松兼六園(まつかね・ろくえん)さんからのコメント。
私の友人(先輩)にジャズは全然聞かない人がおりますが、その人がマイルス好きの友人からいきなりパンゲアを聴かされて辟易したエピソードを私にしてくれたことがとても印象に残ってます。音楽は聞き手によって神にも騒音にもなる、と言う教訓と捉えております。あらゆる音楽評論は自己紹介だと思っております。
⇒こちら
「音楽評論は自己紹介である」
これに触発されて、
というより、
触発された勢いだけで構成も何も決めずに(いつものことだけど)話しまくった動画をアップしました。
最終的にはブリジット・フォンテーヌに行きついたというw
AEOCが伴奏を務める『ラジオのように』は、素晴らしいアルバムです。
特にマラカイ・フェイヴァースのベース、最高!
コメント
松兼六苑さんからのコメント。
タイトルを見て思わず恐縮してしまいました。取り上げて頂いてとても嬉しい一方で偉そうなことを書いてしまったのではないかと一抹の不安を感じつつ拝聴させて頂きました。タイトルフレーズに即座にアドリブで話を展開するのは、ジャズで鍛えた当意即妙さでしょうか。さっそく紹介頂いたブリジット・フォンテーヌさんのアルバムを聴いてみます!(※自分のハンドルネームはマツカネ・ロクエンと言います。兼六園を潜ませてあるので読み方を混乱させてしまいすみません)。
ありがとうございます。
>ジャズで鍛えた当意即妙さ
言われてみれば、ジャズってそういう効用があるかもしれませんね。
くまが集う喫茶店さんからのコメント。
(先日のライブ配信について)
僕はそんな些細な事では
登録を取り消さないです。多少ハラハラもしましたが
(^o^;(笑)面白かったですよ〜。
(^^)『ラジオのように』
いいですよね。
確か坂田明さんもカバーしてた
ありがとうございます😭
2019 enchanさんからのコメント。
こんばんわ〜、お疲れ様でございます〜。オフ会の後は仮面ライダー談義だったんですね。
そうなんですよ、
お互いクウガ、アギトといった平成初期のライダーが好きだったものでw
花野夏さんからのコメント。
おはようございます、花野夏です♪
おお!ブリジット・フォンテーヌ?アート・アンサンブル?マラカイ・フェイバースのベース?それらのワードを耳にしただけで今日も一日いい日を過ごせそうです。僕がアート・アンサンブル・オブ・シカゴを生涯の友とする、そのきっかけになったアルバムがブリジットの『ラジオのように』とアート・アンサンブル・オブ・シカゴの『ピープル・イン・ソロウ(当時は「苦悩の人々」)』でした。考えてみれば、僕のフリーミュージックへの入口だったのでしょうね。以上、僕の自己紹介でした。それではまた♪
たしかに『ラジオのように』は聴きやすくて、フリージャズにはいっていくには最適なアルバムかもしれませんね。
花野夏さんからのコメント。
こんにちは、花野夏です♪
僕的には『ラジオのように』の1曲目、タイトルナンバーの冒頭30秒ほどを聞いたところで、
「ああ….こういう世界があるんだ….!ものすごく気持ちいい!!」と強く感じました。タイコもベースもどこか音が上ずっていてめちゃくちゃ不安定で気持ち悪いはずなのに、何だかすごく気持ちいい。管楽器は明らかに音が外れていてその音も汚くてめちゃくちゃ気持ち悪いはずなのに、何だかすごく気持ちいい。ボーカルは圧倒的なウィスパーヴォイスでほとんど語りに近い部分も多く「もはや歌ではないな」と思わせるのに、何だか妙に音楽的。1975年頃、僕の友人の間では、このアルバム(リリースは1970年)を雰囲気重視で聴く傾向がありましたが、そういう連中はフリージャズの世界には入りませんでした。1曲目の4分15秒から5分25秒までの70秒間にフリージャズのエッセンスが詰まっているように感じます。これを聞いて「おお!!」と来る人は『ようこそ!フリージャズの世界へ!』です(笑)。ではまた♪
指定の個所、聴きなおしてみました。
おお、やっぱり!
おぉ、ヴォーカルが入る直前に、
マラカイが思い切りベースの弦をスライドさせたぞっ!
花野夏さんからの返信。
>おぉ、ヴォーカルが入る直前に、
>マラカイが思い切りベースの弦をスライドさせたぞっ!ビョ~~ン♪それそれ!それです!(笑)。
さあ、これからアート・アンサンブル・オブ・シカゴ祭りです!
それではまた♪
やっぱり、そこ、ツボってましたね!(笑)
花野夏さんからの返信。
🤗
Jさんからのコメント。
不思議系ですか ラジオのように は さすがに AEOCに興味のないひとには 入りづらい気がします でも たま~に聴きます
クラシックのエリックサティのような 存在ですか まあちょっとニュアンス違いますが(ジャズは全身に サティは心のある領域に訴えてくる)
アミナ/ヤリル epic を久々に取りだし聴いてみる🎵
どちらも フレンチ 中東 の風が吹き アミナは チュニジア出身の歌手で 鬼才マルタンメソニエ プロデュース 細野晴臣とも関係あった人のようです ラジオのように は アフリカの風味もありますが ヤリル(夜)は インドやポップな アラビア色かな~
J
Tetsuo Nambaさんからのコメント。
フランス語で鼻歌を歌うのはズルイ。小悪魔にオヤジがメロメロになる構図。
長谷川孝二さんからのコメント。
「ジャズ評論は自己紹介」は正にその通りだと思います。
本来なら自己紹介する時って人は自分の話を快く(こころよく)聞いて頂くためにも謙虚に紹介します。
だから傲慢なジャズ評論な話を聞いてると、まるで「俺は○○をして評価を得て来たんだ!」みたいな自慢話みたいに自己紹介されると、聞くのも辛くなって来ますよね。それと同じことを評論家はしてるので(もちろん全員ではない)僕は苦手なのです。
確かに議論が全て悪いとは思わないし、僕も議論で熱くなって少し口調が荒くなったことは過去にあります。しかし、それは議論していた結果であって決して「今日は議論で激しく戦うぞ!」みたいなのとは違うのです。
だけどジャズ議論に限らず、お酒の席での議論の多くは【議論して戦うことを目的】にしてるかたが多いと思うのです。だからそれほど相手の意見に内心は憤っていないのに【無駄に】戦っているんですね。
昔あるところで若者に議論ふっかけられて、こっちも適当に流したくないから「面倒くさいなぁ」と思いながらもそれに乗っかりました。
そして若者が最後に言いました。「今日は楽しませてもらいました☆」
……正に、この言葉に全てがあると思いました。僕は議論を楽しむ為にしたのでは無くて、ちゃんと向き合って乗っかって議論に加わったのですが【彼は、自分の快楽の為に僕を刺激して快感を得ていた】のです。
こういう方はよく考えて自覚していただきたいのです。
【己の脳内麻薬を分泌させるために、相手を利用するのはちょっとした犯罪行為、パワハラに近いもの】ということを。
だから僕は某「寺○○国」さんとか苦手なんですよ。以前の動画にコメントした時の雲さんの返信にあったように「読者が求めてるから出版社側から需要がある」ってもちろんその通りなのですよ。「読者が求めてるから、売れるから」その理由で【ある演奏家をディスってそれをお金に変えてる】ことが意識的にしても無意識的にしても【傲慢】で良くないと思うのです。それって売れるために芸能人ディスってその芸能生命を脅かすメディアと同じだと思うのですよ。僕のこの考えって極端でしょうかね?意外とその世界にいる人は知らずにこの感覚がマヒしていると思うのです。あの時某「寺○」氏に対する返信をすぐに返さなかったのは、このような【少々言いづらい僕の気持ち】があったわけです。
もう一度いいます。議論が悪いとは思わない。正直に真摯にに向き合って議論になるなら議論をどんどんしていいし、結果的に楽しむこともできる時もあります。しかし【議論のための議論】になると、たちまち精神レベルの低いものになるし、【被害者】も現れます。
長文失礼しました。
極端じゃないと思いますよ。まさにその通りだと思います。