【コメント返し】動画視聴者が選ぶトランぺッター5人

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先日アップした動画「【コメント返し】最強のトランぺッター5人は誰だ?!」(こちら)に視聴者の皆さまよりいただいたコメントに対してのアンサー動画をアップしました。

Jさんからのコメント。

あくまで最強にこだわりましたよ~
あ ブラウニーについて とやかくいう 私ごときなんか 打ち首に~
ほんとはパーカーとの比較で 速いフレーズで音量落ちるな~ と
モーガンの凄いのは 速いフレーズでも音がデカイ
これが技術的にどうなのか 一度プロのトランペッターに聞いてみたいのだ~                  J

>あくまで最強にこだわりましたよ~
こだわってましたねぇ。
最強こだわりんぐパーソンって、Jさんだけだったんじゃないですか?(笑)

博 橋本さんからのコメント。

元のサイトにも書いてしまいましたが、エルドリッチは迷いました。
聴き初めの頃には良く耳にしました。
取り分けエリントン、ベイシー楽団等のちょっと古目の物を良く聴いていました。
そういうレコードの方が手に入り易かった事もありますね。
今は映像も豊富なので、見付けるとつい見ちゃいますね。サッチモやロイ・エルドリッチやハリー・エディソンの様な人達が居たからこその “その後のJAZZ” だと思っています😊

TAKESI0506さん⇒博 橋本さん

そうですね。
私が、最も初期に買ったレコードに「ザ・テディ・ウィルソン」というのがあって、冒頭の4曲にエルドリッチが参加してますが、特に「ブルース・イン・C・シャープ・マイナー」という曲は、繰り返し繰り返し聴きました😀

ジャズ・ファンとしても知られた大江健三郎さんが亡くなられたようですね😢
大江さんの小説は、私には難しくてよくわからなかったですが、ジャズに関しての文章はよく読みました。以下は「厳粛な綱渡り」という評論集の中のジャズに関する文章を要約したものです。

『ぼくが、はじめて買ったレコードが、片面にチェット・べイカーとジェリー・マリガンのコンボ、その裏に、バディ・デ・フランコとストリングスの音楽の入ったレコードだった。ぼくは最初からいいレコードにめぐりあったわけだと思う。
 マリガン、ベイカーのコンボの方は1953年5月、ロスで吹きこんだものだとジャケットに書いてあったが、その後、あれよりも感動的なジェリー・マリガンを聴いたことはない。
 その次にぼくが買ったのが〈ガレスピー、パーカー・イン・コンサート〉というレコードだった。そしてこのレコードが、それから数年のあいだのぼくのモダン・ジャズ収集の決定的な動機となったのだった。いまでも、このレコードを聴くと興奮する。このレコードにはガレスピーがキューバからつれてきた打楽器のチャノ・ポゾが働いているが、ぼくは、この暗殺されたキューバ人のことを、反バチスタ運動について書かれた本のなかで読んだことがあった。ぼくはチャノ・ポゾがカストロたちの仲間であったのかどうかを知らないが、このレコードのなかのチャノ・ポゾを聴いていると、見事なキューバ人というイメージが湧いてくるような気がした。ともかくぼくは、このレコードをいくらかセンチメンタルな気分で愛していたのだった。
 それからぼくは数かずのモダン・ジャズのレコードを買いつづけてきたが、ぼくは初心者らしく、ジャズ批評家たちの推選にかかるものはなにをおいても買うという。柔順な態度をたもってきた。
 ぼくはこれらのジャズ批評家たちのみちびきにしたがって様ざまのタイプのジャズにかわるがわる夢中になり、種々雑多なプレイヤーのファンになった。
 モダン・ジャズ・カルテットのファンだった時期は長かった。ぼくはMJQの小さなコレクションをつくったが、なかでも、ミュージック・イン・ジミイ・ジュフリをいれて演奏したレコードは素晴しいものだった。そのジャケットは空か海みたいな色をした草原に、うらぶれた知識人といった感じのジミイ・ジュフリをかこんでMJQの四人が思いおもいの、奇妙にばらばらのポーズをとっている写真だが、ともかくこのジャケットは、ぼくが見た最も美しいジャケットのひとつだ。このレコードにふくまれた〈ミュージック・インのためのフーガ〉の導入部の優雅な魅力はどうだろう。ジャズの音楽的ジャングルのなかで、われわれはたびたびこのような音楽そのものにめぐりあうわけではないだろう。〈真夏の夜のジャズ〉の冒頭に、このジミイ・ジュフリが、ボブ・ブルックメイヤーと演奏するシーンは、あの映画で最良の部分だった。ともかく、かれらにしてもハービー・マンやバーニイ・ケッセルやスタン・ゲッツたちにしても、ジャズの世界の白人たちが一様に、うらぶれた知識人という様子なのを、ぼくは気にいっている。
 MJQといえば、そのリーダーが吹きこんだ〈ジョン・ルイス・ピアノ〉というレコードも、ぼくにとって重要な宝のひとつだ。とくにジョン・ルイスが、バリ・ガルブレイスやジム・ホールのギターと一緒に演奏したものは胸にせまる美しさだ。赤裸の魂の美しさ。
 もちろんこれらの静けさと秩序にみちたジャズのみのファンだったわけではない。もともとぼくはビー・バップへの漠然たるあこがれからジャズを聴きはじめたのだから。ぼくはキャノンボール・アダリーにずっと熱中していたものだ。かれが東京でひらいた演奏会では、涙を流すほど笑った。かれとその仲間たちの音楽のユーモアに匹敵するものを、東京の他の舞台にもとめようとしたら、それは困難なことにちがいない。
 コルトレーンもまた、ぼくをひきつけた。ぼくはいまでもたびたび、かれの〈ジャイアント・ステップ〉を聴く。それはくりかえし読んでなお魅力のすべてを吐きつくしてしまわない書物みたいな感じの音楽だった。そして、ぼくはかれの〈アフリカ〉をはじめとする。ジャズ・メンの黒人であること及びアフリカ大陸への関心が色濃くきざまれた音楽に感動してきたのだった』

ご冥福をお祈りします。

博 橋本さん⇒TAKESI0506さん

「ザ・テディ・ウィルソン」は、心地よく聴けるレコードです。邦盤発売時にも根強い人気が有った盤ですよね。
私は、早々に購入した友人がカセット・テープに入れてくれた物を未だに愛聴しています。
テディー・ウイルソンとロイエルドリッジは、レスター・ヤング同様に、数あるビリー・ホリデイの歌唱を引き立てる、達者な演奏が気に入っています。
最近、何かで読んだのですが、テディー・ウイルソンはビリー・ホリデイの事をかなり毛嫌いしていたとの事です。薬癖が理由かと思いましたが、特に理由の記述はありませんでした。
しかし今さら知っても、にわかには信じ難い話ではあるのですが・・・。

『厳粛な綱渡り』はやはり私も読みました。また引っ張り出して、今夜から読んでみます。
 ”老衰” 格好良いですね。     
 
合掌

ハッピータンさんからのコメント。

所謂マイルスみたいな『雰囲気』ではなく理路整然とした数学的なフレーズができると言う意味では結局はクリフォード・ブラウンかなぁ‥と思いましたよね。
リー・モーガンやフレディってハーフヴァルブ使ったフレーズとかヴァルブ楽器特有の音の跳躍とか連打フレーズで繋いでいきますけど、クリフォードはホントに理路整然とした出発〜着地まで『お見事!』な理論的フレーズです。
普段どれだけフレーズ考えてストックして練習していたか‥ 譜面見た瞬間にアマチュアプレイヤーでさえ分かってしまいます。
ウィントンも凄いですけど、音楽的『歌った』フレーズとしては全くクリフォードに届かず、癖もなくただただ歌うクリフォードですねぇ。
でも楽器の使い方としては癖強過ぎて好き嫌いあろうがクラーク・テリー一本ですね、これはきっとクリフォード・ブラウンも敵わない。

そうそう、理路整然とした感じなんですよ。
それでいて、理路整然としているのは、あくまでフレーズなので、プレイは無機質じゃない。
ヒューマンな温もり、あるいは熱さを感じる。
ある種変化球的な技法によりかからず、きっちりと理路整然と、安定感のあるフレーズを歌心とともに表現したブラウニーは、本当、凄いと思いますし、私はトランペットは吹き(け)ませんが、多くのトランぺッターがお手本にするのも頷けます。

クラーク・テリーも私は好きですが、そしてトランぺットの演奏技法に関してはよく分からないのですが、あの滑らかなトーンとフレージングは「癖強過ぎ」なんですか??

ハッピータンさんからの返信

癖、強いですよぉ(笑)
個人的に癖が強いトランペッターは
クラーク・テリー、ロイ・エルドリッジの2巨頭と結構ケニー・ドーハムかなぁ‥。
クラーク・テリーはあのタンギング。
エルドリッジは音色。
ドーハムも音色‥ ですねぇ。
ドーハムってフレーズはモダンだしビ・バップ時代もパーカーとやってた人だからテクニックも素晴らしい。
ある意味モダンなトランペッターとしてはオーソドックスなんですけど、あの音色って今の時代でもまずいないでしょう。
ドーハムもクリフォード・ブラウンみたいに理路整然としたフレーズを創るしフレーズとしては楽譜なんかで皆『美味しいフレーズ』をピックアップできる人。
だけど皆『あの音』を真似たいと思う事はないんです。
正直ドーハムが熱くなろうが聴く方の鼓動は上がらない‥みたいな‥。
ただフレーズは欲しい(笑)
でも好きなんです。

ケニー・ドーハムはよく理解できますが、クラーク・テリーもそうだったんですか。
やはり、実際にやってみないと実感できないことも多いですね……。

>ドーハムもクリフォード・ブラウンみたいに理路整然としたフレーズを創るしフレーズとしては楽譜なんかで皆『美味しいフレーズ』をピックアップできる人。
だけど皆『あの音』を真似たいと思う事はないんです。

ああ、ベースに置き換えてみれば、そういうベーシストいますねぇ。
たとえば、ジャコ・パストリアスなんかは、プレイは滅茶苦茶凄くてカッコいいので、真似したくなるオイシイフレーズ満載なんですが、「あの音色」で弾くのは、ちょっと……(私の場合は、ですが)。
リアピックアップ中心で、ブリッジ寄りで弾くと、誰もが皆、ジャコみたいになっちゃう(笑)。
だから、意地でも私は昔からフロント寄りの暖かい音ばかり。そちらのほうが太くて暖かくてベースらしいと(私は)思っているんですけど、ただ、その音でジャコっぽく弾いてもなんか違和感なんですよね。けっこう音色とフレーズは不可分というか(それと楽器からの手ごたえも)、「あの音色」あってこその「このフレーズ」というのもあるんだろうな、と。あと、タイム感というかタイミングというか、間というか、それと絶妙な「ヨレ」とか「ヒネリ」みたいなものもの、それと数小節をまたぐ少し長めのフレーズの抑揚の振幅も付加されるような。
ケニー・ドーハムにしても、マイルスにしてもそれは大きいんでしょうね。おいしいフレーズだけ抽出していただいても、なかなかその人とは似ても似つかぬテイストになっちゃうのは、そこらへんがあるのかも。それはバド・パウエルとパウエル派ピアニストが、フレーズは同じところがあっても、なんだかあんまり似ていない感じ? それに近いかも。
ベースの場合は、それはグルーヴ感が大きいんでしょうね。もちろん私のヘタッピベースは論外ですが、ジャコのグルーヴ感は凄い。日本人のジャコ好きベーシストがジャコのそっくりプレイをしても、解像度の甘い画像を眺めているような気分にしかなれないのは、やっぱりグルーヴ感の違いなんでしょうね。と、なんだか取りとめもないことをダラダラと書いてしまいましたが、うん、仰りたいことはよく分かります!

ハッピータンさんからの返信

確かにパウエル派でパウエルと同じ様に聴こえる人って‥(笑)
パウエル派って括りは結局は『フレーズの作り方としてのビ・バップ』であってパウエルのうなされたような『うねり』とはなかなか出会えれませんよね。
バリーハリスなんか凄い勉強会はするし『ホンモノは』みたいな発言多いですけど、個人的にはですが聴いてて楽しめる瞬間て皆無なんですよね。
叩きつけるようなパッションがある1950年度代の秋吉トシ子さんや個人的にはクロード・ウィリアムソンなんかの方がパウエルに近い瞬間は感じます。
雲さんが書かれたようにフレーズだけでなくグルーブは大きな問題ですよねぇ。
グルーブでいえばバービー・ハンコックって近代になってもウイントン・ケリーそのままに感じます。
フレーズの考え方は進化してるんでしょうが、ノリはウイントン・ケリー(笑)
コレ、ダメだってのではなく素晴らしいって思ってるんです(^^)

バド・パウエルとバリー・ハリスをはじめとしたパウエル派ピアニストの件は、まったくもってその通りだと思います。

ノリはケリー。
うーん、ハンコックのノリはもう少しカチッとしているような気もするんですが、ああ、でも仰りたいことはよく分かります。
そうなんです、難しい言葉をいっぱい覚えても訛りは変わらないのと同じで、その人が持つリズム感、タイム感覚ってなかなか拭えないものなんだろうなと思ってます。

で、我々は無意識にそれぞれのジャズマンの語り口の中に感じられる「訛り≒グルーヴ」も感じ取り、それも好みを左右しているんでしょうね。

鉛筆さんからのコメント。

ブルーミッチェルが好きです。