazzの世界に入った者です。70年代80年代前半とJazzを聴いていたのですが、確かにその通り『Jazz は死んだ』という感じで、それ以降のJazz を聴かなくなってしまいました。
最近することがなく、音楽を四半世紀ぶりに再び聴くようになりました。で、ちょっとびっくり、死んだと思っていたJazzは死んでないって思ったんです。(生きかえったとは思わないけど、死ななかったんだなという感じです・・・)
いろいろと新しいモノを聴いたり読んだりしていてさっぱり分からないのが、Free Jazz の流れはどうなったんだろうという辺りです。
いろいろ探して聴いてみたのですが、Free 系のJazzは、死んでなかったという感じが全くなくて、やっぱり死んだのかなという風なんです。(昔やっていた人が、昔やっていたようなことをくり返しているという風で、Contemporary Jazz のような感じの死んで無さはないな、というのが私の感じているところなのです)
実のところ、私自身の思いつきと適当な検索では、90年代以降のFree Jazzの流れというモノが全く見えていません。本当にFree系のJazzは死につつあるのか、あるいはもう死んでしまっていると言っていいのかさっぱり分かりません。80年代以降というか、Marsalis兄弟によって作られた流れや、Black Lives Matter の流れの中でのJazzといった社会の中のJazzのあり方の変化やSteve Coleman、John Zornに関しては、ある程度までつかんでいると思っているので、その辺りは抜いてくださって結構です。Free 系のJazzの90年代以降の流れがあるのかどうかといったことを話してくだされば嬉しいです。よろしくお願いします。

雲さんに上記のようなお願いをしたのは、Coltrane に関しての『硬質の鉛筆を使っての表現』といわれたり、阿部薫とColtraneの比較に『街のチンピラと求道者』といった風に表現される辺りから、そういった言葉選びのされ方とJazz に対する考え方が、昨今のJazzの評論家の方々とは一線を画すようで、実に素晴らしいと感じたからです。どうか、話のネタとして、私のこのお願いを取り上げてください。よろしくお願いします。

なかなか興味深いお題目ですね~。
ただ、私の場合、体系的あるいは系譜的にジャズを聴いておらず、また最新のジャズの動向にも疎いので、近頃のフリージャズ事情はよくわからないというのが現状です。

ただ、興味深いテーマではあるので、このいただいた「テーマ」をもとに「即興喋り」をしてみようと思い、先日、ライヴ配信でつらつらと目ぼしい雑誌や書籍を読みながら、喋りながら考え、話してみました。

結論のようなものには行きついてはおりませんが、無理やり一言に集約すると「姿かたちを変え、現在は低体温」ということですかねぇ(自信なし)。

ジャズ、とくに自由度が高いジャズほど世相を反映するとすると、「音楽」や「運動(活動)」で世の中を変えられると信じられていたホットな時代の(フリー)ジャズの肌触りは「ホット」。
テロや経済の停滞、先行きがまったく見えない不安な時代が続く現代の(フリー?)ジャズは「低体温」。
熱く激しいものが「フリージャズ」というわけではなく、アプローチや演奏者の距離感、自由度が高いものを「フリージャズ」とすれば、自由度が高いぶん時代の空気感が敏感に反映されるものなのかな?……と話しながら、そして雑誌を読みながら考えました。

もろフリージャズというわけではないのですが、ラストのほうでは昨年発売されたマーク・ターナーの新譜を引き合いに出したりしています。

参考になれば幸いです。

bokonon modestyさんからの返信。

取り上げていただいてありがとうございます。高野さんの『嫌いなJazz』というのを再度聴かせてもらって思ったのですが、私自身も似たようなモノをJazzに求めていたり、Jazzからもらったりしているように思いました。お話になっておられるとおり、現在形のJazzも、遙か昔から、その昔そうであったような流行の音楽の主流からは外れてしまっているので、基本的には生き残っているとしかいえないんだろうなぁと思ったりしています。これからも楽しく聴かせていただきます。また何かあったら、書き込みをさせてください。よろしくお願いします。

ありがとうございます♪

ちなみにですが、
ライヴ配信後の数日間は、なぜか動画がスムースに再生されないことがあります。ですので、何度も途切れてしまうようでしたら、数日待った上で再度アクセスしていただければと思います。
目安は、チャット欄が表示されているかどうかですね。これが表示されていない期間は再生が不安定なことが多いようです。

bokonon modestyさんからの返信。

雲さん、聞かせていただきました。とても参考になりました。ありがとうございます。
『Bitches Brew で Modern Jazz は終わった』は粟村政昭氏の『モダン・ジャズの歴史』の帯にあるモノでした。(今でも妙に気になっている言葉に、悠雅彦氏だったと思いますが『JazzよりJazz的なモノ』という考えです。Jazzをどういったモノとしてとらえているかって事だとも思います)
『Jazzは死んだ』といったモノは、Jazzを聴いていた頃に読んでいた評論で散々出てきたフレーズからの影響だろうと思います。
「一番面白いのは、Real Time のモノだよ。ミーハーであるのが一番面白いよ」といわれたことがあって、それなら、好きだったFree系のJazzでそういうのを今聴きたいなぁと思ったことからでした。
今のFree系の人たち(?)と思っている人たちは自分たちの事を Free Improvisation をやっている奏者という風に呼んでほしいといった話でしたが、60年代後半辺りから Free Jazz とは別にヨーロッパの人たちが自分たちのやっているモノをそう呼んでいたようなというか、評論家の人たちも彼らをJazzとは別のモノとしてそう呼んでいた様なことを思い出しました。ということは、彼らはJazzというジャンルの音楽をやっているわけではないって事ですよね。
Jazzをどういったモノとしてとらえているかによると思いますが、実のところ、Jazzに限らず、今の流れというモノをどうとらえるか、それにどう関わるかということの方が大事なのだと思いました。無理なお願いに快く応じてくださって、大変ありがとうございます。とても参考になりました。

そう思っていただいて良かったです。
私もこれはちょっと難しいなぁなんて思いながら適当(?!)に喋ったり読んだりながら考えているうちに、少しずつ考えがまとまってきたような感触がありました。
ジャズの演奏でいえば、難しいテーマを悪戦苦闘しながら演奏しているうちに、思いもよらぬ新しいフレーズが閃くみたいな感覚なのかもしれません。
興味深いお題目をいただきありがとうございました。

bokonon modestyさんからの返信。

書いた後で思ったことなのですが、私がJazzを聴いていた頃は、雲さんもお話になっておられたように、自分からJazzの方に歩み寄らなければ、何も得られないような時代だったと思うのです。今という時代は、まるっきり変わってしまったように思うのです。Real Time が面白いといってみたところで、たぶん売れるものしか情報は上がってこないところがあったり、すべての時代の情報が並列的に並ぶようなことになっていて、何が今のモノなのかが分かりづらい時代になっているようにも思います。そのことがいいとか悪いとかというつもりはなく、それが今という時代なのだと思います。
なんだかんだといっても、その昔はあるジャンルに関しては、その愛好者には何らかの共通認識のようなものがあったように思うのです。それは例えば、Jazzという言葉の持つ意味のようなモノといってもよいかもしれません。それが今という時代は、分断というより寸断されてしまったようにも思います。情報のあり方がそうさせているのかはどうかは私には分かりません。そもそも情報というモノは、偏ったモノだと思っているので、今のように並列的に情報が並んだ時代には、どのようにその情報を得るかによって、さらにその偏りは大きくなるように思います。
今の若い人たちがどんな風にJazzを聴いているかといった話もされていたと思います。彼らにとっては、たぶん、Robert GlasperもMonkも山下洋輔も並列的にあるんではないかと思います。だからなんなんだ?といわれても困りますが・・・
とりとめもなくなりました。
いろいろとありがとうございます。

うちの息子を見てるとそう思いますね。
>Robert GlasperもMonkも山下洋輔も並列的にあるんではないかと思います。

今春から社会人なので、もう「若い人」とはいえないかもしれませんが、ソニー・クラークの《ブルーマイナー》も、エリカ・バドゥと演っているロバート・グラスパーも、同じように楽しんでいるようです。(もっとも、それ以外はあまりジャズは聴いていなくて、もっぱら最新のヒップホップを追いかけるのに夢中なようですが)

bokonon modestyさんからの返信。

雲さんこんにちは。返事を書いてくださるので、せっかくだから少し遊んでもらおうと思っているところです。

最近の並列的な音楽のあり方というのは、雲さんが書かれているのと同じようなことを私も経験しました。大学生の息子がいる知り合いの女性が、息子さんに「お母さん、美空ひばりって知ってる?」といわれた、といった話をしたことを思い出しました。
四半世紀ぶりに音楽を再び聴くようになって、以前より遙かに楽に多くの音楽を聴けるようになったのも経験しました。それまでの聴き方から、情報の探し方でや何かは以前と同じ感じのやり方をしているのですが、情報の取り方の楽さから、以前より遙かに多くの音楽にふれるようなったと思います。意識的にしろ無意識的にしろ、知らない音楽に接して、その音楽にどう関わるかは、個人の問題だと思いますが、その昔より今の方がずっといい環境にあると思います。美空ひばりなんて知らない世代が、たまたま耳にした美空ひばりに何かを感じたというのは、これは素晴らしいことだと思います。(この辺りは、情報のあふれかえった今のあり方に対して、私自身の考えがとても肯定的に変わったと思っている点です。)

粟村政昭氏の『モダンジャズの歴史』からJazzに入ったという点は、まるで何も知らない人間は、最初に出会うモノに一番影響を受けるという、鳥が最初に見た動くモノを母親と思うのと同じような感じで、とても大きいと思っています。だから、聴き始めたばかりのJazzは、聴き始めた時期には死んでいるか死にかけているという風に思って聴くようになりましたし、その当時の評論の多くがそういった論調だったことも手伝って、そう思うようになりました。また、氏の電気楽器への否定的な考えも、何の疑問もなく受け入れてしまいました。
今更ですが、なんでJazzでの電気楽器の使用はあれほど否定されたんでしょう? 今考えると、正直よく分かりません。変な言い方かもしれませんが、プラスチック製のサックスはダメだというのとどう違うんでしょうね?(そんな変なことをいった評論家はいましたか?居たとして、その人はCharlie ParkerやOrnette Colemanも否定しなくてはならないので、困ってしまうからいわないのかな?)
年を取ったせいなのか、最近は女性ボーカルを聴く割合がとてつもなく増えました。で、思ったのは、私の女性ボーカルの好みは、声質にあるというのに気がついたんです。電気楽器とアコースティック楽器との違いも、音質の違いが一番か?と思っているのですが、どうなんでしょう? もし、楽器の音質の違いから来るJazzの電気楽器否定がそれに端を発するのであれば、変だと思うんです。私は今まで、どうしてJazzでの電気楽器の使用が否定的に扱われるのかというのを聞いたことがありません。よかったら、この辺りを解説してください。
粟村氏の影響でMilesのBitches Brewは聴かず嫌いという感じだったのですが、Circle好きという所からごそごそやっていたらMilesの Lost Quintet の存在を知り、その音を聞いてぶっ飛びました。電気楽器の使用なんて関係ないなと・・・

ばかな話をもう一つ。Coltraneの話です。彼は Naimaという曲をずっと演奏しているじゃないですか?そのことをAliceはどう感じていたのかという話はどこにも出てきませんよね? 下世話だというのは分かってますが、嫁さんとすれば、昔の嫁さんの名前の曲をずっと演奏されるというのはどうだったんだろうなぁと、思ったりするわけです。Alice って曲を作ってくれとはいわなかったのかなぁと・・・ Coltraneの『私は聖者になりたい』発言に対しての藤岡氏の話なんかから考えてもAliceが上記のようなことをいっていたという話はないこともなさそうだと思っていたりするのですよ。
長くなりました・・・

四半世紀ぶりに音楽を再び聴くようになったって事は、Modern Jazz の発生から私が Jazz を聴き始めた時までの時間にほぼ等しいわけですよね。その間を埋めるというのを、今回再度行っているという風な感じだなと思ってみたりしています。Jazz と並行してWorld Music系の音楽も同じようなことをしているのですが、本当に面白いです。昔と違って、必要な情報がとても楽に得られるというのが何よりですね。便利な世の中になりました。

インターネットの普及は情報のフラット化を急速におしすすめましたが、若者の並列聴きはネットの恩恵と同時に、親の影響も大きいと思います。

まさに、粟村さんの「最初に出会うモノに一番影響を受ける」ではありませんが、親がふだん聴いている音楽の影響も大きいような気がします。息子もお腹の中にいるときから、積極的にマイルスを聴かせまくっていたためか、積極的にはマイルスを聴いているふうではありませんが、マイルス・デイヴィスという男のスタイル、生き様には興味があるようで、折に触れてそのことについて語っています。

私は椎名林檎という歌手が大好きで、デビュー当初からファンなのですが、彼女の父親は、近所の人を招いてクラシックの鑑賞会を開くほどの音楽好き、そして母親はザ・ピーナッツをはじめとした今では「懐メロ」に分類されるような歌謡曲やポップスが好きな方だったそうです。

そんな彼女が親の影響を受けないわけはありませんよね。プラスアルファ、その当時、リアルタイムで聴いている音楽の影響も受けるわけですから、それぞれのエッセンスが絶妙にブレンドされてユニークな音楽が生まれるわけです。

林檎ちゃんに関しては、この動画の視聴をおすすめします。

で、《ネイマ(ナイーマ)》に関しては、私、いたるところで冗談っぽく、この動画などでもちょこちょこ喋っていますが、ヴィレッジ・ヴァンガードなどで、ファラオのような過激な人が破壊的な演奏をしてくれてるから、それでまあなんとか納得してるんじゃないかとw。

bokonon modestyさんからの返信。

椎名林檎紹介動画みました。へぇ~って感じです。名前しか知りませんでした。聴いてみます。
電気楽器の使用に関しても、どこかで取り上げてください。取り上げられたら、その際はサイトを紹介してくださればありがたいです。
コメントをブログに書き込もうとしたのですが、どこからどうやって書けばよいのか分からず、それでこちらに書かせていただいています。そのやり方なども教えてくださればありがたいです。よろしくお願いします。

ブログにはコメント欄は閉鎖しています。
なにしろ、ものすごい量のスパム投稿がくるので。
ヘンな中国語と記号まじりの意味不明の長文だったり、どこぞのブラック企業を告発するような内容の同じ内容の文面が、あらゆる記事に投稿されたりと、おそらくは手動ではなくツールがやっているのでしょうけれども、このようなコメントがきて「スパム」ボタンを押して投稿がこないようにブロックしても、時を経たずしてまたIPアドレスを変えて似たような文面が送られてくるという鼬ごっこが繰り返されるため、だんだん面倒になってきたので、ブログのコメント欄はなくしました。

そのかわり、なにか投稿されたいことがあれば、動画のコメント欄への投稿をお願いできればと思います。
出来れば、新し目の動画のコメント欄に投稿いただいたほうが早く気付き、早く対応できると思いますし、常連さんもけっこうコメント欄を見ているようなので、そこから新たな意見交換の場が生まれる可能性もあると思います。

bokonon modestyさんからの返信。

了解しました。いろいろと大変なんですね。それにしても、どうしてなんでしょうね? 匿名だと何を言ってもかまわないという風潮はどうかしてると思います。その昔のパソコン通信の時代はそんなことはなかったように思うんだけどなぁ・・・

ま、私に対しての誹謗中傷とかではなく、おそらく色々なところに無作為に投稿しているコピペ文章なのですが、よくわからない長文が(しかも同じ文面)が、管理画面にダダ―ッ!と並んでいると、さすがにウンザリしますよ(苦笑)。