昭和52年のジャズ批評、鍵谷先生の「時評」がスゴい

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日本人ジャズマン特集

昭和52年の2月に刊行された『ジャズ批評 No.25』。

この号は凄いですよ。

特集は日本人のジャズマン。

実力派から、今後の活躍が期待される若手ジャズマンまで、数多くのジャズマンが紹介された、非常に充実した誌面となっています。

総勢200名前後のジャズマンが紹介されているんじゃないかな。

森山威男、迫力!

中村誠一、音が聞こえてきそう!

渡辺香津美、若っ!

古澤良治郎、今も昔もあまり変わらない?!

当時の期待の新人もたくさん取材し、掲載されています。

住所、電話番号まで掲載されているのには、時代を感じますねぇ~。

いやぁ、誌面からは雑誌作りの熱量が伝わってきます。

丹念に、若手ジャズマン一人ひとりを取材し(電話取材や手紙のやりとりなどもあったのかもしれませんが)、一冊にまとめていったんでしょうね。

活版印刷の時代で、DTPの片鱗すらなかった時代ですからねぇ。
頭が下がります。

お宝貴重本ですわ、これ。

この本、無料でくださった かまいちさんには感謝です♪

この『ジャズ批評』25号を紹介する動画をアップしました。

しかし、個人的にギョッとなったのが、鍵谷幸信教授の「時評」。

公演会のパンフレットについての不満を色々とお書きになられていますが、その中でのマッコイ・タイナーに対しての「あの一言」が凄い!!!
(;゚Д゚)

コメント

視聴者の皆さまからいただいたコメントをご紹介いたします。

寺島評論

長谷川孝二さんからのコメント。

確かに、僕も寺島さんの評論文見つけると読んでしまいますね。
そして読むたび「また言ってるよ!」って僕は怒ります(笑)。
それでも、また見つけると読んでしまう(笑)。
たまには良いことも書いてます(爆)。

はい、たまには良いことも書かれていると思います(笑)。

昔、昔になりますが、あまり馴染みのなかったウェスト・コースト・ジャズも、「ちょっと聴いてみようかな」となったのも、寺島氏のバド・シャンクの記事の存在が大きかったような気が。

あと、バド・パウエルの《スウェディッシュ・ペイストリー》を評価されている短文を読んで嬉しくなった記憶もあります。

長谷川孝二さんからの返信。

そう言われてみると、僕も寺島氏のレビューをキッカケにジャネットサイデルを聴いてハマってライブも聴きに行きましたからね(笑)。ジャネットサイデル4年前に亡くなったんですね…

ジャネット・サイデルはスルーしちゃってましたねぇ。
というか、えっと誰だっけ?と慌てて検索かけてみたり、と(笑)。

暇なとき、聴いてみます!

長谷川孝二さんからの返信。

最近よく感じることは「アクの強いボーカルだけしか認めないという人は、ある意味メンタルが健康だから刺激が欲しいのかも知れない」と考えています(もちろん全ての人とは言わない)。
色々なメンタルハードなことあるとやはりひたすら癒される音を求めると思います。その証拠に餓死とかするような貧困な国ではアバンギャルドは本当に自己破滅型の人以外は聴かないと思う。
ある意味アバンギャルドじゃないと物足りないメンタルは贅沢なメンタルかと思います。
あまりにメンタルやられるとコルトレーンもキツいです。
コルトレーンさんごめんな西城秀樹ッンローラァッ!(笑)

私は、あんまり激しくメンタルやられたことがない(鈍感力)か、あるいは記憶に残っていないだけなのかもしれませんが(忘却力)、でも仰ることわかるような気がします。

やっぱり過激なものを作ったり、求めるたりするのって、基盤には豊かさがあるんじゃないかと思うからです。

食文化もそうじゃないですか。

食文化があまり豊かとはいえない国は、とにもかくにも砂糖と油(笑)。
腹と舌が満たせればそれでいい、って感じだと思います。

それに対して、微妙な苦みとか、ほんのりしたコクとか、チーズに虫がはいってるとか、酒瓶にヘビがはいってるとか、木片の煙でじわじわ燻すとか、カビや発酵でより一層食材のポテンシャルを引き出すとか、そういう凝ったこと(ある種アヴァンギャルドなこと?)してるのって、基本、資源や文化が豊穣であるという土台が前提のような気がするので。

それと同様に、音楽も「ギャルドなこと」に挑戦できる人って、基本、土台となる教養はあるんだけど、それに飽き足らない人が多いような気がします。(オノヨーコとか?)
あるいは、べつに過激な表現が売れなくても、きちんと食っていけますよ的な経済基盤のある人とか。(オノヨーコとか?)

受け手(聴き手)も同様で、そのような「神々の遊び(?)」か「貧困や不満の雄たけび」につきあえる人は、どこか心に余裕がないと難しいような気がしますね。
(もちろん、そうじゃない人もいるんでしょうけど。)

寺島マスターと鍵谷教授

高松貞治さんからのコメント。

鍵谷幸信さん、大学教授と言うだけでもてはやされているとは聞いていましたが、動画を聞く限り、本当はジャズの事何もわかってないですよね(笑)

ジャズをご自分の守備範囲(文学や美術?)に引き寄せて語ろうとしている姿が、なんとなく寺島靖国氏(赤坂ムード歌謡テイストのラテン音楽?)とかぶるんですよね。

ま、人それぞれ好きな領域や得意分野があるし、私もその気はあるので(ベース、YMO)、あまり人のことは言えないのですが……。

高松貞治さんからのコメント。

辛口JAZZノートにも書いてあるように、寺島靖国さんは鍵谷幸信を大好きだって言ってますしね。

たしか、鍵谷先生は「メグ」でレコードコンサートをされたんですよね。そのエピソードについて書かれた内容はなんとなく覚えています。

ガトー・バルビエリをかけ、「やはりガトーは偽物ですね」というようなことを(うろ覚え)仰ったそうな。

すると、客席から「あなたは人の心の悲しみをわかっていない!」といいうような(うろ覚え)野次が飛び、「そうだ!そうだ!」と賛同の声があがったというようなエピソードを読んだ記憶がありますが、これって、『辛口ジャズノート』だったっけかな、『ジャズリクエストノート』だったっけかなぁ(うろ覚え)。

高松貞治さんからのコメント。

そのエピソードは『ジャズリクエストノート』だと思いますが(うろ覚え)、辛口JAZZノートには、慶応大学の先輩の牧芳雄が「カギヤ、きみちょっとイージーリスニングを歌ってみろよ」と言われて鍵谷幸信は歌うどころか曲の存在すら知らなかった、と書いてあり、鍵谷幸信はやがてジャズ界から引退し、同時にジャズに取り巻いていた一連の文化人・学者グループも潮をひくように去っていったと書いてありました。寺島靖国さんはジャズ界に平和が訪れたと書いてありますが、鍵谷幸信はジャズ界の淀川長治のようなもので、氏の文才については、どんな評論家でも敬意をはらわざるを得なかった、と感心しています。しかしジャズ界の淀川長治とは大分評価が高いですね。

『リクエストノート』のほうでしたか。いやはや失礼しました。

文体よりも、文才のほうを称讃するために引き合いに出したのでしょうが、それにしても、淀川さんの明解な文章とは、ぜんぜん違うような気が……(汗)。

「ジャズ界に平和が訪れた」って(笑)、鍵谷先生とその取り巻きは、当時は一大勢力だったんでしょうか?
ま、「面倒くさい人たちが減ってせいせいした」という意味なんでしょうけど(苦笑)。

マッコリ呑みたいな

再び長谷川孝二さんから。

マッコリ呑みタイナーの顔以前の顔
ウケる(笑)

マッコリ飲みたいな~(笑)
↑うまい!

SATOSHEEE Eさんからのご指摘。

「鍵谷」だと思います。

すいません(汗)、概要欄に「鍵屋」と書いてしまっていました。

これじゃあ、「カギお助け本舗」や「カギの110番」になってしまいますよね。

慌てて治しました。

個人情報

Kouさんからのコメント。

1968年刊行の粟村政昭氏のジャズ・レコード・ブックにも奥書で住所が書いてありました(ビックリ)。

たぶん、住所、電話番号を掲載するのは、90年代中頃まで続いたと思います。
私も、90年の頭頃は、思いっきり住所・電話番号書いたメンバー募集の紙を、楽器店やスタジオに貼ってもらってましたし(もちろん他の人も皆)、「メンボ(メンバー募集)」が売りの『BANDやろうぜ』も2004年まで刊行されていましたからね。

個人情報うんたらで、住所や電話番号のっけるとヤベーぞみたいな風潮になったのって、比較的最近になってからのような感じがしますね。

イヤダローさんからのコメント。

昔は、野球の選手名鑑とかにも、選手の住所書いてたんですよね(笑)。今では、絶対にありえませんが。。。牧歌的な時代だったんですよね。

そうだったんですか。
>野球の選手名鑑とかにも、選手の住所書いてたんですよね(笑)。

個人情報云々の概念のなかった時代ですからね~。

雑誌『バンドやろうぜ!』の「メン募(メンバー募集コーナー)」も、住所・氏名・電話番号が普通に載っていて、それがひとつのウリでしたし、
雑誌『ムー』の文通募集コーナーも、一時期大量に「アトランティスの前世の記憶を持つ戦士の方は、こちらの住所にお便りください」というような投稿がいっぱい掲載されていたことを思い出しましたw

イヤダローさんからの返信。

昔がルーズ過ぎたのか、今が世知辛いのか。しかし、ムーのアトランティスのお話しは笑えますね(爆)。凄いエピソードだなぁ。

「自分が光の戦士だと思う方、連絡してください」

「私の守護神はアポロンですが、同じ系列の仲間を探しています。古代ギリシアの地中海に生きていた過去世の記憶がある方、お便りください」

みたいな、爆裂投稿(?)が面白かったこともあり、一時期、私は『ムー』や『トワイライトゾーン』の愛読者だったんですが(爆)、これはあとで知ったことなんですが、

これって、『花とゆめ』という雑誌に連載されていた『ぼくの地球を守って』というマンガに影響された人たちの投稿だったみたいですね。

なーんだ、と思った記憶があります。

くまが集う喫茶店さんからのコメント。

ミュージシャンの住所、電話番号
(^o^;

僕もそれが書かれた昭和52年頃の
書籍を持ってますが
めっちゃ個人情報ですよねw
(^o^;

昔は平和だったんですねえ。
因みに僕が橋本一子さんを
知ったのは坂田明さんの
『ベルリン28号』でした。
(中学時代にLP購入)

坂田明さんとも共演していたんですか?!
知りませんでした!!

西脇順三郎

原田明さんからのコメント。

ワハハ、いくらなんでも顔以前の顔(だったらなんなんだ)はひどい。
わたしは高野さんより随分上の世代で、スイングジャーナルにコーシンサンが現れた頃を覚えています。確か70年より後だったような。わたしはそれ以前に彼を詩人の西脇順三郎の解説者として知っていました。西脇の詩にもカギノヤとして登場しますよ。それだけに自負があったんでしょうね。しかしジャズ評論家としてはまあ主流ではないですよね。でも時代の雰囲気といえば雰囲気なのか。
われわれの世代の評論家などからは、政治的なことにしろ最近批判というものを嫌う風潮があるというようなことも言われていますね(某批判ばっかりとか)。SNS上ではやたら過激な言葉が飛び交ってはいるのですが。
すみません、ジャズと関係ないことで。

なるほど~、ありがとうございます。

西脇順三郎で調べてみたら、門下生だったんですね。

鍵谷 幸信 (かぎや ゆきのぶ、 1930年7月26日 – 1989年1月16日)は英文学者、詩人、音楽評論家。 [略歴] 北海道旭川市出身。 慶應義塾大学文学部英文科卒。 慶大法学部助教授、教授。 現代英米文学を専攻し、「エリオット詩集」「ウィリアムズ詩集」などの翻訳や研究書を発表。 西脇順三郎門下の詩人で、西脇の全集編集にも携わる。 現代美術・音楽、ジャズにも造詣が深く、エッセイも多数執筆、「コーシンさん」の愛称で親しまれた。
こちら

どうりで、ライナーノーツなどを読むと、難解というか小難しいというか、ポエジーというか(笑)な言葉がいっぱい使われているわけだw

もちろん、鍵谷先生の著作は読んだことはないので、どのような文体で、どのような論を展開されているのかは分からないのですが、ジャズを近代詩や近代美術と同じ遡上で論じようという姿勢が感じられんですよね。

そこが、当時、リアルタイムでも主流とはみなされていなかった原因かもしれませんね。
>しかしジャズ評論家としてはまあ主流ではないですよね。

原田明さんからのお返事。

まさに的確なご感想です。でも彼もスイングジャーナルではこれほどではなかったような。ジャズ評論(あ、ジャズ批評だった、訂正です)という雑誌の性格もあったのでしょう。
それにしてもそんな雑誌にオーディオ、レコード会社があふれるほどの広告を出していたというのは、出版業界にとってもほんとうにいい時代でしたね。
Jazzについてはまた。

ありがとうございます。

>雑誌の性格もあったのでしょう。

これでひとつ思い出した会話があります。

先日、昔の雑誌を大量にくださった方と飲んでいたときに、ジャズ雑誌の話題になったのですが、その方の仲間内では、雑誌を政党にたとえると「、SJ誌は自民党(与党)で、JL誌は野党、批評誌やJAZZ誌も野党は野党でも革新よりの政党」みたいな喩え話をしていたそうです。

言いえて妙だと思いました(笑)。

与党と革新野党

御駄賃取郎さんからのコメント。

SJ誌は自民党(与党)で、JL誌は野党、批評誌やJAZZ誌も野党は野党でも革新よりの政党」 実に上手いたとえですね。まさに全面的に同意です!鍵谷先生のことは仲間うちでは「◯◯ラが知恵つけて、服を着たような顔してるよな!」との評価でした。(笑)
なにごとにも批判勢力(なんでも反対!)は必要ですよね。でもSJがなくなってもこういう場(高野さんのページでのコミニュケーションのような)ができるとは想像さえ出来ませんでした。 生まれてはじめておそるおそる東京のジャズ喫茶に入る時入り口付近で小一時間ほども逡巡した記憶があります。「ええい!!地獄に落ちろ!」と一大決心が入りました。当時田舎モンの私には「地獄に堕ちる」くらいの「魔窟」そのものでありました。。

わはは、ありがとうございます。

あまりに秀逸な喩えだったので、それを聞いたときは笑ってしまいました。

ただ、今思えば、SJ誌は「名盤党」と「オーディオ党」の連立政権のような気がしてきました(笑)。

ジャズ喫茶は、私も最初は怖かったですよ~。

入口も怖いし、入った後の真っ暗で大音量で、怖そうなオジさんたち(渋谷「Swing」)。
まさに、「魔窟」そのものでした。

でも慣れると居心地良くなっちゃうんだなぁ、これが。

「ジャズ的な環境」に合う体質と合わない体質ってあるんじゃないかと思います。

カトウシュンさんからのコメント。

鍵谷先生の批評が面白いですね。ここまでやると清々しく感じます。
しかし、この時代にSNSがなくて本当によかった(笑)

同感です!
すがすがしい!(笑)
暑苦しいけど、すがすがしい!
後期コルトレーンの長尺演奏を爆音で浴びた後の爽快さみたいです(違)。

高踏派

御駄賃取郎さんからのコメント。

あの時代の鍵谷先生の存在は、今でいうパヨク対ネトウヨ・バトル?のようで面白かったですね。互いにあきれつつ互いをバカにしつつも妙な連帯感(仲間意識)?を感じていたりして。(笑)そのデンでいえば私はネトウヨ派なので鍵谷先生の論はありがたくも?バカにしつつ(無理があるなあ。。)と敬って遠ざけていました。そんな自分でも年に数回は改まり、緊張感を持ってジャズを聴こう!と思うことがあり、そんな時にはフリー・ジャズよりもさらに難解な(自分には)ウエイン・ショーターのアルバムを聴きます。ショーターはよく、文学でいうところの高踏派ともいわれますが私にはまさに意味不明の念仏、いや、ありがたい講話のような感じです。w ところで私が一番意外性を感じたのは、あの(エロ風ジャケット)と揶揄されたヴィーナス・レコードの第1回発売がなんと!ESPレーベルのCD化だったということを後から知ったことでした。なんでもそれがレーベルを起こすにあたり最大の「夢」だった、とインタビューで知りました。

本場フランスの「高踏派」については存じませんが、日本では森鷗外、堀口大學だと高校の文学史で習った記憶があります。

だとすると、「めちゃくちゃ教養があって近寄りがたい存在」みたいなイメージを勝手に抱いているのですが、たしかにショーターにもそういう風格があるかもしれませんね。

とはいえ、小学生の時に塾で習った堀口大學の誌はわかりやすくて、情景が浮かんできて好きでした。

空のせきばんにかもめがABCを書く
船が散歩するたばこをすいながら

みたいな詩です。

子ども心に響きました(笑)。

ショーターでいえば『ネイティヴ・ダンサー』あたりでしょうか(無理矢理こじつけ)。

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御駄賃取郎さんからの返信。

wwすいません。私の豚耳にはあの60年代のマイルスクインテットをつまらなくしたのも、その後の諸作品を聞いても(何がいいたいのだろ?寝言は寝ていえ!としか聞こえず、そのあたりが「高踏派」たる所以(つまり夢の世界で一人よがる奴)としかわかりません。

持論・独断ですがこうゆー連中がジャズをどんどん非大衆化したんだと想います。。(._.)

マイルスに関してはよー分かりませんです。
あくまで私にとってですが、あの頃の表現こそ、ものすごく私の感性にビシバシくるんですよ。難解さとか、謎さとか、スリリングさとか、全部ひっくるめて。

4日に自宅からオフ会生配信する予定でいるんですが(全員酔っぱらって配信できなかったらゴメンなさい)、その時、もし楽器弾けてなおかつ手伝ってくれる人がいたら、モードジャズ以降の「楽器遊び」の面白さを音を出しながら解説できればなーと思ってますが、今書いてて気づいたんですが、「やってる人」のほうが数倍楽しいのかもしれませんね、あのへんのアプローチは。

ということは、まあ聴いている人は置き去りになってしまっている可能性もないわけはないわけで、ま、夢の世界でヨガリんこな「高踏派」とみなされても仕方ない側面もあるかもしれぬやとたった今、考えました(明日になると変わっているかもしれませんw)。

ただ、実際、マイルス黄金のクインテット(第二期:ショーター、ハンコックの時代)は、世評では評価高いですが、セールス的には今一つだったんだそうです。

ただ、それは後期コルトレーンも同様なんじゃないかと。

たしかに原因は、大多数の音楽中心生活をしているわけでもない「普通の人」の理解と情報解析能力をはるかに上回る速度で、次から次へと新たな試みを発表しまくっていたジャズマン側にあるのかもしれません。しかし、それを伝える役割の評論家やメディア側にもあったような気がするんですよね。

本来であれば、「一般大衆」にもわかりやすく嚙み砕いて説明すべきところを、逆にかえって難しく、かつヤヤコシくしているような。

それどころか、自らの権威を押し上げる題材や、知的に鎧うアクセサリーに利用している節すらも感じられ、だとしたら「馬鹿野郎じゃねぇか(←安原顕風に)」です。

今の時代の大学生も、たとえば息子との友人なんかにも「知識でマウントとろうとする輩」が少数ながらいるようですが、そういうメンタルな人は、だいたい女にモテません(笑)。

御駄賃取郎さんからの返信。

返信ありがとうございます。高野さんのそういう姿勢が大好きです。w私の仲間にはこういう気使いのできる「論客」はいませんでした。なんだかモード奏法がつまらなくした、という話しにいきそうな気もしますね。私はいまだにモード奏法がよく理解できません。
あくまでもミュージシャン都合にも思えますが。。とまれ、ありがとうございました。
来年はロリンズのサキコロに秘められた大秘密(個人的に調べました)・(だれも気がつかなかったアプローチです)にもお付き合いくだされば幸いです。よいお年をお迎えください。

ありがとうございます!

サキコロの大秘密、めちゃくちゃ興味あります。

ぜひ来年もよろしくお願いします!

ユリイカ

博 橋本さんからのコメント。

雲さんご無沙汰いています。HIROSI HASIMOTOです。二つ折り携帯暮らしの上に手元のパソコンの具合が悪くなり、復活にも手間取ってしまい雲さんの声ともしばし疎遠となっておりました。幸いパソコンは復活し、溜まった課題(雲さんまとめ聴き)を成し終えたところです。相変わらず冴えてるサンジョルディさんの連作を楽しんでいたら何やらタイムマシンがやってきた。
七◯年代スイング・ジャーナル誌上での鍵谷幸信は威勢よく一見難解に思える文章を書いている音楽好きの大学教授の印象でした。慶応大学の教授ということでジャズのレコードを掛けての授業も有るとの事、その授業に天ぷら学生が増えたとかの噂も聞きました。S.J.誌上では植草甚一やそのほか何人かの方との対談などあったと思います。忘れられないのは粟村政明との論争です。「JAZZディスク大賞」に関してのものでした。レコードの内容というよりは選考方法・態度などについての事だったと記憶しています。鍵谷幸信イコール当時のある位置?のジャズファンにとってはちょっとしたオピニオン・リダー的な存在だったと思います。私は逆に雲さん同様「今月はアノヤロウ何言ってっかな」というところでした。粟村さんのファンでした(^ ^)
残念ながら当時のS.J.は何度かの転居の際に散り散りになってしまい手元にはほんの数冊しか残っていません。
きっとKAMAITIさんのプレゼントの中で見つけられる事と思います。
鍵谷さんは77年に集英社から『音は立ったままやってくる』『人は誰も音を聞かない日はない』ともう一冊の計三冊、四六判の評論集を出しました。前者二冊は購入しこちらは段ボール箱に詰まったままどこかにあります(場所は把握しているのですが)。
当時は多少難解なものへの欲求や憧れはありました。当時購入した『ユリイカ』などは今読んでも時に難解(^ ^)

粟村さんとの論争気になりますね。
探してみます。

昔の『ユリイカ』は難解そう。
最近の『ユリイカ』は、漫画家(荒木飛呂彦とか松本大洋とか)の特集や、アーティスト(草間彌生とか)の特集とか、ラッパー(ケンドリック・ラマーとか)の特集など、ずいぶんと丸くなってきている感じで、興味のある題材であれば、私もたまに買って読んでいます。

やっぱり難解だと売れないから、少しは我々庶民のレベルや嗜好に「降りて」きてくれているのかもしれません。

ニュー・アカデミズム

Hiromi Hasegawaさんからのコメント。

鍵谷先生は80年代のニュー・アカのはしりじゃないでしょうか。領域横断的で難解で華麗なレトリックを駆使するという点において。浅田彰の『構造と力』を今読んでも「よくこんな本がベストセラーになったな」という感想しかないんですが、年末の大掃除で岩崎千明氏の遺稿集(StereoSound社)が出てきて読みふけってしまいましたが、冒頭の「オーディオ評論とは何か」みたいな下りでベンヤミンの『複製技術時代の芸術』が出てきて、昔の人は良く本を読んで教養があったんだな、と思いました。(突き放して言えば「そういうゲームが流行った時代」ですね)

ニュー・アカのはしり、確かに!

80年代の中期から後期にかけて、なんだかやたら難しそうな本が売れてましたよね。

私も浅田彰の『構造と力』は、さっぱり何がなにやらでしたが、「スキゾ・キッズ」とか「パラノ・キッズ」というようなキャッチーなキーワードがカッコよかったのかもしれませんね。

あと、坂本龍一や村上龍など「月刊カドカワ系文化人」と接点があったことも大きいかったのかもしれません。私がそうでしたから(笑)。

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Hiromi Hasegawaさんからの返信。

スマホでググって「ふむふむ」とかできない時代だから「知らない、読んでない」とグーの音もでない、私も必死で背伸びした覚えが(苦笑)
それに関して寺島さんが「鍵谷さん経由でJazzに関心のなかった文化人も議論に加わり、Jazzファンにない発想をもちこんで盛り上がった。鍵谷先生がいなくなって、いつもの平和なJazz村に戻ったけど、それでいいんだろうか?」みたいな事を書いていて、「えっ、『鍵谷先生=泣いた赤鬼』説?」とか思ったり。

鍵谷先生・赤鬼説面白いです!

瀬川昌久氏 逝去

TAKESI0506からのコメント。

昨日、ジヤズ評論界の大御所、瀬川昌久さんが亡くなられたようですね。97歳ということで大往生とは思いますが、油井さんや野口さん達が続々といなくなり、最後の重鎮であっただけに本当に残念です。御冥福をお祈りします。

日本人で唯一、生でチャーリー・パーカーのライヴをご覧になった方ですよね?!

ご冥福をお祈りいたします。

takashi deguchiさんからのコメント。

確か鍵谷幸信はレトリックを駆使しただけで、「僕はジャズはホントは分からなかった」ってカミングアウトしたんじゃなかったかな?

公にカミングアウトしたかどうかは分からないのですが、かつて論争をしたジャズ喫茶店主にはご自宅で「ボクは分からなかった」と告白したというお話は読んだことがあります。