1964~74年 10年間の重要アルバム~『モダン・ジャズ読本’75』(スイングジャーナル臨時増刊)より

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1974年に出版された『モダン・ジャズ読本’75(スイングジャーナル臨時増刊)』の中の特集「1964~74年 10年間の重要アルバム」が興味深いので動画で紹介してみました。

評論家の岩浪洋三、鍵谷幸信、久保田高司、ダン・モーガンスターン、中野宏昭、野口久光、ボブ・パーマー、清水俊彦、悠雅彦、油井正一(敬称略)が選んだ、1964年から1974年までの10年間の中、重要と感じたLPは、いったい何でしょう?!

コメント

高松貞治さんからのコメント。

鍵谷幸信、セシル・テイラー異常に多いですけど、ただ慶応大学教授と言うことでもてはやされて、油井正一さんと違って、なにか違うというか、ジャズの事はあまりわかってないのでは?その言動は寺島靖国さんを重ねてしまいます!

Ken Konishi

鍵谷先生ですか。ジャズをより難しく表現していましたね。個人的にはあまり好きな評論家では無かったです。書きたい放題書いていた感が拭えません。

それにプラスして、
(↓ドラマ『ガリレオ』の湯川学役の福山雅治風に)
「さっぱりわからない」。
┐(´д`)┌

カトウシュンさんからのコメント。

個人的には今回の動画に登場しているジャズ詳論家の方たちが日本のジャズについてどう評価していたのか気になります( ´ー`)

私も気になります。
見つけたら紹介しようと思います。

カトウシュンさんからの返信。
楽しみにしております\(^-^)/

御駄賃取郎さんからのコメント。

私の記憶では当時のSJでは、あまりにも海外でのジャズシーンの動きがすごくて、以前より日本のジャズはとりあげられられなかったように思います。したがって「SJは日本のジャズには冷たい・・」という声をよく耳にしました。

しかしこれだけジャズが大きく変動していた時期においては止むをえなかったのでしょうね。
逆にSJのジャズ・ディスク大賞の部門に「南里文雄賞」というのがありましたが、ほとんどのあたらしい当時のフアンは「NANRI・・WHO?」という感じでしたが、これ以前の古いSJではかなり日本人ジャズがとりあげられていたように思います。まあ相対的なものだと思いますが、これがその後「洋高・邦低」?のような誤解をひきずりましたよね。(笑)

でもこれだけ時間がたってみると私は「ジャズの10月革命」などは「・・誰が風をみただろう? 誰も風を見ていない  でも風はたしかに吹いている・・」という歌を連想してしまいます。。

・・イーグルのマスターに「実感として;ジャズが一番もりあがったと感じたのは、一体何年頃でしたか?」とお尋ねしてみたいのですが、あまりにもGさんは偉大すぎて?私など萎縮・平服するばかりなので、高野マスター、いつか聴いてみておくんなまし。。m(__)m

ずっと

似たような質問は過去にしたことがありますよ。
でも、酔っぱらっていたので細かい内容は忘れました。

というより、その後、集英社新書から『ジャズ喫茶 四谷「いーぐる」の100枚』を出されて、この本はジャズ喫茶「いーぐる」の歴史もたどれる本でもあるのですが、これを読んだ後に、「なーんかあの時の俺、めちゃくちゃザックリとした失礼なこと聞いちゃったなぁ、一言で語れるわけないよなぁ」とちょっと反省しました。

歴史として客観的に見た場合と、個人的なリアルタイムで体感した「もりあがり」は違いますからね。

ちなみに「いーぐる」が開店した時にリアルタイムで人気があったのは「お城のエヴァンス」だそうです。
それ以前の高校生や中学生だった頃にシーンが盛り上がっていたとしても、その時期にまだジャズに接していないと、実感としては語りようがないわけですから。

御駄賃取郎さんからの返信。

すいません。意味の無いアホ質問をして。。ただね、イーグルをオープンしてから「お!急に客がふえたなあ!」と感じたことがおありだったのかなあ?という素朴な疑問でした。  私がリアルタイムで一番「どんぐり帽の女の娘」(古い表現ですが・・)に人気があったのはキースの「マイバック・ペイジ」ではじまる「サムホエア・ビフォー」です。また新譜でかかると男の客がレジに数人一斉に確認に走った&それをみてたまげた!)のはビリー・ハーパーの「ソーランブシBH]が強く印象にのこっています。

「白人がウィントンを好んだ」というのはなんとなくわかります。私の経験でも来日した白人のほとんどがジャズはあまりききませんでしたが好みはそろってカントリー&ウエスタンがおおかったですが、逆に「なんで日本人がこんなにジャズを好むのだ?」ときかれたので真顔で「戦争に負けたからだよ。君たちがおしつけたんだ。」とテキトー&デタラメな返事をしたら「???」という顔をしながらもなんだか嬉しそうでした。(笑)

私は、この本が出た1974年頃の前後10年くらいが日本のジャズの最盛期だったと思っています。
   ついでながら・・・最近テレビに「おお!鍵屋センセッ!!」・・・とおもったらロシアの外務大臣のラブロフさんだった。。。

私も同じ質問されたことがありますよ。
「君、日本人なのになんでそんなに好きなの?」みたいな。
御駄賃さんと同じようなことを言ってやりました。
「君たちが戦争中に我々の言語を研究して役立てたように、私も敵国の音楽を研究しているのだ」と。
もちろん、真顔でじゃないですよ(笑)。ジョークでです。

カトウシュンさん⇒御駄賃取郎さん

返信コメントありがとうございます。
当時のSJは日本のジャズをそういった理由で取り上げられなかったんですね。
ギター・マガジンという雑誌で「ニッポンのジャズ」という特集が組まれており、戦前戦後に活躍したジャズギタリストが紹介されており、当時は理論は分からないので輸入レコードを擦りきれる程聴いて、周りのジャズメン達とコードやフレーズを研究したり、来日したジャズミュージシャンのホテルに押し掛けて理論を教えてもらっていたそうです。
その特集記事を読んで昔の日本のジャズはどうだったのかな?と思い興味を持ちました。
個人的には海外のジャズの発展が凄まじいのは書籍や音源があるので分かりますが、当時のSJ誌には60年~70年代の日本のジャズも塩対応ではなく神対応にしていただきたかったなと思います。
追伸、Amazonで見つけたのですが小川隆夫著『証言で綴る日本のジャズ』という本を見つけました。値段は少々張りますが購入して読んでみようと思います。

御駄賃取郎さん⇒カトウシュンさん

こちらこそありがとうございます。
私は単なる田舎者の「隠れジャズマニア」にすぎませんが、ジャズをきくようになってからはSJは1度もかかさず、それどころかついにはバックナンバーをあさり、あげく、1945年の創刊号まで追いかけるというかなり「変質的ジャズファン」だったと自覚しております。(笑)

私はすでに70をこえておりますが、すでに多くのジャズ著名人がさられました。自分の仲間もそろそろお迎え?がきそうであります。(笑) そして自分のジャズ人生をふりかえり、同じ世代の仲間と話して画期的だったなあ、と思える出来事は、1970年代初頭の「ジャズ廉価盤ブーム」(検索すると多くの情報がみれます)でした。これは当時ロックが席巻していたところに(それじゃあジャズもどうですか?)という感じで、実にタイムリーでした。私もこれにハマりました。そして当時テレビではCMに油井正一さんが登場してのクリフォード・ブラウンのデジタル・リマスタリングのアナログレコードのコマーシャル!や「ザ・スリー」「ザ・ドラムセッション」という日本制作のシェリー・マン他のレコードなどなどのテレビCMが流れるという恐ろしい?ほどの勢いをかんじました。これらはすべて1970年代の事実です。

そして70年代にはいると日本のジャズはスリー・ブラインド・マイスというマイナーながらもすばらしいレーベル(日本のブルーノートと思う)がヒット作を飛ばし、SJもこれらに大注目しましたね。今でもこのレーベルの作品を愛聴盤に上げるフアンは多いですね。(私もです!)

私は日本人ジャズのレベルは昔から相当高かった!と驚くばかりなのですが、詳しくは小川隆夫さんの本などに詳しいと思います。

ジャズはアメリカで生まれた芸術ですが、日本やヨーロッパのマーケットがなければここまでこれたかなあ?ともおもっています。繊細さを持った日本人こそジャズの「育ての親」だといっても言い過ぎではないと信じています。  失礼しました。。

イヤダローさんからのコメント。

今回の企画も面白かったです。1964〜1974年の10年の時代性がよく分かります。やはり、フリーの時代にほぼ完全にシフトしてますね。マイルスのESPがかろうじて引っかかっているのが、少し嬉しいです。フリーは苦手ですが、勉強しないとこの時代は理解できませんね。

>勉強しないとこの時代は理解できませんね。
たしかに、それはあるかもしれません。

で、個人的には、音楽評論家の文章よりも、当時のアメリカ近代史、特に黒人の人種差別の歴史を学んだほうが、スッと音楽が入ってくるんじゃないかと思っています。

なぜかというと「現象」そのものを分析する目線も大切かもしれませんが、その現象に至るまでの「背景」「文脈(流れ)」を知っているほうが、気付きや得ることが大きい、と、私の場合は考えているからです(人間関係もそうですよねw)。

だから、私の場合は向こうの大学で「アメリカの学校制度の歴史」を学びました(短期留学でしたが)。
学校制度の歴史をたどることは、これすなわち人種差別の歴史をたどることにつながるからです。
今の大学ではこういうことを教えている学部もあるのかもしれませんが、当時はそういうところ(知っているかぎりでは)なかったので。
であれば、(当時)黒人・白人の人口比が、圧倒的に高いメンフィスがエエんじゃねぇの?と思ったわけです(黒人の人口が白人の2倍以上)。
そうすると、必然的にブラックピープルたちと知り合える率が高くなり、彼らの意見なんかも聞くことが出来ると思ったのです。

……というのは、あくまでタテマエで、要するにブルース聴きながらのんびりゴロゴロできそうだ⇒だったらメンフィス、治安もよさそうだし、ぐらいな理由です(笑)。
なので、偉そうに学校制度うんたらかんたらと書きましたが、ほとんど転寝していたので、もうほとんど覚えてません(涙)。

でも、「エメット・ティル事件」は衝撃だったので、よろしければ過去の動画、聞いてみてください。

余談ですが、面白いことに、黒人はあまりジャズを聴いておらず、パブリック・エネミーやMCハマー(当時)に夢中な人が多かったことに対し、白人はウィントン・マルサリスは実に素晴らしい!と言っている人が多いのが印象的でした。

イヤダローさんからの返信。

「黒人社会の歴史を学ぶ」という観点は全く無かったので、教えてくださって、勉強になります。新鮮なアングルです。

不勉強を承知でお話ししますが、(違っていたらご指摘ください)、バップは様式が在って、様式美を求める日本人に合っていましたが、フリーになると、様式そのものが無く難解な感じがして、それに合わせて、日本のジャズブームも終焉に向かって行ったように見えるんですが、いかがでしょうか。

メンフィスでは、「学校制度」について、教わっていらしたんですね。日本人でも、そういった学問を修めてる方って希少ではないでしょうか。非常に興味深い学問ですね。

マルサリスを白人が評価していたというのは意外でした。洗練されているように聴こえるのでしょうか。

MCハマーは一番売れている時に、東京ドームに観に行きました(笑)。バブル全盛期でいい時代でした。会場全体が浮かれていました。

>バップは様式が在って、様式美を求める日本人に合っていましたが、フリーになると、様式そのものが無く難解な感じがして、それに合わせて、日本のジャズブームも終焉に向かって行った

うーむ、間違ているとは言えませんが、個人的な感想としては、なんか微妙に違う(笑)。
果たして「様式美」の有無で好きになったり離れていったりするものなのでしょうか。まあ書くと膨大な文字量になってしまうので、いずれ機会があれば動画で話すかもしれませんが、すでに過去にアップした動画のいくつかには、そのヒントの断片が混ざっているはずです。

それと、細かいようですが「学校制度」というよりは「学校制度の歴史(変遷)」なんですね。
変遷(変化)をたどることが、白人の黒人に対する認識、位置づけが見えてくるのです。
ざっくりといえば、
隔離⇒少し融合⇒完全に融合の流れなんですが、この細かな動きを知ると、ミンガスの《フォーバス知事の寓話》がよりリアリティをもって迫ってきます。さらに、アーカンサス(アーカンソー)は、メンフィスのわりと近くなので、けっこう実感を持って迫ってくるものがありましたね。

>洗練されているように聴こえるのでしょうか。
個人的な考えですが、長く複雑なジャズの歴史と特徴を、簡潔に「要約」してくれているように白人には感じるからなのでしょう。
これも、書くと長くなるのでいずれ動画で話そうかと思いますが、簡単に言ってしまえば、「私たち白人は黒人に対して差別意識は持っていませんよ。それが証拠にマルサリス好きですから。巧いし文化へのリスペクトが感じられるしね。」と暗に主張するための格好のアイコンとなってくれていたからなのだと思います。

TAKESI0506さんからのコメント。

鍵谷さんの事が、またまた話題になってますね🥲
スイングジャーナル76年12月号の読書欄に載った読者の方からの公開質問状と次号の鍵谷さんの返信が興味深いので載せておきたいです。

■鍵谷幸信氏への公開質問状
質問と名うったにもかかわらず批判的な表現をする無礼をお許し下さい。SJ誌76年10月号の「対談―岩浪洋三、鍵谷幸信」における氏のマッコイ批判と、同73年10月1号ディスク・レビュー(「エコーズ・オブ・ア・フレンド」)でのマッコイ賞賛との間に開きがありすぎるのではないかというのが、私の質問の要旨です。具体的に述べますと、73年の誌上では「去年の秋マッコイ・タイナーが来日した時、僕は銀座の『ジャング』でわずか5mを距てた位置から彼が30cmも手をあげてピアノを叩いているのを目撃し、このミュージシャンのサウンドの弦線に触れる思いがした」とか「近頃のジャズ・ピアノに氾濫する技巧的な先走りや皮相的な音楽処理を遙かに越えた所で沈潜した思索と冥想と彼本来の情念で創造された“歌い語り”が、どんな些細なタッチからも流れ出てくるのである」などとあるのです。またそれ以外にも「一種高貴な精神主義のもっとも純化した表現」「評点をつけることなど無礼なほど」などと最上級の気になる表現もある。それが76年の対談になると「マッコイのごとき者がジャズの試金石だとしたら、僕はジャズと離縁したいね。あんなものはあらゆる角度から聴いても、つまらん音を反復しているだけなんだ。あれがジャズなら、ジャズってのは底の浅いものだなという気がするんだ」「ああいう陳腐な自己惑溺がどうもダメなんです。マッコイなんてのは知能指数も低そうだからあの程度で満足している」となる。どうですか、この差は。もし、マッコイがマイルスのようにスタイルを急変させるタイプのミュージシャンならまだしも、私の聴く限りではマツコイは本質的に「リアル・マッコイ」などのころと大して変化していないような気がします。
 ここで私の立場をはっきりさせておきますと、私はマッコイは好きではありません。ゆえにマッコイの弁護をするつもりも一切ありません。ここで私が問題とするのは、鍵谷氏の批評の姿勢です。私は氏の形容詞の多い独自の文章を愛しております。粟村政昭氏の辛辣さ、いソノてルヲ氏の軽妙さ等と並んで、氏の個性ある文章は読んでいて楽しい。しかし、今回の対談だけはいただけない。文章でないから多少の失言、誤認は生じてもいたしかたないのですが、こうもはっきりと一人のミュージシャンをもちあげたり、けなしたりしては、言行不一致、軽すぎると言われても反論できないのではないですか。鍵谷氏の場合、これまでにも相当量の放言があると思うのですがあまり表だって批判が出ないのは、皆少し甘やかしているのではないでしょうか。私も初めは「オモロイ人やなあ」ですんでいましたが、最近SJ誌全体の5星乱発を見るにつけ、ファンは批評家というものに対してさらに厳しくあらねばと思い、まず鍵谷氏を筆頭にあげたということです。できれば、誌上ではっきりと立場、批評の基準を述べ、今回の矛盾に対して説明してほしいと思います。

■読者氏への返事
 お答え致します。などということばで書き出すと、なんだか四流政治家並みのフレージングで陳腐だが、本誌先月号における読者氏のぼくに対する質問の返事を書きます。読者氏はぼくのマッコイ・タイナー観を批判されているが要は「エンライトンメント」以降のタイナーに、ぬき難いマナリズムを感じてしまい、とくに昨年の来日演奏会には失望したからです。彼が愚直なまでに自己に誠実であることは認めます。世がおしなべて電気音になびいていくなかで、彼一人がアコースティックを守っている姿勢はみごとです。
 しかし残念なことに、ジャズの今日の音トータルからみる時、彼のつくり出す音は、彼が大真面目であるだけに、どうやら昨日の音しか生んでいない、ということなのです。タイナーの最近のありようをみていると、コルトレーンの音楽とは無縁ではなかったか、という思いがしきりにする。コルトレーンは実にその大バカさ加減において、ぼくを圧倒し、しかも感動させずにはおかない。
 タイナーはいささか小バカにすぎはしまいか。それに誠実と愚直が加わっているところが、ぼくにはなお失望する主因になるわけです。読者氏はタイナーが「リアル・マッコイ」と本質的に変っていないという。そうかもしれません。だが不幸にも今日のぼくの耳には、最近のこのピアニストの音が、全く低次元の場と形にはまった意識から発せられているとしか思えない。よくジャズの愛好者というのは、いったん好きになると、当の音楽家のすべてを受け入れる癖があるらしい。
 これをぼくはとらない。読者氏はぼくの評価の変化を矛盾といわれますが、むしろタイナー自身に度し難い矛盾と鐘着があるのではないか。岩浪氏との対談であのような罵倒に近いことばを使ったのは去る7月の日本公演を一回聴いた時の失望が、大きくぼくの心の中で定着していたためにほかならないからです。
 だからといってこれからもぼくがタイナーを批難しつづけるとは限らない。やはりすばらしい音創造をやってくれることを秘かに望むものです。むしろ優れている場合は最大に顕揚し、その反対の場合は率直にその非を指摘するのが、批評の本来だと思います。ぼくはこの基本的原理をただ守っていきたいだけのことです。あなたはタイナーが好きでない。だから弁護するつもりはないという。好き嫌いで批評はできない。人間、好きなものをほめるのは人情だが、批評にはやはり客観的視座の設定が必要です。どうやらジャズはこの点をとかく混同しがちです。好きな音楽家だから優れた音楽だと思うのは、自己を甘やかすことになる。むしろ嫌いでも、優れた音楽であることが創造にはあるものです。批評は茶のみ話ではない。
 つまりタイナーをいくら聴いても、今のぼくにはなんの自己開発もみられない、ということにつきるということなのです。

 このやりとりを始めて読んだ時の感想は「相も変わらず鍵谷さんの文章というのは、ようわからんなぁ」というようなことでした。
 あの頃は私も成人に成り立てで、この読者の方の意見に大いに賛同したものでした😅

いつもいつも貴重な情報ありがとうございます。
しかも、今回も滅茶苦茶面白い、というと不真面目か。滅茶苦茶興味深い!

ぜひ動画で紹介したいと思います!

Hiromi Hasegawaさん⇒TAKESI0506さん

TAKESI0506さん投下の資料を見ると、鍵谷さんの評論は小林秀雄が良く使う「〇〇などは知らぬ、だが××は世界一であろう」方式の非論理的居直り断言批評のダメなとこばかり凝縮したような気がしてきました。

TAKESI0506さん⇒Hiromi Hasegawaさん

そうですね、この鍵谷という人は植草甚一などと同様、ファッションとしてのみジャズを聴いている人で、ジャズ評論家とは言えない。だからあまり目くじら立ててもしようがない、“過去にはこのようなオモロイ人もおったな”と昔を懐かしんでいる今日この頃です😇

>過去にはこのようなオモロイ人もおったな
一刀両断、バッサリですね🤣

kankannouさんからのコメント。

個人的に好きな大問題作アセンション♪!!(゜ロ゜ノ)ノ(*≧∀≦*)

いいね!

kankannouさんからのコメント。

画面から古本の香り😍🎵

ありがとうございます!

Hiromi Hasegawaさんからのコメント。

「黒人の歴史」に関してですが、今、見直したら『野口久光ベストジャズ 1953-1969』のスピリッチュアル・ユニティに対する短評の中で「それ(アイラーの音楽)はプランテーション・ハラーやストリート・クライ(黒人の物売りの声)を連想させる」と書いていました。プランテーション・ハラーですが黒人奴隷は労働中の会話、発語を一切禁止されていた、要は黒人同士のコミニケーションを不穏なものとして排除したわけです。なので掛け声とも歌ともいえない『声』をあげ、合いの手を入れ呼応しあう、それが黒人音楽の原点である、ということだと思います。野口さんは「ジャズ評論の淀川長治」かもしれない。あと、残念ですが短評なのでピーコックへの言及はありませんでした。

情報ありがとうございます。
この本、今や高値がついてるんですよね。
買っておけばよかった~。

2019 enchanさんからのコメント。

動画配信ありがとうございま〜す。残念ながらドルフィーは他界しておりますが、この時代はフリー豊作ですね。4連続畳みかけそれ自体がフリーの旋律なみ。

豊作ですね~。
当時、リアルタイムで、このような趨勢に義務感ではなしについていけて、(カッコつけではなく、心の底から)夢中になっていた人ってどれくらいいたんでしょうかね?(笑)