トレーン没後9年の特集
昭和51年7月に発売された『ジャズ批評』24号は、コルトレーン特集です。
正確には「特集:コルトレーン・フォト・アンソロジー」。
なだけあって、来日したときのコルトレーンの写真がふんだんに掲載されています。
電車(新幹線?)の中でフルート吹いたり尺八吹いたりしとります(笑)。
なんだか、すっごくカッコいいポーズで車窓を見ています(笑)。
今度は、ホームでフルート吹いとります(笑)。
全体的に奥さんのアリスも写っている写真が多い印象です。
レノンのほうの「ジョン」さんも、一時期、傍らにはヨーコさんがいたのように、こちらの「ジョン」さんにも、アリスさんが常にいる感じですね。
いやはや、移動中の車内でも列車のホームでも楽器を練習しているコルトレーン(苦笑)。
いちいちポーズが決まっているコルトレーン。
これって、多分ですけど、構図もポーズも決まっているところから「スナップショット」じゃあないと思うんですよね。
おそらく「コルトレーンさん、じゃあ楽器吹いてるところお願いしまーす!」なんてカメラマンやらプロモーターやらに促されてのサービスショットなんじゃないかと(推測)。
だって、尺八まで吹いてるし、これって日本のファンへのサービスの要素が多分にあると思うのですよ。
もちろん、貪欲な探求心を持っていたコルトレーンのことだから、本当に電車の中で尺八を吹きたくなったから吹いていただけだったのかもしれないけど。
このようにコルトレーン没後9年を経て、コルトレーンが残した足跡を改めて振り返る特集だったわけですが、個人的には「時評」という目次直後に3つ連続で掲載されているエッセイ(?)が面白かったです。
大学教授の鍵谷幸信、フリージャズ評論家の副島輝人、ジャズベーシストの翠川敬基の3人による、それぞれ見開きページのコーナーなんですが、そろいもそろって皆さんがの不満と「ジャズかくあるべし」が一致しているところが興味深いです。
そのような「あつい(熱い?暑い?)」時代だったんでしょうね。
そのことについて語った動画をアップしました。
熱気の「熱」もあてはまるし、
暑苦しいの「暑」もあてはまるんで、
サムネールは、ひらがなで「あつい」にしています。
コメント
視聴者の皆さまからコメントをいただいております。
高松貞治さんからのコメント。
昔のジャズ批評は、なにか分けがわからないが、色々あって分厚く、読んだなぁと思ったものですが、今のジャズ批評は薄くて購買力を失ってしまいます。😭
その混沌さが、雑誌としての生命力だと思います。
>>なにか分けがわからないが、色々あって分厚く、
今は、雑誌以外にもメディア全般の傾向として、昔に比べると広告主への配慮とかなんとかが厳しくなってきているような気がします。
だから、出広主の商品は悪くいえない。
広告は大事な収入源。
必然的に奥歯にものがはさまった記事が増える。
批評系や糾弾・ゴシップ系の雑誌の衰退はこのあたりの事情があるのではないかと思います。
広告入っていて、バリバリ元気なのって、今や『文春』くらいなものなんじゃないかと思います。
高松貞治さんからの返信。
その通りだと思います。ジャズ批評だけでなく、他の雑誌でも頑張ってほしいと思いました。何もかも、言葉狩りに会うのではないかとビクビクしながら雑誌を作ってほしくないです。あ!ついでですが、ジャズ批評最新号早速買ってきます!
ありがとうございます。
昔の『ジャズ批評』をみた後に、今回のピンク色の表紙の『ジャズ批評』を見ると、ほんと隔世の感がありますねぇ。
あ、今が悪いといっている意味ではないですよ。
雑誌のテイストって時代を映し出す鏡なんだなぁ、と。
イヤダローさんからのコメント。
コルトレーンがいくら練習熱心だからっていって、電車の中では練習しないでしょう(笑)。そういう臭い演出からも時代を感じます。
時代を感じますね~。
写真を見るかぎりですが、けっこう構図もポーズも決まったショットが多いんですよ(笑)。
私は見るのが初めての写真ばかりでしたが、これを見たコルトレーンファンは狂喜乱舞したのではないでしょうか。
おおぉぉおぉ、コルトレーンがホームでフルート吹いとるわっ!って(笑)。
御駄賃取郎さんからのコメント。
いやああの頃は熱かったですねえ!みんな燃えてましたねえ!ちなみに当時のSJ編集長の児山氏によれば「クロスオーバーとは異なるジャンルが交わること(広義で使う)でフュージョンとはあくまでジャズを中心として他のジャンルとまじわること(狭義で使う)」だそうです。今こうして聴くと私は高野さんの感想・ご意見のほうがとても面白いです!自分も過去にジャズ関係の本を数百冊ブック◯◯で処分したことがありますが、◯千円でした。目方買い?はほんとうなんだなと思いました。図書館への寄付もかんがえましたが慇懃にことわられました。
本当、「オフ」は目方買いですね。
あとは、綺麗・汚いにもこだわりますよね。
新品っぽい内容と、話題っぽい著者だと高く引き取ってくれるようで。
半年くらい前に私も、例の「オフ」に、いらない古本持ってったんですが、だいたいが10円とかそんなもんでした。
しかし、なぜかメンタリストDaiGoの本だけは700円くらいの値段がついた記憶が。で、そのしばらく後に、 DaiGoが「生活保護の人に食わせる金があるんだったら猫を救ってほしい、ホームレスの命はどうでもいい、邪魔だし、臭いし」などの差別発言で大炎上。
炎上後にDaiGo本を売りに出したらどれくらいの値段がつくんだろうって思いましたけど、有名人だとやっぱり売れるとみなされてそんなに値段変わらないのかなぁ?
それにしても、慇懃にことわってきた図書館よ、あとで後悔することになるぞい!(謎)
ねんnenさんからのコメント。
最近教えて頂きました、新幹線で東奔西走のメッチャは~どなツアーだったと!
当時私は20歳、既にボロボロの記憶の彼方ですが、今も鮮烈に忘れられないシーンを覚えています。
大阪フェスティバルホールの公演での事です。
開演ブザーとともにステージの袖からゾロゾロとメンバーが現れ、無言、司会らしい司会もなく突然演奏開始! 2~3曲ぶっ通しで90分ぐらい(だったと思う)。
終われば元來た袖へゾロゾロと退席、無言。
私も、おおかたの聴衆もアッケにとられてポカーンとしてました。わずかな静寂の後、我に返って大拍手。でも、その時の演奏については身体中が熱かった以外は良く覚えていません。
良くも悪くも前衛?ジャッズのパワーをガツーンと体感出来た夜でした。
半世紀以上経っても、やっぱりコルトレーン聴いてます。
生で体験されたんですね。
うらやましいです。
>私も、おおかたの聴衆もアッケにとられてポカーンとしてました。
『アガルタ』『パンゲア』のマイルスのライブもそんな感じだったみたいですよ。
日本のファンがレコード聴いてイメージしている音は、彼らにとっては昔の出来事で、その数歩先の状態で来日しているわけですから、ギャップを感じるのは仕方ないですよね。
でも、理解できる・できないとかを超えて、あのパワフルな音を全身に浴びれたことは、人生の中においての貴重な財産になったんじゃないかと思います。
長谷川孝二さんからのコメント。
コルトレーンが電車の中で練習しているエピソードって、やっぱり演出なんですかね?(笑)僕はすっかり信じてましたよ(笑)。
てかこのエピソード読んで、やっぱりコルトレーンって空気読めないヤバいやつなんだなぁ。だからここまで極端な極め方出来るんだろうなと思ってました。それに癌の末期だったので痛み止めのモルヒネが常にキマっているからこのエピソードあり得るなと思いましたし。それとインタビュー時に「最後に一曲吹いてくれませんか?」に対して、40分くらい吹き続けたエピソードにも、やはりコルトレーンの集中は凄いみたいなこと書いてるの読んだことありますが、これが本当なら僕は単にモルヒネで時間が止まってただけだと思っています(笑)。
なるほど~、だとすると「天然」だったんですかねぇ。
私は「電車の中でも練習していた」というエピソード(伝説)は知りませんでしたし、写真のほうも初めてて目にするものが多かったのですが、いちいち構図がバシッと決まってるんですよね(笑)。
だから、ファンサービスということで、カメラマンの要求に応えたんじゃないかと推測しました。
もしモルヒネ効果だとしたら、モルヒネが決まった状態でも、ポーズがいちいち決まっているコルトレーンは、やはり只者ではないですね。
というか、モルヒネおそるべし!
再び御駄賃取郎さんからのコメント。
あの頃トレーンが「私は神になりたい」と語りSJ誌上では圧倒的に「だろ?やっぱしな?すげえだろ?」風がおおかったが岩波洋三氏だけが(ついにきたか・・あやしいと思っていた。)と書いて私はボックス入りのライブインジャパンを買ったばかりだったので後悔しました。ww不思議なことに「俺はビートルズ来日公演を生で見た」というと一目おかれましたが「トレーンの来日公演を~」と叫んでも「へ~」で終わるだけでした。(笑)
コルトレーンの来日公演は、地域によってはガラガラだったみたいですからね。
いっぽうでビートルズのほうは、読売新聞社へのはがきの申し込みは20万通以上だったとのこと。
「ビートルズ観に武道館に行ったら退学」という高校もあったそうです。
( ゚Д゚)
カトウシュンさんからのコメント。
日本の電車内で練習してるコルトレーンがシュールですね(笑)
はい、シュールです(笑)。
てか、コルトレーンでかい!
それとも、日本人のサイズに合わせた電車のシートが小さいのか。
若木彰さんからのコメント。
正に、この「ジャズ批評24」持っています。
当時は、「スイングジャーナル(SJ)」が全盛期で、「ジャズ批評(JH)」は少しマイナーでした。
しかしSJがやや派手で、多少商業ベースなところがありましたが、JHは地味で、少し頑固さを持っており、ジャズ硬派ファンに好まれていました。
JH読んでると、少し鼻が高かったですよ。
送っていただいた昔のジャズ雑誌を見比べると、そんな感じがしました。
なにしろ誌面の作りからして、SJ誌のほうが豪華ですからね。
カラーも多いし。
ジャズを楽しもう!って感じがします。
それに比べると、JH誌は活字がギューッと詰まっていて、なんとなく小難しく学問せなあかん、ジャズ修行せなあかんというような気持ちになってくるような雰囲気です。
現在のJH誌からは感じられない硬派な雰囲気がありますね。
現在のJH誌は、かつてのコワモテJAZZ学徒たちが年をとって角が取れた感じ?がします。
章 副島さんからのコメント。
私もジャズを聴き始めの頃 SJとjazz批評は購読しておりました jazz批評は文藝評論誌みたいな感じで評論家もジャズ啓蒙家みたいな意識がありました 高野さんがおっしゃった幕末でしたね正に コルトレーンに関しては ファンの立場から言うと 黄金のカルテットでは来日しないまま亡くなってしまった事がその後も 尾を引いたのが 誌面で熱い論争になったのだと思っています もし来日が黄金のカルテットだったら又違っていたと思います 高野さんがお好きな Sテイラーも良く開国か鎖国かみたいに論争になりました 当時は 楽器すら触った事がなくても 過激な話題を提供する文章が書ければ歓迎されました 鍵谷さんは その典型ですね 今の家を建てた際 大量のsj誌をデスコグラフィだけ切り取り処分しましたがjazz批評は残しました 別冊で出た分厚い 「私の好きな一枚のジャズレコード」だったかな? 此に寄稿された 故 藤岡 琢也さんの 上京後にVデッケンソンのヴァンガード盤を苦労して入手する話は感動しました ネット検索すればほとんどの音源を簡単に聴け、駅前の楽器店や部活でjazzを習うことも出来る時代だから 「批評とは結局は個人の好き嫌い」と悟りつつ 今の若い方のジャズを聴くようになったきっかけ等のプライベートな情報に興味があります 高野さんの視聴者の皆さんへの返信コメントが大変興味深く読ませて戴いております 収集にばかりお金と労力を費やして来て 振り返れば 多分 一生聴かない量になってしまいました ベテランのファンの皆様はどうされておられるのでしょうか?この点が知りたいですね
当時の「リアルタイム読者」の方による貴重なご意見、ありがとうございました。
やはり、「そんな感じ」だったのね、と思いました(笑)。
>当時は 楽器すら触った事がなくても 過激な話題を提供する文章が書ければ歓迎されました 鍵谷さんは その典型ですね
鍵谷先生には失礼かもしれませんが、「時代の徒花」という言葉がふと頭によぎりました……。
>振り返れば 多分 一生聴かない量になってしまいました ベテランのファンの皆様はどうされておられるのでしょうか?
これは、ぜひ一度、視聴者の皆さまに問うてみたいことですね。
私も知りたいですし。
私の場合は、このようにジャズ好きな人と、文字のやり取り(ときにはオフ会なども含めて)を交わしてるので、その中で「あ、そういえば、こういうのもあったな」と思い出して聞き返してみたり、紹介したりしているので、比較的まんべんなく色々なジャズを聴く生活を送れていると思います。
しかし、このようなやり取りがないと、きっと自分好みの狭い範囲のものだけをグルグルと飽きもせず繰り返し繰り返し聴くだけの生活になっていたと思います。
これは私だけなのか、それとも一般的な傾向なのかはわかりませんが、所有枚数が増えるにしたがって、自発的に「よし!今日はトロンボーンをきいてみよう、ヴィック・ディッケンソンはしばらく聞いてないからな」と考えることって少なくなってくるのではないかと。「いろいろあり過ぎて、今、何を聴いていいのか分からない症候群」に陥る人って意外と多いような気がするんですが、どうなんでしょうね。