高柳昌行・著『汎音楽論』(月曜社)に掲載されていたレコード評をいくつか紹介してみました。
『スイングジャーナル』に寄稿された原稿が転載されたもののようですが、であれば、評点(星がいくつか)も掲載して欲しかったなぁ。
ま、読めば、だいたい評価の温度は分かりますが、にしても難解な文章だなぁ(苦笑)。
コメント
御駄賃取郎さんからのコメント。
この本が発売された頃は実にいい時代でしたねえ・・。こんな「言いたい放題」の本でも(おそらく全国で1000人弱くらいのフアンがいたと想像しますが)全共闘世代お得意の「理論武装!」のための本として?ありがたがられたのかもしれませんねえ。。でも私はこの人のレコードは案外好きです。いわゆる「歌心」があるようにおもえます。こうした人が昔は「覆面」で歌謡曲の録音メンバー中にこっそりとまぎれていたりしそうだな。(あるいはキャバレーバンドとか・・)m(_ _)m
しかし内容は私のような凡人には殆ど凡人には理解などできませんが、なんとなくジャズの終わりを予感していること?だけはあたっているような気がします。。
一方で以前マスターがおっしゃった「あなたの嫌いなパーカーも今の若い人には却って新鮮で心地良いかもですよ?」というお言葉にも心がうごいています。だもんでジャズに「終わり」はないのかな?とも思いますが
「ジャズは芸術だ!」と自分は思ったことはないので「アメリカ版第2クラシック音楽」として残ってくれればそれで満足です。
>全共闘世代お得意の「理論武装!」のための本として?
ときどき何も考えずに「理論武装」という言葉を使っていたのですが、全共闘世代が使っていた言葉だったんですか?
御駄賃取郎さんからのコメント。
わたしの知る限りではそうでした。社会人になってからもこの世代の上司で学生運動に参加したことが自慢?の方からは飲み屋でぽろりとよく耳にしました。(笑)むしろマスターがこの言葉をお使いのことに少し驚きました。(笑)熱心な読書家なら当然ご存知であろうなとは思いますが、私と近いじいちゃん、ばあちゃんの世代?m(_ _)mには「悪魔のノータリン用語」?のごとき反感を感じるお方も少なくないと思います。・・つまり「我が身の○ホを隠すための屁理屈言い(今でいうマウント?)」に私など感じてしまいます。(笑)
ご返答ありがとうございます。
「お前、なに理論武装してんだよ」的な感じで、あまり良い意味では使ってませんでしたけど。
そういえば、何で知ってたんだろ?
上の世代の方にとっては「悪魔のノータリン用語」だったんですね。
今流行りの「親ガチャ(子どもは親を選べない/しょせん運、環境で人生左右されるよね)」みたいな感じですかね(笑)?
TAKESI0506さんからのコメント。
汎音楽論集には、ライブイブルも載っていたのですね、失礼しました、私の勇み足でした😪
いえいえ、2つ星だということは知らなかったので(記載されていなかったので)、私にとっては「ニュー情報」でした。
Ken Konishiさんからのコメント。
難しいですねぇ(‘ω’)吾輩には理解不能の文章であります。
あっしにもチンプンカンプンでげす(笑)。
長谷川孝二さん⇒Ken Konishiさん
人を煙に巻くハッタリに感じてしまいました。多分高柳さんのイエスマン達は、理解してなくても理解したフリをして「そうですよね〜」とか言うんでしょうね。気持ち悪いです…
割り込んで暴言失礼しました…
私も同じ時代を生きていたらイエスマンになっていた可能性大……(涙)。
案外、長谷川さんのような骨のある人からのツッコミを待っていたのかもしれません。
カトウシュンさんからのコメント。
私の方からリクエストして言うのも何ですが💧汎音楽論集の紹介動画を聴いてると頭が疲れているのか甘いものを摂取したくなりますね(^_^;)
この本は一気に読むものではなく時間をかけてゆっくり読んだ方がいいのかなと思いました。
あっ、だからか!
ここ数日、まとめ買いをしていたキットカットの無くなるペースが早かったのは。
関係ないけど、ショコラオレンジ味のキットカットが意外に旨いという発見がありました(笑)。
tmjさんからのコメント。
「就中=なかんずく」です。毒舌の高柳氏ですが、意外なことに渡辺貞夫さんと仲がよかったそうです。
ありがとうございます!
なかんずく、でしたか。
読めねぇわぁ~😭
渡辺貞夫とデュオで《オール・ザ・シングズ・ユー・アー》を演奏している動画を見つけました♪
TM MTさんからのコメント。
セシル・テイラーの項で仏教思想に言及したの凄くマズかったですね。ハッタリ文章確定ですw おめでとう。
ダライ・ラマ猊下の「中論」講義読んでください。僕もよくわかってませんがw
高柳さんは既に故人ですが、「読んでくださいっ」て、いったい誰に?(笑)
TM MTさんからの返信。
そうだったんですね・・残念です。
ところで死者にお経を読ませることは不可能ではありません。というか日本ではポピュラーです。お盆の施餓鬼がそれですね。お経と食事を届けます。高柳先生の冥福(あの世の幸せ)を祈ります。
長谷川孝二さんからのコメント。
なんだかこの一連の高柳節を聴いてからYouTube観ると、演奏自体がハッタリに聴こえて来ましたよ。すみませんね(笑)。
高柳さん生きてたら、突っかかりに行きたいですがね…
まあ屁理屈で僕が論破されるとは思いますが(笑)
きっと突っかかった人もいたんでしょうね。
いや、皆、有難がって(?)、突っかからなかったのかな?
彼のこと批判した文章、(私の知る限りでは)読んだことありませんから。
話かかわって、そういえば「突っかかる」で思い出したのですが、若かりし日の血気盛んだったころの教授(坂本龍一)は、和楽器を使用した武満徹のことを「けしからん!」と憤り、ガリ版でビラを作って、コンサート会場の前でビラ配りをしたそうです。
そしたら、武満さん本人がそのビラを持って「これを書いたのは君か?!」とやってきて、これがきっかけで話し合いになり、けっこう気に入られたというエピソードを何かで読んだ記憶があります。
案外、挑発的な文章と音楽表現をしていた高柳さんは、自分に歯向かってくる人がいなくて「張り合いねぇなぁ」と思っていたのかもしれませんね。だから、「では、これならどうだ?!」とさらに過激になっていき……という連鎖が繰り返されていた、……のかもしれません(妄想)。
長谷川孝二さんからの返信。
なるほど!そういう風に想像することも出来ますね。
となると高柳さんって方はとことん孤高というか孤独だったのかも。でも自分が多くの人からリスペクトされているから出来るゲームだと思います。本当に友人が1人も居なくて、誰1人自分を評価する人がいなかったらあのような文章は「イタい人」認定されるだけですから(笑)
友達のことはよくわかりませんが(YouTube動画で渡辺貞夫が回想談を語るドキュメント番組があったので)、でも、まあ「先生」になっちゃっていたんでしょうね。
ギター教室の先生でもありましたが、そういう意味の先生じゃなくて、いわゆる「センセイ」。そのニュアンス、きっと分かってもらえると思いますが、センセイになっちゃうと、そうである自分を維持する(あるいは向上させる)方向に気持ちのベクトルが働いちゃうことが多いから(特にマジメな人ほど)、だから、私の場合も、時々(本当に時々ですが)、私のことを「せんせい」を付けて呼んでくる人がいたら、そういう人に対しては、お願いだから「せんせい」はやめて下さいと頼んでいます。
周囲との間にできた壁が高くなればなるほど、厚くなればなるほど、長谷川さんは「イタい人」という表現を使われてますが、私の場合は「裸の王様」になってしまうのではないかと思うんですよね。それは、他の動画で何度も取り上げている某評論家センセイの文章からも伺えるんじゃないかと思います(笑)。
長谷川孝二さんからの返信。
そうです。正に、イタい人=裸の王様のことです。
僕もこれから「イタい人」から「裸の王様」に言い方変えます。裸の王様のほうが的確な言葉ですね(笑)
「センセイ」ってよく呼ぶ人って、多分礼儀のつもりなんだと思いますが、僕も「センセイ」って呼ばれるのは大嫌いです、少なくともジャズ&ポップスの分野では。
また「センセイ」って言われても嬉しくも無いしむしろ馬鹿にされてる気持ちになります(多分被害妄想、笑)。
一方で、クラシックの世界になると、普通に挨拶として「センセイ」を使いますね。
>「センセイ」って言われても嬉しくも無いしむしろ馬鹿にされてる気持ち
ああ、それ私もです。
というか、繁華街でキャバクラなどの客引きがよく使う「社長、社長!お安くしときますよ、1時間3000円ポッキリ!!」の「社長」と同じように聞こえます(笑)。
長谷川孝二さんからの返信。
正に客引きに声かけられたのと同じ気持ちになります(笑)。
だからやたらと礼儀としてセンセイを連呼するかた、気を付けてください(笑)
永井勉さんからのコメント。
突然モンクおやじの永井です・・・m(__)m
ジミー・スミスをyoutubeで検索していたら
とんでもない人にぶつかりました・・・m(__)m
ジョーイ・デフランセスコです・・・音楽の事をぐずぐず言う前に体感してみろという感じです・・・!!
楽器は違ってもこのスピリットは学ぶべきところが大きいです・・・m(__)m
攻めますね~、グイグイいっちゃってますね~!
グー!!
「5スポット」のライヴというのもイイですね!
長谷川孝二さんからのコメント。
【自分の感性を信じる】のは大事ですが【自分の感性が絶対】という考えに陥るのは傲慢で愚かなことだと思います。
てか、高柳さんの文章を色々聞いていくうちに、なんか人を煙に巻くハッタリな語りに感じて来てしまいました。しかもYouTubeでいくつか高柳さんのを見たら尚更文章に通じる一見説得力のあるハッタリに聴こえて来ました…
😂
人力飛行機さんからのコメント。
面白いと同時に違うんじゃないかという感想も持つセンテンスもありますね。他の皆さんのコメントとだいたい似た感想が出てくるんですが。異和感としてはLIVE EVILには辛くてI sing the body electricにはそうでもない、期待するような・・・そこがなんでかなと。そう違わない様に聴こえるんですけどね。I sing the body electricのSIDE2ライブ演奏とか、1971-1972だそうだけど、マイルスのほぼ同時期1969-1971のライブ演奏に酷似してますよね。前者は否定で後者には期待する、はかなりおかしい。Charlie Haden のLiberation Music Orchestraについても政治的主張をするなら過激な音でなければならないかのような辛口をしているのも違うんじゃないかと思います。つぶやくような音で自由を表すという場合もあるわけだから。ここに挙げられているアルバムはLIVE EVIL以外は初見ですけどみんな面白い音作りでしたけどね。個性は違うけども。みな面白いアルバム。
私が思うに、ジャズの聴き方がこの本の時代とはもう違っていることが大きいんでしょうね。この本とか間章の本とか。YouTubeにUPされてる1991年テレ朝のPRE-STAGEでやった阿部薫の特集でも、そこに出てた数人はもう亡くなってるし、健在でも高齢だし。あそこで語られてる内容とか、もう今のジャズファンには届かないようにみえる。1991年でさえそうなんで。完全にジャズの聴き方は変わったってことなんでしょうね。ジャズにたいして過剰な意味づけがされてるし、「フリージャズの責任」なんてことも高柳さんの本にはあるようだし。ジャズが何かの砦になってますね。砦というか、革命運動の一種だとみなしてますよねきっと。そういうのが今のジャズファンとはもう隔世してる。私は興味があるので読みたいんですが、いかんせん高価でamazonで最低¥25`800とかで手が出ないのが残念です。