’74年 米国で活躍する日本人ジャズマン5人の座談会

投稿者:

1973年に発売された、スイングジャーナルの増刊号『モダン・ジャズ’74』には、興味深い座談会が掲載されていました。

ニューヨークに活動の拠点を移した日本人ジャズマンたちの座談会です。

司会は当時の編集長の児玉紀芳氏。
参加したジャズマンは、川崎燎、岸田恵二、菊地雅章、増尾好秋、中村照夫の5人です。

異国かつ本場のアメリカで日本人がジャズすることは?

この記事を紹介する動画をアップしました。

コメント

Ken Konishiさんからのコメント。

生活環境、食文化、人種、言語、等々日本人にはジャズは難しいのかもですね。人種差別の問題もありますし。そうですよ。アメリカ人が演歌は歌えないように、ジャズの神髄を知る事は結構大変だと思います。でもそれはそれでいいのですよ。音楽を楽しめればそれでいいのですよ。

高松貞治さんからのコメント。

動画で言っている、日本人ジャズマンはあまり詳しくなく、菊地雅章はもちろん知っていますが、増尾好秋と中村照夫はかろうじて、知っているぐらいかなぁ。日本人のジャズマンをあまり知らなくてすいません。

Jさんからのコメント。

もう半世紀前なんですね~
まず 生活等ジャズ的に なろうと 存在が ジャズっぽい人になろうと 日常ブルース感覚的なものを得ようと いいじゃないですか~
まあ あまり細かいことに 囚われず キチンとし過ぎず  生活にも 間のとりかたに 余裕というか オフテンポにするとか できるといいですよね~   JAZZ 悲哀もフランクに やはり間のブルース的なリズム感でしょうか
                      J

tmjさんからのコメント。

26:38 「みんなこれ者でやるじゃない?」……「これ者で」は「これもんで」でしょう。

ほっぺたを手刀で横に切りながら「あそこのマスター、”これもん”でさあ」(ヤーさん)
両手でお腹が大きいジェスチャーをしながら「うちの女房いま”これもん”でさあ」(妊娠中)

とか、昔の芸能関係者がよく言ってました。必ずジェスチャーを伴う表現なので、菊地雅章さんが何を言いたかったのかは正確にはわかりません。

ああ、そういうことでしたか。
目の前の活字を追いかけるのに必死で、そこまで思い至りませんでした。
ありがとうございます。

永井勉さんからのコメント。

モンクばかり聴いて文句ばかり
言っている永井です・・・m(__)m
いや~~~今まで聴いてきた動画の中ではトップ3に
入るぐらいいい動画でしたよ・・・m(__)m
一流のプレーヤーでも本場でジャズをプレーする度に何か違和感を
感じていた事とか、何か凄いですよね!!
私が一番かっこいいなと思ったのは上手いひとばかりじゃなくて
たいしたプレーヤーじゃないんだけど乗ってくるといいプレーをするミュージシャンもいたよ というくだりです・・・
とにかく評論家目線ではなくプレーヤー目線の今回のお話は自分がいかにジャズとかブルースに対して浅い部分でしか聴いてこなかったなと強く感じました・・・m(__)m

ありがとうございます!
私も大したプレーできなくても、いいプレーできるようになれるよう頑張ります!!

でも、モンク聴いて文句言ってちゃアカンでしょ?(笑)

御駄賃取郎さんからのコメント。

この時代の日本のジャズメンの会話、すごいですね~!・・・でも、みんな「ハイ」になると、みんなで「フルチン踊り」するんだらうなあ。。。天才ぞろいだもんなあ・・・。そうでなければいかんなあ!だから凡人はジャズにあこがれてしまうのだな?きっと!たぶん!!?・・・今聴いてもこの時代の日本ジャズはレベルが高かったと思うが、CDの復刻がされなくなって久しい。が、今はYOUTUBEでさがせばほぼ見つかる(レコード音源で)ので、いい時代だなあ。。

自分はこのGWから高野マスターの過去のv1000本以上にも及ぶUPを、すべてしらみつぶしに聴くことに決めました。(笑)そのほうが、ジャズの本読むよりおもしろいしぃ。^^v

・・・会話の内容で印象にのこったのは、当時のジヤズメンが、いかに生活のためとはいえ「キャバレーの仕事などはするな!」と自戒を込めて建前で?いいまくっていたことか。。(高柳さんやG大塚さんなど多くの人の口癖だったらしい。)

>すべてしらみつぶしに聴くことに決めました。(笑)
本当ですか?!
これは凄い! ありがとうございます。
でも、頭おかしくなる前に、ほどほどのところで切り上げてくださいね(笑)。

こりゃあ、ちょっと早いお中元を贈らないとレベルの話だなぁ。

kogataさんからのコメント。

プーさんは、日本にいたらもっと良い医療が受けられたと思う 日本にいる多くのジャズメンは不遇だけど

TM MTさんからのコメント。

これは日野皓正さんもテレビで言ってましたね(徹子の部屋)だったかな・・?日本人(ミュージシャン)は
「あいつを追い落としてやろう」とか「あいつの足を引っ張ってやろう」とかそんなことばっかり考えてると 「日本はどこ行っても村社会」ですね。いいとこも悪いとこもあって、僕みたいに無能でも、人付き合いさえ無難にこなせれば、この歳まで戸建構えてのうのうと暮らせますw
これが嫌だという気持ちもよくわかります。

やはり「ジェラスの霧」に包まれている国なんでしょうか。
私も、昔ベースを習いに通っていた音楽学校の控え室で、生徒が来るのを待つ講師同士が雑談をしている中で「あいつはダメだ、全然わかってない」というような噂話をしているのを何度か耳にしたこともあります。
同業者の人数も少ないであろう狭い社会のこと、いったんそのような悪評が立ってしまうと、今後は仕事やりにくいだろうな、などと思った記憶があります。

博 橋本さんからのコメント。

川崎燎は’70年頃、お茶の水の『naru』で何度かライヴを体験しました。
ライヴの日はいつも平日の昼間でした。午前中から入って昼頃まで居座っていると、いつの間にかギター・アンプなどが運び込まれてきて、なんとなく演奏が始まるといった体でした。
詳しい編成は覚えて居ません。サウンドとしては当時としては耳新しい(?)田園チックなものを感じた事を思い出します。
学生ながらの新星という噂は既に昂まっていました。
成城学園の学生と聞いていましたが、たぶん「成城学園の方に住んでいるヤツ」が「成城のヤツ」になって「成城の学生」と伝言ゲームの要領で伝わって来たと今では思っています。

今回の動画に登場の73年頃の面々の活躍は単純に憧れでした。
その後の川崎さんは亡くなるまで活躍し続けていたと思って居ます。

*TAKESI0506さんへ。
当時のスイングジャーナルにはその月のコンサートやライヴの情報の頁が 1 頁有りましたが、こんなのもデータは有りますか?😅

お茶の水の『naru』にも出ていたんですか!
なんか、マッコイ・タイナーが入口のお店だけあって、個人的にはアコースティックでストレートアヘッドなジャズ中心の店というイメージでした。

坂巻洋さんからのコメント。

💙🙄🌱💮