昭和49年に発売された『ジャズ批評 18』の特集は、「日本のジャズの新たなる胎動」。
その特集の中に、瀬川昌久さんが書かれた記事「日本のジャズに欠けるもの」を紹介しています。
コメント
高松貞治さんからのコメント。
文章が素晴らしい!さすが!チャーリー・パーカーを生で見た、唯一の日本人!最新のジャズ批評の追悼特集によると、瀬川昌久さんはジャズ批評に文章を書いたのは12号より221号、つまり1972年より2021年まで書いていたそうです。長い間活躍されてたんですね!
Jさんからのコメント。
その頃の エウミールデオダートは よく聴きました ムーンライトセレナーデ ブラジルモダンと思ってます ジャズの話しで出てくるのは 嬉しいですね 今でも時々聴きます
そのころだったような.. ラジオで 天才小学生のドラマー 奥平真吾(オクダイラシンゴ)が紹介されたのは ケニアに住んでいたこともあり 凄いアフリカンドラムビートで 将来が楽しみに期待しました
その後 新宿のピットインで 彼が大学生のとき一度ライヴ聴いたのですが まだアフリカンドラムのビートがあってよかったのですが それから徐々に 普通のドラマーになってしまいました(技術的にはハイレベルになったんでしょうね) ナベサダも 当時は バリバリのハードバッパーだったはずなのに 変わりましたね~ まあ奥平真吾では 土壌 環境 が大きく影響するんだなあ~と思いました
J
1959 lionさんからのコメント。
1974年、長島の引退、傷だらけの天使でテレビにかじりつき
クラプトンの新譜にガッカリし翌年アガルタでjazzに驚愕
それからjazzを遡って聞きはじめました。
永井勉さんからのコメント。
1974・・・いいですねえ~~~
懐かしいです・・日々、欽ちゃんの番組から
出た中三トリオを聴きあさっていた毎日でした・・・
ラジオはソニーのスカイセンサーがバカ売れしていた
頃です・・・
その頃 ラジオではキラークイーンも流れてましたし、
映画では、燃えよドラゴンのブルースリーが人気
で、町中の若者はヌンチャクを振り回していました・・・W
フォークでは神田川 かぐや姫が少し前にヒットした
事もあって、オールナイト・ニッポンという
深夜のラジオ番組が若者のステイタスになり始めた
時代です・・・m(__)m
当時中二だった私はまともにその波を食らいました・・・W
まだ 洋楽 ビートルズに出会う前の頃でした・・・m(__)m
同じ頃、遥か昔のビートルズのHELPという曲にラジオで
出会ったんです・・・m(__)m
そこから音楽観がガラリと変わった記憶があります・・・m(__)m
永井少年14才の春です・・・W🥰😍😂🤩🤭
登場する単語ひとつひとつから情景がなんとなく思い浮かんできますが、いま考えると、74年って、けっこう濃ゆ~い時代だったんですね。
TAKESI0506さんからのコメント。
瀬川さんは、その暖かいお人柄を反映して、私の知るかぎり優しい文章ばかりですが、ただひとつ、スイングジャーナル74年5月号のスタン・ケントン楽団の名作「ポートレート・オン・スタンダーズ」のディスクレビューでは、来日直前のケントン楽団に対する各界の冷たい反応にかなり強い言葉で批判しています。
ケントン楽団の公演は、エージェントから聞いたところでは、切符の売れ行きがはなはだ芳(かんば)しくないらしい、全国で1割も売れていないということだ。前宣伝が十分でなかったことも確かだが、主宰者によると、新聞雑誌に持ち込んでも「ケントンじゃ古くてね」と一蹴されてしまって、なかなか記事にしてくれないという。このケントンに対する反応は、わが国のジャズ、とくにビッグバンドに対するエージェント、批評家、ファン、ジャーナリズム、マスコミ等の平生からの姿勢や取り組み方を最も端的に現している。スタン・ケントンを古い、と片付けるマスコミ記者と、的確なセールスポイントを打ち出せないエージェント。だいたい呼ぶ側に、アーティストに対する確信と熱烈な愛情がなかったら、呼ばなければ良いのだ。知らずにやって来るケントンとバンドの一行こそ大迷惑である。そもそも米国でも大学生を中心に根強い人気を持ち、またヨーロッパ各国でも圧倒的な人気を博した最近のケントン楽団は、昨年のニューポート祭でも演奏は良かったというし、近作を聴いてもなかなかの出来である。このケントンを古い、などとたわ言を言っているのは、日本だけなのだ。いや日本でも、私の知る限り、その来日を胸を躍らせて心待ちにしている熱心なファンも多勢いるのだ。ただそれを十分に知らしめていないとすれば、それはジャズジャーナリズムや、主宰者の罪に帰せられるべきだ。レコード会社も決して無罪ではない。名作アルバムのほとんどが、オクラになったままだ。また最近の Creative World of Stan Kenton のレーベルは日本では配給ルートもできてないから、今の若いファンには接する機会がないのだ。
瀬川さんが愛する、スタン・ケントンやビッグバンド・ジャズに対する深い愛情が感じられて胸を打たれますね😢
74年のスタン・ケントン・オーケストラ来日ですか。
興味あるので調べてみたら、料金は、
S:¥2900
A:¥2500
B:¥1900
C:¥1600
でした。
ちなみに、同じ年、同じ厚生年金会館の山下洋輔トリオは、入場料が一律¥1000だったようですから、やはり舶来、しかも楽団員数の多さからしてみると、同時の日本人ジャズマンの相場よりは、割高だったんでしょうね。
気になるのは、コンサートの入りなんですが、ガラガラじゃなかったことを祈りたいです。
TAKESI0506さんからの返信。
ありがとうございます。
山下洋輔トリオに比べたら高いかもわかりませんが、ディスクレビューの「ポートレイト・オン・スタンダーズ」が2000円ですから、S席が2900円というのは特別高いとは思えないのですが……。74年6月号に載った瀬川さんのコンサートレビューです。
スタン・ケントン楽団は、初日の4月8日に聞けなかったので、14日(民音)と15日の2回を聞いた。演奏曲目は大体同じだったが、印象は大分違った。14日の文京公会堂は満員ではあったが、音響効果が悪かったゆえかサウンドに魅力がなく、リズムやソロ・プレイに迫力が欠けた。しかし15日は観客の入りこそはなはだ悪かったがケントン特有のメカニックな各セクションのアンサンブルが大変美しく、ドラムスも力強く各ソロもウェスト・コースト的なモダンな味があった。このような印象の相違は確かにホールの良し悪しによるところも大きかったが、私の耳が2回目の15日には、ケントンのクリアーなサウンドに慣れて、これを快く受け入れる素地ができたからではなかろうか。
だれかがいったように、ケントンの来日は10年以上も遅すぎた。昔、ケントンを初めて聞いたときには、あのブラスの高音のソリが時にはヒステリックでやかましくさえ聞えたものだが、今日の耳にはまだ物足りなく感ずる瞬間さえあった。ミシェル・ルグランの〈ハッピー・エンディング〉のテーマを奏する5本のトロンボーンの美しくゴージャスなハーモニーを聞きながら私は、なぜだろうと考えた。今日の我々の耳はいたずらに濁ったトーンや強く叩くだけのシンバルに毒されてしまって、完璧な技巧に基ずくサウンドの美しさ、そこから発生する創造的な音の世界の力強さというものに対する感受性が失われつつあるのではないか、と疑ったのであった。
ケントン楽団の2部に分かれたプログラムは、昨年ロンドン・レコードから出た2枚組アルバムに収められたレパートリーに似ていた。すなわち、ルグランの映画音楽〈ボディ・アンド・ソウル〉〈愛の街〉の如きバラード、〈アーティストリー・イン・リズム〉〈インターミッション・リフ〉の如き昔のケントン十八番のオリジナル、〈南京豆売り〉等のラテン・ヒット、さらに最近の新しい作品からビル・ホールマンの〈マラガ〉、ハンク・レヴイの〈チアバス〉、チコ・オファレルの〈ラモン・ロペス〉(バンドのラテン打楽器奏者ロペスのコンガをフィーチュアー)等新旧おりまぜてバラエティーに富んだものであった。今のバンドは61才のケントンを除くとすべて若い。ドラムのピーター・アースキンなど19才ながら、コンガのロペスと合体してエクサイティングで爽快なリズムを叩き出した。アンサンブルはさすがに完ぺきなまでに整然たる現代的な美しさを示し、ことに5本のトロンボーンが時にはチューバを加えて伝統的なサウンドの威力を発揮した。ソロイストはどうしても小粒な感はまぬがれなかったが、唯一人の黒人トランペット奏者が非常に有望ときいた。新作の中では、ドン・エリス楽団で有名になったハンク・レヴィのスコアがリズムの多様さも含めておもしろく聞けた。ただ、ケントンは編曲者の不足を嘆いていた。珍しくみえたのはバンドの配置がリズムを真中に、横一列に並んでいることだった。演出はけっして良好といえず、ことにロンドン録音に聞かれたケントンの司会と話術のウマさがほとんどきかれなかったのは、主宰者のアドバイス不十分のゆえか、誠に残念であった(私は個人的にケントンに途中からぜひ1曲ごと紹介するよう助言したのだが……)とにかく、日本の聴衆にもっとケントンの音楽を知らしめる努力がほしかった。会場には長年ケントン楽団の来日を待ちわびていたオールド・ファンの顔も多数みえただけに、今回の受入れ体制には疑問が残った。この来日の3年後にケントンは脳卒中で倒れて、再起はしましたが、79年には亡くなってしまいました。来日コンサートの時もあまり健康状態は良くなかったのかもわかりませんね😥
ピーター・アースキンも在団&来日していたんですね。
しかも19歳!
kamaichi2002さんからのコメント。
こんにちは。この菊池グループのライブ、僕も行きました。印象は「ものすごい」のひとことでした。特に、日野が絶好調でした。僕の聴いたベストライブかもしれません。高校一年の時です(僕は1958年(昭和33年)生れ)。
高校1年生の時に、「ものすごい」圧倒的ジャズ体験!
羨ましい!