クロスオーバーって?
一般的には、ジャズとロックが融合した音楽が「クロスオーバー」と呼ばれていたが、やがて「フュージョン」と呼ばれるようになった、と言われていますよね。
個人的には、なんとなく分かっているようで、じつはよく分かっていないかもしれない。
もちろん厳密に、ここまでがジャズで、ここからがクロスオーバー、というような厳密な線引きは出来ないのでしょうけれども、この言葉が生まれた時代や、その背景ぐらいは知っておきたい。
そんな折、雑誌『ジャズランド』、1976年4月号の特集が「CROSS OVER」だったということを発見!
この特集の一部を動画で紹介してみました。
鍵谷幸信先生、サックス奏者・稲垣次郎氏、ジャズ評論家・岩浪洋三氏が考える「クロスオーヴァー」とは?
コメント
高松貞治さんからのコメント。
ジャズランド76年、4月号、聞いたことないですね。Amazonで売ってませんね。かろうじて、メルカリで3冊揃いで1800円で売ってますけど、他にはありませんね。
>メルカリで3冊揃いで1800円
ほぉ。『ジャズランド』の今回紹介した号の定価は780円なので、ちょっと安めになっているんですね。
高松貞治さんからの返信。
お目当てのものはジャズランドだけで、他の雑誌2冊のうちの、ジャズライフとかJAZZとかいらないですよね。
残り2冊は他誌だったんですね。
Ken Konishiさんからのコメント。
ジャズを難しく話しすぎ( `ー´)ノジャズに限らず、全ての音楽はそこから何かを感じ取れれば、それがその人にとって良い音楽なのですから、もっと気楽に聴きたいものです。当時はこういう文体が受けていたのですかね?自分は抵抗感を持っていましたよ。
たしかに偉そうで批判的な姿勢のほうが「知的」と思われるような風潮はあったように感じるのですが、でも、鍵谷先生が抜きんでて特殊なだけだったんじゃないかとも思うんですよね。その後に読んだ岩浪さんの解説は分かりやすく感じませんでしたか?
Ken Konishiさんからの返信。
そうですね。鍵谷先生はかなり変わった方だったのかも知れません。岩波さん、油井さんの論評は読みやすかったですね。評論家も色々な個性があって楽しいものです。
イヤダローさんからのコメント。
クロスオーバー批評の対象者ってどんなジャズメンなんでしょうか。スティーリー・ダンとかああいう人が対象になるのかな…。それにしても、「クロスオーバー」っていうお題目だけで、数頁の批評文が書ける往時の評論家諸氏の知見と文才には憧憬を抱きます。よく書いていますよね。
長谷川孝二さんからのコメント。
クロスオーバーって僕の認識だとフュージョンに限らずイージーリスニングとかソウルミュージックも含む「ジャズっぽい?」音楽を指しているのかなと思っていました。
というのは昔ラジオ(確かNHKFM)で「クロスオーバーイレブン」という番組があって、聴いててそう感じていました。因みにカギヤさんの言う「節操無く浮気してる」に付いては、早く言えば偏見ですね(笑)。どういうことかと言うと、確かに節操が無くてポリシーの無いジャズメンも一部いるけど、それがジャズメンの一般的な特徴では無いからです。
それこそ山登りや釣りがブームになるとマナー違反(ゴミの放置など)が多くなるけど、それを見て「山登りする人間はマナーが悪い」「釣り人はマナーが悪い」って言うくらいの偏見ですね。
まさに早く言えば偏見です(笑)。
長谷川孝二さんからのコメント。
頭の硬いジャズ評論家のおじさん(笑)に対しての素朴な疑問。
彼等は子供の頃とかにちあきなおみや藤圭子とか聴いていた人も多いはず。なのにジャズにハマった瞬間から今まで愛していたカテゴリーの音楽を「くだらない音楽。レベルの低い音楽」と言って過去の自分が愛したものを捨ててしまう人が多いように思います。或いは「音楽には全く興味が無かったけどジャズに出会ってから変わった」そのどちらかなのかなと思います。
ジャズは特別な音楽だという思いこみが強いんじゃないかと思います。
べつにそれは悪いことだとは思わないですし、私もそういう意識はあるんですが、そこから先ですね。
ジャズは特別な音楽かもしれないけれど、だからといって自分は特別な人間なんかじゃないよ。
この認識があるかどうかですね(笑)。
讃岐うどんさんからのコメント。
なんか格闘技ファンと良く似ていますね。笑 「プロレスは格闘技ではない」とか「どの格闘技が最強か?」とか、好きなのは伝わるのですが…..
それはなんかわかるような気がします。
プロレス好き、格闘技好き、そしてヘヴィメタル好きもそうだと思うんですが、試合やライブにはあまり足は運ばないけれども、活字好き、論議好きな層が一定数います(もしかしたら、野球やサッカーのようなスポーツの分野もそうかもしれません)。
ジャズにもライヴ好きや楽器演奏が好きな「アウトドア派」もいますが、活字やオーディオが好きな「インドア派」も少なくありません。
好きなことには変わらないんですが、その好きの出し方、好きに対しての響き方が人によって違うんですね。格闘技もそうだと思うんですが、ジャズの場合も昔から、活字や議論との親和性が高いようです(笑)。
讃岐うどんさんからの返信。
お笑いもそうですね。Jazzを習得しようと師事していた先生がお笑い好きで「Ⅱ-V-Ⅰ」をフリ、ボケ、突っ込みと指導されました。笑
うまい!
わかりやすいです!🤣
長谷川孝二さん⇒讃岐うどんさん
Ⅴがボケというのは確かにそうですね(笑)。「Ⅴ」でオルタードのまま「Ⅰ」に解決(ツッコミ)しなければただの外れた音だしなんの前触れ(「Ⅱ」フリ)も無しにオルタード行くと「外れた音」になりますからね(笑)
Jさんからのコメント。
7 個 リーモーガン ドラゴンボール揃いましたね~
なにか 願い事かないそ~
記念に ザ ランプローラー 何十年ぶりに 針を落とす
お~ い~じゃん! ジョーヘン 刻んでくるね~
スーパーマリオ ビッビッ ビッ と 透明に やっぱ モーガン透明で 気がつきにくい ブルースそのものだからか
J
わっ、本当だ!
リー・モーガン動画、7つありますね。
よくまあそんなにモーガンで引っ張れたなと思います(笑)。
Fantome Experimentさんからのコメント。
どうも初めまして、最初のクロスオーバー批判がかなり厳しい(笑)ですが個人的にはそのフットワークの軽さがジャズをより面白く、また他ジャンルにも影響を与えているのだと思います。
おっしゃるとおりだと思います。
アニメもゲームもマンガも、他ジャンルの色々な要素を取り入れたり融合したりして進化しているのに、ことジャズに関しては、新しいものが出てきたり、新しいジャンル名が登場するだけで、どうしてこうも、「あーでもない、こーでもない」と難しい言葉を弄するんだろうと思います。
まあ、そのような過去の出来事や、エラいセンセイの文章から漂う当時の空気を楽しんでいる私がいるわけですが(苦笑)。
博 橋本さんからのコメント。
蝟集(い・しゅう) 「色々な物がハリネズミの毛のように一箇所に密集している様子」みたいな意味かと・・・😅
だからなんなの?・・・😅
いしゅう、でしたか。
ありがとうございます。
「以前は秀れた音楽創造をみせたジャズ奏者までもが、こぞって自らの音楽言語をなげやりにし、電気音に“蝟集”するさまはもう茶番以外のなにものでもない」
うーむ、“蝟集”したようにセンセイには見えたのかもしれませんが、「自らの音楽言語をなげやり」は言い過ぎというか、コトの本質をとらえていないように感じるんですけど……。
ジャズはアコースティック楽器を使わねばならぬという、頑迷な思い込みとしか思えませんし、そう思うのは自由だとしても、自分の頭の中でこしらえた「自分ルール」を表現者に押し付けるのはいかがなものかと私は思います。
「女性は家庭で家事にいそしむべきであり、自らの炊事・洗濯をなげやりにし、こぞって就業に“蝟集”するさまはもう茶番以外のなにものでもない」に聞こえます😅
博 橋本さんからの返信。
そうですね。
少なくとも演者にとっては必要なチャレンジの一つだったわけで、その全員が揃って「自らの音楽言語をなげや」って蝟集していた訳では無いと思っています。
おっしゃるとおりだと思います。
飛田野正人さんからのコメント。
ちょっと以下の条件で考えてみました。
①JAZZ云々の前にクロスオーバーを音楽と音楽の掛け合わせ形態と少し大きく捉える前提とする
②その上でJAZZを掛け合わせの片方に置く
③そして視点を掛け合わせの他方の音楽に置いてみる例えば
フラメンコやブルーグラス、民族音楽でも何でも良いのですが、それらの敏腕楽器奏者が
JAZZとの掛け合わせに参加をしたとします。一体どんな音楽になるのか?とは少し離れて、
そういうのはある種の緊張感を生み出すのではないかと思います。
それはその出自の音楽ジャンルの保守性が背中へナイフを突き付ける感じ、つまりは
「フラメンコ奏者が何をやっているんだ!」「こんなのブルーグラスじゃない!」
「奴は伝統音楽の心を捨てた!」という圧力ではないかと。私はそれが問題だとは必ずしも思っていなくて、その緊張感が結果掛け合わせ音楽をヒリヒリしたものにさせ、面白くするのではないかと思いました。
またその出自の音楽が垣間見えて、「JAZZというフォーマットとしてどうか?」という疑問や、ハッキリ言ってJAZZとしてはお笑い草という結果を誘発したとしても、それがまた面白いのでは?
と思いました。(その昔、ソビエトのアマレスエリートが日本のプロレスに参戦した時の事を思い出してしまいました。
しかしまぁ、現代は嫌な時代になってしまいました。。。)ここでまた視点をJAZZに戻してみると、
伝統や保守性がないから、JAZZという音楽はその出自自体がヒリヒリさせる緊張感には冷淡で
また革新性に貪欲でないから、お笑い草や失敗を厭わないという輝きにはJAZZという音楽は
無頓着になってしまうのでしょうかね?すると、JAZZは保守性も革新性もない音楽だから、掛け合わせると安易になるのでは?
と思ってしまいました。つまり浮かれているのは他ジャンルではなくJAZZではないかと。
掛け合わせは安易だという評論家さんの仰ることを突き詰めるとそうなってしまうんじゃないかと
つい。。。
なるほど🤔
ユニークな考察ありがとうございました。
永井勉さんからのコメント。
やっぱモンクっていいな~~~
暖かくなり脳も緩くなり始めた永井です・・・m(__)m
クロスオーバーと言ったらジェフ・ベックのブロー・バイ・ブロー
が最初に思い浮かびます・・・m(__)m
ロックギタリストが創ったアルバムとしては度を超えています・・・m(__)m
真似事でjazzプレーヤーがロックサイドの音楽を再現するのではないし
ロックプレーヤーがjazzの真似事をするのではなく、
ジェフ・ベックが世界最強プロデューサーのジョージ・マーティン氏
の力を借り創ったアルバムです・・・m(__)m
クロスオーバーって個人的にはあらゆるジャンルの音楽が複合されていて
そのピースひとつずつが計算されている楽曲だと思っています・・・m(__)m
例えばエリントンのAd Lib on Nippon
例えばJeff Beck のScatterbrainです例えばライクーダーの1976. Chicken Skin Musicも
ジャンルを飛び越えていると思います・・・m(__)m