ジャズ評論家の青春時代~粟村政昭氏と岩浪洋三氏

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昔、『スイング・ジャーナル』誌では、「僕の青春時代」という、ジャズ評論家がご自身の青春時代を執筆するコーナーががあったそうです。

その特集内容をTAKESI0506さんがコメント欄で紹介してくださいました。
こちらの動画

ジャズ評論家の粟村政昭先生と、岩浪洋三先生の「青春時代」。

あまりにも対照的で面白い!

そして、このお二人の女性観や、物(レコード)にたいするこだわりが、評論姿勢にも表れているようで、とても興味深いです。

このことについて語った動画をアップしました。

ひとつの作品に対しても、評論家の意見は様々。
誰の言葉を参考にすべきか迷うこともあるでしょう。

しかし、評論家のプライベートや好みを把握すれば「誰の意見を参考にするか」の見当をつけやすくなるので、なかなか気の利いた企画だったんじゃないかと私は思いました。

あなたは、粟村派?
それとも、岩浪派?

コメント

長谷川孝二さんからのコメント。

「わたしには一向に良さが全くわからない」と書くところまでならば「自分がわからない」ことを認めているので、あまり問題無いのだと思うのですが、その後【まるで、これが好きな人の趣味が悪い】とでも言いたいかのような〆は、傲慢になってしまった人によくある【自分が理解出来ないものをdisるという、とてもイタいマインド】で、正直なところ「またか…」と思ってしまいますね。
好みは各々自由だし【良さが理解出来ないことは、別に恥ずかしいことでは無い】というふうに、余計なプライドを持たないほうが楽しいジャズライブを送れるのにねぇ(笑)。

「評論家の沽券にかかわる!」というようなプライドが余計な一言になっちゃうんでしょうねぇ。

2019 enchanさんからのコメント。

動画配信ありがとうございます。ぜったい岩浪さんのフィーリングを支持しますね〜。あまりに真面目に突き詰めると心の病になっちゃいますもん。要は仕事でも趣味でもどこまでリスクを取るかじゃ無いでしょうか?リスクゼロを目指すと周りとギクシャク。とはいえある程度リスクを取ろうにもどこまで取れるのか・・・人生は死ぬまで勉強ですよね。

コメントありがとうございます。
えーと、ちょっと質問なんですが、仕事はわかるのですが、趣味もリスク取るんですか?

限られた予算の中で、「もしかしたら自分の好みじゃないかもしれないけれども、逆にとんでもなく素晴らしいものかもしれない。どっちに転ぶか分からないけれども、よし買っちゃえ!」という、「危機回避」の心と「損失承知の上での冒険」の狭間で揺れ動く気持ちこと??

そこのニュアンスがちょっとわからなかったので、よろしければ補足説明をいただけると嬉しいです♪

2019 enchanさんからの返信。

コメント紹介いただきありがとうございます。返答遅くなりすみません・・・ 趣味のリスクと言っても通常は大したことでは無いですが・・・💦 おっしゃる通りどっちのCD買おうかな?とか『マイルスは絶対エレクトリックだ!!』と公言しちゃうとか・・・いずれにしろ後で取り返しのつくこと。ただし、以前知人に聞いた話で趣味がこうじて仕事休んでエベレスト登山に挑戦した人がいたそうです(こういうのがわかりやすいい例かと)。

ご回答ありがとうございます。
なるほど、そういうことでしたか。
エベレスト登山の方は凄いですね。
入山料だけで100万円くらいするんですよね?
ほか、シェルパに払う人件費だったりとか、装備にかかるお金だったりと、かなりの出費だと思います。
故・植村直己氏がスポンサー集めに苦労していたこともあったそうですが、金はかかるし、登頂できるかどうかも分からない。さらに、遭難の可能性だってある。リスクだらけです😅

高松貞治さんからのコメント。

動画のとおり、岩浪洋三さんは陽気な人で、よく若手のジャズ評論家たちから、「だから岩浪洋三さんは学者の世界の丸山眞男のようにジャズ界のオピニオンリーダーになれないんですよ!」と、確かスイングジャーナルだったと思いますが、からかわれていました。それでも岩浪洋三さんは笑っていたと思いましたから、よっぽど陽気な人なんだと思いました!ちなみに粟村政昭はレコード会社からレコードが送られてこないと、スイングジャーナルのレコードの点数がひどいことになると言われ嫌われています!

そもそもオピニオンリーダーとか、そういった権威的なものに関心のなかった人だったんでしょうね、岩浪さんは。
楽しくジャズ聴ければいいじゃん、他に何が必要?みたいな。

その一方で、
粟村さんのその話、本当ですか?!

要するに、「俺にレコードくれないとヒドいぞ!」ってことじゃないですか。
それが本当だとすると「何様じゃいな?」と思いました。

ちなみに、私の場合は、ラジオの時も、アルバムレビュー書く時も、取り上げるアルバムを持っていない時は自腹でした。経費で落ちないのでw
本も番組も、それほど潤沢な予算を使える分野じゃないんですよ、「ジャズ」ってやつは(苦笑)。

情報収集としてのお茶代(飲み代)や、資料としてのCDや書籍購入費がギャラを上回る月もありました。いや、上回る月ばかりでしたw

あと、『JAZZ“名演”ザ・ベストCD』執筆の時だったと思いますが、複数のライターの合同執筆だったので、編集部や監修者によって各執筆者の分担が振り分けられた後、もし手元に音源がない場合を考慮した「貸出制度」があったように記憶しています。あれ?音源をCDに焼いて配ってくれる制度だったかな?(忘却)

私は、たしか1~2枚所有していないアルバムがあり、焼いてもらったCDをいただき、それを聴きながら書いた記憶があります。

あと、監修者の一人が「いーぐる」のマスター・後藤さんだったので、店に行けば、優先的に私が担当するアルバムをかけてくれました。

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このように、皆、「ジャズ者」たちは、共存共栄、細々と協力しながらやっているのですよ。

時々書かせていただいている『ジャズ批評』だって、掲載誌はいただけますが、ノーギャラです。

こういうリアルを体験している私からしてみると、「レコード送らないと点数低くする(要は「レコードよこせ」でしょ?)」という姿勢は信じられん「何様じゃ」行為にうつります。

当時からジャズ評論家やライターに支払われる原稿料はそれほど高いものではなかったようで、中山康樹さんの『スイング・ジャーナル青春録(東京編)』によると、複数のライターから油井正一さんが「値上げ交渉」の「執筆者代表者」にまつりあげられて、編集部に交渉にいらしたこともあったそうです。

中山さん的には、「あの油井先生が、そんな役回りをさせられるだなんて……」と苦々しい思いだったようですね。

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ま、好きじゃないと続けられない世界ですね。

高松貞治さんからのコメント。

はっきり言えば、粟村政昭はジャズ界では嫌われ者で、その話は本当だろうと思います。今、「ジャズレコード黄金時代」と言う本を読んでいるんですが、

ソニークラークのクール・ストラッティンの評価が粟村政昭はとても低く、評価の最後には、「好材料を揃えながら薬味の不足で水準作の域にとどまった残念なアルバム」とぼろくそに、わけのわからない言葉で、これでもかって言う位、けなしています!

あ、それ先日動画で紹介したやつですねw
ソニー・クラーク『クール・ストラッティン』(ブルーノート)に3つ星半の評価をつけたジャズ評論家

高松貞治さんからの返信。

そうです!私の持っているスイングジャーナルの『ジャズレコード黄金時代』にも粟村政昭のクール・ストラッティンの評価が書いてあったので引用してみました。他にはサムシン・エルスも評価していて最高得点のですが、ここでもケチをつけていて、キャノンボールの出来如何では五つ星以上の評価出来たであろう惜しい1枚である、と五つ星をつけているのに何かしら文句をつけています。なんですかこの人は💢さらに、アートブレイキーのモーニンは評価がひどく、一言時代遅れとしか言っていません!あまりにもひどいです💢

まあまあ、
落ち着いて落ち着いてヾ(・ω・`;)ノ

今回動画で紹介した青春時代のエピソードから「なるほど、こういうタイプの人は、こういう評価なんかぁ(仕方ねーなぁ)」と悠々と構えていればイイじゃないですか。

動物園のサル山を眺めていると、やたら落ち着かないサルもいたり、のーんびりゴロゴロしているサルもいます。
同じサルでも、こんなにもタイプが違うんだねぇ~と、ニコニコ見物するような気分で、評論家の文章を読み比べるといいと思いますよ。

……って、ジャズ評論家をサルにたとえる私も、どうなんだか💦

高松貞治さんからの返信。

粟村政昭は評論家を辞めた理由は岩浪洋三さんと折り合いが悪く、評論でいちゃもんつけられて嫌気がさして、引退したみたいです。鍵谷幸信と同じでジャズのこと何もわかってないでしょ!引退して正解ですよ!せいせいしますよ!

未だ興奮冷めやらぬですのぉ……。

博 橋本さん⇒TAKESI0506さん&私

ロリンズの『コンテンポラリー・リーダーズ』日本盤(キングレコード)の SJ 誌のレヴューは多分70年だと思います。何月号で評者がどなたかはTAKESI0506 さんのお手隙の時にお教え下さい。決して急ぎません。
同時にその頃セシル・テイラーの『ラブ・フォー・セール』も取り上げられていました。
私は取り敢えずその二枚に興味を持って市内のレコード屋へ。SJ 誌の評(今となっては内容は全く覚えていません)と粟村さんの低評価のロリンズを承知の上で頭に入れて向かいました。
そのレコード店では意外になんでも試しに掛けて聴かせてくれました。しかし一度に二枚などとても手が出る訳はなく迷いに迷ってその時は『コンテンポラリー・リーダーズ』を買って帰りました。
ハウ・ハイ・ザ・ムーンが気に入って(こんなリハーサルみたいなのが聴けるんだ!)、以降お気に入りのロリンズとなりました。今でも粟村さんは通信教育の赤ペン先生の様な存在であったのだろうという気はしています。私には『クール・ストラッティン』の教訓がうまく作用してくれていたと思います。だから尚更「さて今月は?」という気持ちで楽しめたと思っています

>通信教育の赤ペン先生の様な存在
なるほど、そういう存在はコミュニティの中に1人くらいは必要かもしれませんね。
口うるさいマンションの管理人とか、学校だと用務員のオッサンとかw

《ハウ・ハイ・ザ・ムーン》はいいですよね!

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博 橋本さんからの返信。

ドラムの同級生に机を叩かせながら何度も飽きずに聴きました。
ルロイ・ヴィネガーという名前も覚えその後のレコードの選択時の何本かの軸になりました。
雲村長のヴィネガー感をいずれお願いします♫

たしかにドラムレスですからねw

ヴィネガーは、うーん、大好き!
動画ネタになりそうですね。

※そして、数日後に動画アップ⇒こちら

博 橋本さんからの返信。

楽しみにしています。
SJ誌の表記でいくとリロイ・ビネガー(1976年4月臨時増刊号:世界ジャズ人名辞典より)になるのかな^_^

私は「リロイ」のほうで覚えました。

TAKESI0506さん⇒博 橋本さん

コンテンポラリーリーダーズは、私の70年スイングジャーナルには見当たりませんでした。私は雑誌を紙のままではなく、スキャンしたPDFファイルとして保存しています。70年の内、1月と11月号が抜けていますし、スキャン時にコンテンポラリーリーダーズの載った箇所をスキャンせずに飛ばしてしまったのかもわかりません😥
 セシルのラブ・フォー・セールは70年7月号に載っておりました。評者は粟村さんです😅

セシル・テイラー/ラブ・フォー・セール
 ジャケット・デザインというのは妙なもので、十中九分九厘まで新装再発売の度にいやらしくなって来る、熱心なコレクターが中味の傷に目をつぶってまで昔のオリジナル盤を珍重するのもあながち骨董趣味とは言い切れぬものがある。ただし、これも事と次第によりけりで前衛派の大物セシル・テイラーの旧作がムード・ミュージックさながらの軽薄な原デザインのまま再発されるのはいささか見当はずれのサービスと言わねばなるまい。もっともこれは収録されている音楽とは関係のない話で、数少ないテイラーの旧作が10年後の今になって思いがけず再発された喜びはコレクターにとってはまた格別のものがあろう。
 A面の3曲はトリオによる演奏で、曲はすべてコール・ポーター作の耳慣れたメロディー揃い、アイディアはもちろん会社側の押しつけ(?)によるものだろうが、当時としては極めてコマーシャルな着想であったはずの企画が現在では期せずして興味深々たる資料となっているあたりがまことに面白い。テイラーのソロはいつものごとくパーカッシブで奔放なものだが、ドラムのルディ・コリンズがあくまでもオーソドックスなプレイに終始するので「現代の音楽」といった斬新性は当然稀薄である。その昔大阪のジャズ喫茶でこのレコードを僕がリクエストした時、周囲のお客が一様に顔をしかめた光景が、今昔の感を以って思い出される。
 B面の2曲は共に10分前後の演奏で、上記のトリオにトランペットのテッド・カーソン、テナーのビル・バロンが加わっている。曲は共にテイラーのオリジナルだがテナーのバロンがハード・バップ時代のものとして聞いてもなおかつ平板なソロを億面もなく吹いているのでそのクダリになるといささかガックリくる。テッド・カーソンも余り個性のあるプレイとは申せまい。
 いろいろひっくるめて四つ星というところか。

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“ムード・ミュージックさながらの軽薄な原デザイン”というのは「壁にもたれてタバコをくわえる女性に、ライターで火を点けようとする男」のデザインですが、当時はなにがなんでもオリジナルジャケットでなければならぬ、という風潮がありましたね😅

博 橋本さん⇒TAKESI0506さん

早速のご手配有り難うございます。ロリンズは添付のライナーを見直したところ<解説/柴田博>1970 の表記があります。
セシル・テイラーは粟村さんでしたか^ ^ 読んでるうちに大阪のジャズ喫茶での件は何となく思い出しました(^ ^)
相変わらず「だったら買ってやろうじゃねぇか^ ^」と思わせてくれる内容ですね^_^ 四つ星か!改めてとても嬉しいです。有り難うございました。
このレコードのジャケットデザインは当時から気に入っていました。

TAKESI0506さんからのコメント。

うーん、粟村さんに対する風当たりが強くなってきましたね😥
 きっかけになる文章を載せた私としては、粟村さん擁護をするべきなのでしょうが、まずレコード会社からテスト盤が送られてこない云々という件は、スイングジャーナル77年3月号の読者投稿欄に載った鍵谷幸信さんの文章がきっかけとなっているので、まずこの文章を載せておきたいと思います。

粟村政昭氏ヘー言/鍵谷幸信
本誌2月号の「ジャズ・ディスク大賞」の投票と選考後記における粟村政昭氏の感想は、まさしく暴言以外のなにものでもない。氏は書いている。「……ただし。テスト盤の来なかった東芝、コロムビアの候補作については、プロモーションというものについて公平を期す意味で、悪いけれど、投票の対象から、はずした」。これは一体どういうことか。氏はここ数年同じ趣旨のことを書いている。粟村氏はまずなによりも怠慢である。候補作品がレコード会社から送られて来なかったからといって、全く無視するというのは。批評家なる者当然レコード会社からテスト盤は送られてくるもの、という前提に立っている。もし送られなかったとしたら、氏は候補作がわかっているのだから、自ら入手するなり、借用するなりして、まず対象の価値評価を確認すべきではないのか。ヒヒョウカにはテスト盤を送るべきだと、氏は考えているようだが、思い上りも甚しい。引用の文意から察するに、レコード会社のプロモーションの欠除とでもいいたいようだが、この論理、いや非論理でいくなら、レコード会社はすべての批評家にテスト盤を送るのが至当と受けとられても仕方あるまい。これは招待券が来ないから演奏会には行かない、といった錯覚が批評家にあるのと同じである。氏の姿勢はまたこの賞に対する最低の手続きを怠っているし、読者に対する冒涜とさえいっていい。
 批評家という特権の悪しき意識を投票に際して持ちこんではばからない粟村氏の態度は、断じて許されない。ぼく自身もテスト盤や招待券は時に頂戴している。しかし初心忘るべからずなのであって、レコードも切符も本来は、身銭をきって購入すべきものなのである。粟村政昭氏の猛省を促したい。

うーむ、いつもの鍵谷節が炸裂!
カギッてます!

TAKESI0506さんからの返信。

次号の読者欄には粟村さんの返答が載りました。

■鍵谷幸信氏に答う/粟村政昭
小生が、テスト盤の来ないレコードは聴かないなどとは、妄断もいいところ。当方では、テスト盤など来ようが来まいが、目ぼしいレコードは大抵その前に輸入盤で聴いています。
 投票するとかしないとかは、それとはまったく別の話。スイング・ジャーナルが主催し、各レコード会社が協賛するという建前で〈ディスク大賞〉の催しがある以上、建前を軽視した商業主義のありかたが指摘されるのは当然と思いますが……。
 しかし、たとえ下衆の勘繰りにもせよ、1枚300円ばかりのテスト盤をめぐって罵られるのは真平なので、小生はあっさり、本年度以降の投票に参加するのは辞退しましょう。それがあなたのお求めになる、小生の「猛省」とやらに通じるといいですね。元気のあるのは結構ですが、自己顕示欲の露出は。まあほどほどにして下さい。

次いで次号には岩浪さんの文章が載ります

粟村氏の一文に一言/岩浪洋三
本誌3月号に鍵谷氏の粟村氏に対する一文が載ったとき、これは鍵谷氏一人が発言すべきではなく「ジャズ・ディスク大賞」の選者が連名で書くべき一文であったと感じたものである。ぼくは前から粟村氏が何回も、テスト盤が回ってこないから投票の対象からはずすだの、プロモーションの公平というものを期すためにはずすなどといった選考後記を書いているのをみておかしなことを書く人だなと思った。中には意味不明のところもあったが、4月号の鍵谷氏への反論を読んで意味が鮮明になると同時にその無知ぶりにあきれた。「ジャズ・ディスク大賞」はSJ誌の主催であって、レコード会社協賛などとはどこにも書いてないし、これは全く事実と相反する。ましてやレコード会社のプロモーションの一環などとはこれこそまさに下衆のかんぐりではないか。したがってテスト盤が来るとか来ないとかは関係ない。あなたのように本盤で先に聴いているならこんな結構な態度はない。レコード会社のプロモーションではないのだから、テスト盤云々はおかど違いもいいところではないか。それにしても何年も同賞の主旨を誤解したまま投票していたとは、いったいどういうことなのだろう。これでは主催者も迷惑であろうが、なによりも読者が大変迷惑をこうむることになってしまう。

>元気のあるのは結構ですが、自己顕示欲の露出は。まあほどほどにして下さい。
痛烈っすねぇ(苦笑)。

岩浪氏の登場で、なんとなく本来のSJ誌企画の「ジャズ・ディスク大賞」の趣旨が整理されてきました。
この号の時の岩浪さんは編集長職だったのですか?

TAKESI0506さんからの返信。

岩浪さんが編集長だったのは、65年くらいまでではないでしょうか。この当時は児山紀芳さんが編集長だったはずです。

TAKESI0506さんからの追伸。

次の文章は、読者の方からのものです。

粟村氏のための援護射撃
鍵谷氏の指摘されるような曲解が生じる原因は、粟村氏の側にもあるかもしれないとは思いますが、それよりも何よりも、こうした檄文が鍵谷氏から提出されたことに甚だ憤りを覚えます。粟村氏ほど終始一貫した姿勢で批評に臨んでおられる方は、昨今のチャランポランな評者の横行するジャズ評論界にあって実に爽快ですらあります。粟村氏の辛辣ではあるけれど確実な批評文に、苦い思いをすることもありますが、結局氏のおっしゃることを認めざるを得ないというのが、私の率直な経験談です。
 批評家諸氏は何の気兼ねもなく評文を公示できる下地として、やはりレコード会社各社からレコードが送られてくる、または全然送られてこないという徹底した姿勢を望んでおられるのではないでしょうか。我々も下手に媚びることなく、何の諂いもない評文を望んでいるのです。
 粟村氏が会社を見てレコードを聴いているのでないことは、SJ誌「コレクターズ・アイテム・ベスト10」(76年3月号は、あらかた東芝のものです)を見ていただければ、はっきりすると思います。

援護射撃の読者の方の言う、チャランポランな評者というのは鍵谷さんのことを指しているのでしょうが、鍵谷さんにこのような偉そうなことが言えるのかと、当時21歳の若造であった私も猛烈な怒りを憶えたのは確かです😔
鍵谷さんは77年をもって『スイングジャーナル』からは去ってしまいますが、この件がきっかけになったのでは、と私は推察しています。スイングジャーナル編集部にこの件に関して、鍵谷さんへの攻撃文が殺到したというのを何かで読んだ記憶があって、鍵谷さんも嫌気が差したのてはないでしょうか。

粟村さんのジャズ界引退は、この件がきっかけなのではというのは当時もささやかれました。
ただ、前年の76年4月号のスイングジャーナル“アウトコーラス欄”で「ジャズ論壇から姿を消すことにしました」という文を載せています。その後多くの読者の方から辞めないでくれという投書が多く寄せられたようで、76年12月号に次のような文章が出ました。

 40才を過ぎて色々と思うところあり。マンネリを自覚しながら仕事を続けるのも……と考えて、開業医を止めることにしました。あとは本を読みながら、静かに暮すつもりです。収入を放棄するというのは、もちろん気になりますが、まあ人生はお金だけじゃないから……同じような気持で、ジャズの原稿を書くのも止すべきだと考えたのですが、この方は、思いがけずも多くの方々から激励を頂くことになり、何度も迷った挙句、細々ながら続けることに翻意しました。色々お騒がせしましたことを深くお詑び申し上げます。今後は、退き時を求めるなどという生意気なことは考えず、野垂れ死にもまたよしという心境で、ささやかな貢献が出来ればと願っています。

 引退の理由は、70年代以降のジャズ界の流れが、粟村さんには興味が持てないものに変わってしまった、というのが真相ではないかと考えています。

>引退の理由は、70年代以降のジャズ界の流れが、粟村さんには興味が持てないものに変わってしまった、というのが真相

私もそのように聞いており、そう認識していました。

もちろん、粟村氏についてはほとんど何も知らなかったも同然で、それこそ、この動画を始めてTAKESI0506さんをはじめとした「ジャズ先輩」の方々からのコメントを頂きながら、「なるほど、そういう評論スタイルの人だったのね」と、日々少しずつ知識を吸収している段階ではあるのですが……。

ただ、私より10歳以上年上の(活字派の)ジャズファンの方々にとっては、無視できない存在であったことは確かなようで、氏の評論文を読んでいない私でも、お名前だけは存じていたのは、ジャズ喫茶で交わされていた先輩諸氏の方々の会話の中に、たびたび氏の名前が登場していたからだと思います。このことからも、良くも悪くも、かなりのインパクトと影響力のあった方だったことが分かります。
今でいえば、寺島靖国氏にファンとアンチがいるような感じかもしれませんが、当時は、それ以上に、粟村氏には熱烈な支持者と猛烈なアンチがいたことが容易に想像できます(今回の高松さんの過剰な反応からもw)

「頑迷な」と書くと、ファンからは怒られそうですが、博 橋本さん曰くところの「赤ペン先生」的な存在であった粟村さんは、誌面の活性化と、読者に思考の素材を提供する貴重な存在だったのかもしれませんね。
「賞」の解釈をめぐって色々あったにせよ、それでも引退されずに活動を続けていたら、そう、80年代以降も(ウィントン・マルサリス登場後も)ジャズを追いかけ続け評論活動を継続されていたら、リアルタイムで面白い文章読めたのにな、と少し残念な気持ちもあったりします。

博 橋本さんからのコメント。

遂に粟村:鍵谷の「ジャズ・ディスク大賞」の応答が拝見できますね。
この事の成り行きは別として粟村さんの『ジャズレコードブック』の作った功績は大きいと思っています。

TAKESI0506さん⇒博 橋本さん

ありがとうございます。
私もジャズレコードブックには徹底的に影響されました。

85年のジャズ批評№49は「ジャズの本」特集となってますが、青木和富さんと小野好恵さんの対談でジャズレコードブックのことが語られてます。
 参考までにどうぞ。

〝粟村史観”の影響力
 ――一方に、粟村政昭さんのように、ジャズは『ビッチェズ・ブリュー』まで、みたいな立場を貫いてきている方もいるけれど、フィールドから出て行くのではなしに。
小野 粟村さんの場合は外の文化状況とつながっている感じはしないよね。完全に趣味の世界に没頭して、その中でのディレッタントの凄みみたいなので勝負してくるから。『ジャズ・レコード・ブック』なんて確かに面白いんだけれど、状況の中で、人間はいろんな形で引き裂かれて生きているわけだからさ
 ――ジャズに接した時代のギャップということはあるでしょうね。
小野 ジャズ史から言っても、60年代はジャズを趣味の領域に封じ込められなくなった時代でしょ。でも、そんな時にジャズを聴き始めても、やっぱりジャズに関する知識を漁りたいということはあるから、そういう入門書としては『ジャズ・レコード・ブック』は面白いけどさ。
青木 すごく小さい世界だと思ってた。けれどディレッタントの閉じ込められた世界として、すごく線の通った本なんだ。
小野 小林秀雄がボードレールの『悪の華』を球形にたとえたけど、そういうふうに閉じ込められた美学として語った本という気がした。
青木 そう、そしてそれにだんだん気づいて行くと、あの本の一字一句がものすごく響いてくるんだよね。何回も読み直してナルホドと思ったりする。最終的にあれは日本のジャズの聴き方を作った本だと思ってる。非常に小さい本だけれどね。
 ――プロの書き手の中に影響を受けている人も多いのでは?
青木 いまだにあの世界から飛び出せない人もね(笑)。ハンク・モブレーやリー・モーガンを外した一方でタル・ファーロウをリスト・アップしたりね、そういう意味でもすごく影響力のあった本だと思う。とにかくモダンもクラシックもなくアルファベット順にミュージシャンを並べて、その代表作を論じているというだけの本なんだけれど、そこに一本筋の通った美意識が強烈なんだ。それを考えると、あの本が版を重ねる毎にジョン・ハンディが抜けたりとか、ミュージシャンの出入りがあるのが愉快だね(笑)。
小野 あれこそ〝ジャズ鑑賞道”の本なのだ。すべてを純美学的な部分でポンポンと規定して行くでしょう。ちょうどクラシック鑑賞家のスタイルなんだな。そこには世代的なものもあるだろうし、住んでいる関西という土地柄のこともあるかも知れない。東京みたいに目まぐるしく情報の集中するところでは物事が相対化されるから、結局自分の趣味だけというわけにはいかない。けれど彼の場合には逆にそれが強みになっていると思う。とにかく僕らの世代はああいう趣味道に徹することはうらやましいけど、できないな。
 ――世代ということで言うなら、粟村さんも相倉さんも同じような世代ではあるでしょう。
小野 そう、相倉の『モダン・ジャズ鑑賞』にしても小林秀雄の『モオツアルト』のスタイルでやっているわけだから、その意味では同じ。片や社会派、一方は完全に私小説派というニュアンスの違いでしょう。要は両方ともヨーロッパ的知性主義の臭いがする。どちらも教養としてジャズをとらえている感じがするのね。で、平岡正明になるとぜんぜん違う気がするけど。
 ――すると小野さんがジャズに求めていたものは?
小野 あの激動の時代にハタチ前のガキが感じることと、すでに確立した戦中派の教養人の感じることはぜんぜん違うと思う。マネしたくても、こちらは教養人になれないしね。もっとアナーキイな心情でジャズを追っかけていたからね。ただ『ジャズ・レコード・ブック』には〝粟村史観”みたいな手応えは感じたよ。
青木 レコード聴いて『ジャズ・レコード・ブック』読んでいれば自然とジャズの歴史がわかってきちゃうよね。最後の方に「150枚の基本的ライブラリー」というのが載っているんだけれど、すごい強力なものなんだ。おざなりの選択にとどまっていない。何か独善の素晴らしさみたいなものがあって、やっぱり愛すべき本だな。

ディレッタントの凄み、純美学的な部分、独善の素晴らしさ……
なるほど、おぼろげながら評論家・粟村政昭像が見えてきました。
ありがとうございます。

まぐまぐさんからのコメント。

岩浪洋三さん の 書物 何か読んでみようと思ったのでしたw    あざーすw

MrNOBUchanさんからのコメント。

粟村氏はもともと医師が本業(他にも内田修さんとか小川隆夫さんとかいらっしゃいますね)ですから、ジャズ評論はあくまでも趣味・余技です。ジャズ評論家としてできるだけ出番を増やし、身を立てる?必要など一切ない方でした。そのせいか氏の文章は、レコード会社への忖度?などほとんどなく、理論的で好悪が明確、(自分の好みから見ての)優劣の判断が実にはっきりしていました。
岩浪氏は元SJ編集長(レコード会社等から、何が何でも広告料を集めなければならない)という立場でもありましたし、その後は音楽評論が本業となりましたから、その時々で、顧客であるレコード会社が売ろうとしている音楽作品の良さや楽しさを評論やライナーノーツを通じ最大限にアピールしようと評論活動をしておられました(あくまでも私個人の印象であり意見です)。
どちらが立派か??などとは一概に言えません。
彼らジャズ評論家諸兄の数々の意見を参考に、自分のジャズライフを充実させればいいのです。

その通りですね。

永井勉さんからのコメント。

コンテンポラリー・リーダーズ・・・いいですねえ~~~
この少しトリッキーでいながらものんびりした世界観は最高です・・・!!!
出来ればステレオではなくモノラルで聴いてみたいです・・・
で、定位 パン がおかしいと思ったのですが・・・?????
真ん中はロリンズ 右にドラム ベース ピアノ
左にギター 極端な定位で、おかしなミキシングだと思います・・・m(__)m
この定位の悪さがこのアルバムの評価を下げた一つの要因ではないかと思います・・・m(__)m

そうなんです、なんかバランスがおもしろいことになっているんです。

自宅で聴くぶんにはまったく気にならないのですが、スピーカーの左右の距離が離れているジャズ喫茶で聴くと、座る席で聞こえてくる楽器の音量が違っていたりするんですよね。

そういえば、ドド・マーマローサの『ドドズ・バック』もこれと似たような感じで、ベースの音ばかりでピアノの音が遠くから聞こえてくるような席で鑑賞したこともあります。
ま、ベースの音がたくさん聞こえて良かったといえばよかったのですが。

Hiromi Hasegawaさんからの返信。

確証はありませんが、モノラル録音を無理やり左右に振り分けたいわゆる「ニセステ」の可能性も。(名手ロイ・デュナンがへぼいミキシングするわけがないという思い込みですが)ロリンズの ”Bridge” モブリーの”SoulStation”のステレオ盤もニセステ疑惑あるあるです。

ニセステっていうんですね。
>モノラル録音を無理やり左右に振り分けた

なるほど、メモメモ。

Hiromi Hasegawaさんからのコメント。

振り分けると言っても今様のマルチトラック録音ではないし技術も未熟なので永井さんお気づきのように「こんな配置ありえない」とか、楽器本体は左、倍音は右から聴こえるという奇妙な音になったり。
昔のアンプにはStereo/Monoのモード切替があってそういうレコードの聴く時に重宝していたのですが、CD主体になってから省かれてしまいました。

永井勉さん⇒Hiromi Hasegawaさん

モンク永井です・・・m(__)m
Hiromi Hasegawaさん・・・くだらないコメントに付き合ってもらい
 ありがとうございます・・・W
モノラル音源を疑似ステレオにするには
左右に同じ音源を配置して左右どちらかの音源に遅延と音程の差を付けるというのが
主流なんです・・・m(__)m
ビートルズの初期のシングルによく使われてました・・・m(__)m
これだと空間的にステレオ感はでるのですが、
楽器の音像がぼやけてしまいます・・・泣く
4トラック録音は1960年からなので1958年の録音の
1958 – Sonny Rollins and The Contemporary Leadersの録音
はマルチ録音ではないと思います・・・m(__)m
音像は物凄くはっきりしているので 録音レベルでの
狙いだとだと思います・・・m(__)m
右にピアノ・ベース・ドラムをパンで振り 左にギター
 中央にロリンズ という極端な形で録音をしたアルバム
ではないかと思います・・・m(__)m
ロイ・デュナンさんなりの実験なんですかね・・・m(__)m

Hiromi Hasegawaさん⇒永井勉さん

こちらこそリプライありがとうございます。実験ですか….やっぱり思い込みはダメですね。
”Somethin’ Else”の録音が58年でほぼ同着のステレオの黎明期…確かにヴァン・ゲルダーも含め初期には極端に左右に振って中抜けのヘンな録音はありました。

永井勉さん⇒Hiromi Hasegawaさん

それが正解だと限りません・・・m(__)m
正解なんて どこにあるんでしょう・・・m(__)m
やっぱり 間違っていたとしても自分の感性を一番に大切にする事が
すべてだと思います・・・m(__)m

Hiromi Hasegawaさん⇒永井勉さん

やはりソースの確認を怠ったのは良くなかったので聴きなおしてみました。仰るように音像は明瞭でどちらかと言えば「左右泣き別れ」の変種だと思います。ただロリンズは中央といってもフラフラして逆相感?と音も細い気が…。以前「Mono」ポジションで聴いて「こっちが正解」と思い込んでいたかもしれません。
比較にプレステの”Work Time”を掛けてみましたが、センターにどっしり定位してゴリゴリ吹きまくる、オーディオ的に言えばMonoの”Work Time”の方が聴いていて楽しいというのはあります。

TAKESI0506さん登場。

“ニセステ”という言葉を創り出した張本人は、何を隠そう粟村政昭さんです😂
 先日拝見した“かまいちさんコレクション”の中にあった「幻の名盤読本」(グラビアに粟村宅のリスニングルームが載ってたヤツです)に“粟村式円盤蒐集心得帳”という記事がありますが、その中にこのような記述があります。

ニセ・ステはニセ・ステであるがゆえに怪しからぬのではなく、音が歪められていることが多いゆえにいけないのだ――という考えかたをもっと徹底さすべきではないかと考えている。

 60年代、世にニセステレコードが氾濫した頃、粟村さんはレコード会社を徹底的に攻撃したようですが、当時スイングジャーナル編集長であった岩浪さんはレコード会社と粟村さんの間に立って苦労されたのではないかなどと想像していて、このようなことが二人の確執を生んでいったのではないか、とも思ってます。

すごい!
TAKESI0506さん、いろいろ凄い!

粟村さん熱、粟村さんアンテナ、
そして、せっかく大先輩からいただいた貴重な資料をぜんぜん読みこなせていない私(まさに「豚に真珠」状態)に対して、TAKESI0506さんの場合は、「かまいちコレクション」のラインナップを目敏くキャッチ!

そして、その記事もデータとしてお持ちだという凄さ。

これからも、どんどん色々なことを教えてください!

TAKESI0506さんからの返信。

「幻の名盤読本」は、“幻の名盤読本が幻になってしまった”などと言われて、中古本市場でも高値をよんでいた本です。オフ会で私はかなり酔っぱらってましたが、「この本はいい本、本当にいい本」と連発していた記憶があります😅

 事実、幻の名盤読本は中身の濃い本当にいい本です。
 以前、書き込んだことのある、リバーサイドのオリン・キープニュース氏の想い出話
「リバーサイドの事務所に来たマイルスが、ランディ・ウェストンのアルバムをべた褒めに褒めるので、そんなに良いなら何故ボブ・ワインストックに推薦しないのか?と聞くと、マイルスは“誰があんな野郎に推薦してやるものか!”と吐き捨てた」
 という、キープニュース氏の想い出話もこの本の最後のほうに載ってます😇

マイルスとキープニュースの話は覚えていますが、
>「この本はいい本、本当にいい本」と連発
私も酔っぱらっていたので、まったく覚えていません(笑)。

しかし、そんな高値がついた「いい本」を、かまいち大明神は私ごとき小人にくださるとは!

Hiromi Hasegawaさん⇒TAKESI0506さん

えええええっ、粟村さん由来なんですか….昔から使っていたのになにも知りませんでした。

TAKESI0506さん⇒Hiromi Hasegawaさん

先程書き込んだ“粟村式円盤蒐集心得帳”に次のような記述があります🥲

 そもそも「ニセ・ステ」なる言葉を創り出した当の本人たる筆者としては、現在でもなおニセ・ステ排撃の急先鋒として活躍すべきなのであろうが、近頃では昔流行ったような荒唐無稽のお手軽ニセ・ステを製造するレコード会社もなくなったこととて、拙稿の中に「ニセ・ステ」なる言葉の登場する機会はメッキリ減ってしまった。もちろん、それはそれで結構な成り行きなのだが、近年発売されるレコードの中には「ニセ・ステそっくりの音のするモノーラル」や「生半可なモノーラルよりもずっと自然な音のするニセ・ステ」がぐんと増えて来たために、一口にニセ・ステと称しても、果たしてこれを従来通りの勢いで一蹴し去るべきかどうか、判断に迷うケースも多くなったように思える。
 そこで筆者からの提言なのだが、上記の一文中にても触れた如く、例えモノーラルといえども、再発に際して色々と電気的な加工が行なわれるようになった今日では、モノとニセ・ステの差は、極端な場合には紙一重であり、したがって、今後は、ジャケットにモノと書いてあるから安心し、電気的ステレオと断ってあるから目くじら立てるといった単純な判定法は捨て去って、あくまでも試聴の結果、自身の感覚で取捨を決めるべきではないだろうか。つまり、ニセ・ステはニセ・ステであるがゆえに怪しからぬのではなく、音が歪められていることが多いゆえにいけないのだ――という考えかたをもっと徹底さすべきではないかと考えている。

レコードの音に対して非常にうるさかった粟村さんが、ニセステという言葉を作って有形無形の圧迫を感じながら、レコード会社に対し頑固に抗議したようですね😅

R Kさんからのコメント。

私の好きな邦画に、作家片岡義男氏の作品で〝彼のオートバイ、彼女の島〟と〝スローなブギにしてくれ〟があります。どちらも私の好きなオートバイの走るシーンがふんだんに出てくる映画ですが、ちょっと面白いのは、〝お色気シーン〟がそれぞれに出てくる場面がある事です。どちらも青春映画なので、言うなれば〝健康的なエロチシズム〟とでも言うべきシーンですが、当時の〝日活ロマンポルノ〟の影響かもしれないと思ったりします。それも含めて私はこれらの作品が好きです。

〝男女共学〟の話については、評論家お二方のそれぞれの対応が、私の感覚とはあまりにもかけ離れているので、ただニヤニヤするだけでした。ただ、ひょっとして〝差別〟につながりかねない意識がないかどうか、それだけが気になる点ではあります。

〝枯葉〟についてですが、
マイルス・デイビスの演奏における〝リリシズム〟を基準にしている方もおられると思いますが、しつこい様ですが、もうひとつ、

ポール・デスモンドのCTIからのアルバム〝サマー・タイム〟の中にある、クリード・テイラーのプロデュースでオーケストラをバックに〝ボサノバ〟をリズムに演奏しているものがあります。今聴いても何ら古さを感じさせる事がない名演だと思います。

亡くなってしまわれた女性スポーツキャスターの方が、ある時言っておられた事がありました。

〝スポーツには、大別して二種類ある。
ひとつは、心を病んでも身体を壊してでも〝勝ち〟にこだわるスポーツ。
もうひとつは、〝心と身体〟の為にするスポーツ。
どちらもスポーツには変わりなく、それぞれに取り組んでいる多くの方々がおられます。どちらも大事なのです。〟

これは人間性を問われていると私は思います。どう思われますか。

スポーツはまったく興味ないうえにむしろ嫌いでもあるという困った性分であるために、うーん、どうしようと考えた結果、思いつくまま話したほうが早いかな?と考え、動画で返信させていただきました(長いです)
こちら