先日アップした動画「最強のトランぺッター5人は誰だ?!」(こちら)にいただいたコメントに対してのアンサー動画【その2】をアップしました。
ドロマスさんからのコメント。
雲さん
深夜にこんばんは!
実は、今宵はトランペットdayでしたー🎺
そういえば誰もドナルド バードってあげてないなぁと気づき…「フュエゴ」を大音量でかけましたー🎵
バナルド・ドードもいいですよね。
私の場合、ですが、彼のトランペットプレイよりも、1枚1枚、それぞれのアルバムのジャケットのイメージが強いです。
『バード・イン・ハンド』とか『バード・イン・パリ』とか『バード・イン・フライト』とか。他にも『キャット・ウォーク』、『ロイヤル・フラッシュ』、『アイム・トライン・トゥ・ゲット・ホーム』に『スロウ・ドラッグ』、それに『ブラック・バード』や『ストリート・レディ』のようにジャケットも印象的で、さらにそのジャケットを見ただけで、アルバムのサウンドが(トランペットの音よりも)先に思い浮かぶものが多いです。
もちろん、『フュエゴ』もその1枚ですね。
早春さんからのコメント。
コメント返しありがとうございました。そして皆さんお祝いの言葉を下さりありがとうございました。精進致します故、今後とも皆様のご指南を承りたく存じます。宜しく御願い申し上げますm(._.)m。
聞いた順番はモーガンとショウがマイルスより先ですが、最近ウェイン・ショーター巡りの途中でマイルスの新主流派時代のアルバムにハマり、YouTubeで’67年のライブで演奏されたFootprintsを聞いてとどめを刺されました。極限まで洗練されていて、あまりの品格に息を呑みました。ジャズの集大成のようで、つまりジャズとはこれなんだと直感的に感じました。その衝撃は凄いもので、3日3晩頭から離れませんでした😅。昨今のポップスが私はどうも好きになれないのですが、それらとジャズとの違いは歴史と文化とその品格、そしてプレイヤーの傷心ではないかと思います。形式を壊すにしても、ジャズの品格を深く拭い難いほどに身に刷り込まれた上で行われていて、常に更新されながらも一貫してどのジャズにも通じる品格を失わずに保ち続けていたように思えて仕方ありません。それであるから、毎夜演奏された演奏も新しいスタイルも単なるアイデアに陥ることなく、それを生み出したジャズマンの身体性や境遇と分かち難いものとして演奏・確立され、それらを生み出すジャズマンを糧として、ジャズという生き物は国境を超え時間を超え、20世紀を全く生きていない日本の人間にも響くものであり続けているんじゃないかと妄信的にしかし揺るえぎない確信を持って信じています。ノーベル文学賞を受賞した詩人ヨシフ・ブロツキーはその受賞講演で、言語を生き物に喩え、素晴らしい文学作品を生み出した言語は、その作品の存在によって、次の千年を生き延びることが保証されていると述べましたが、ジャズも同じように、サッチモの華々しい名演とともにその後の一世紀の栄華が保証されていたのだと思います。この意味で、やはりマイルスの演奏、特にMiles Smiles,やNefertitiの演奏は凄いという言葉では言い表せないくらい凄い、ジャズの最高到達点、その真髄、以降誰も超えることのできない真骨頂を極めた素晴らしい演奏だと思いました。
この文脈で見ていくとモーガンやショウは勿論ジャズ史上にその名を深く刻んだものの、どちらかと言うとトランペッターとしてとても優れたジャズマンだと思います。というわけで先のリストではマイルスより下位になりました😟。しかし先日新主流派時代のドーハムの演奏を聞いていたら、より凄さが見えてきてリストに入れなかったのが悔やまれました。といっても入れる余裕はありませんでしたが…😥。ゲッツとJ.J.のAt The Opera Houseは、かなり前に橋本さんに ― 漱石の「こころ」に倣って先生と呼んでもよろしいでしょうか ― 教えて頂いてはいたのですが、そのときには遺憾ながら「いいアルバムだなぁ」ぐらいにしか思いませんでした。しかし何かのきっかけでまた聞き直してみるとどうでしょう、ゲッツのなんと鮮やかなこと!J.J.のなんと滑らかなこと!確か昼下がりに弟とチェスを指しながら聞きいたと記憶していますが、午後の日差しが柔らかに差し込む中で、一発でメロメロになりました。耳が追いつかないような複雑な難しいフレーズや、ピッチの寸分狂わぬハーモニー、多彩な、一体いくつあるのか分からない変幻自在の音色を何食わぬ顔して(想像です😀)サラッと吹いてしまう二人の完璧なリップコントロール、完璧なヴィブラート、完璧なダイナミクス、完璧なインタープレイ、あまりの完璧づくしの演奏に驚愕しました。そして少々怖くなってきました😵💫。非の打ち所のない、完璧な演奏でした。It Never Entered My Mindのゲッツを前に惚れ込まずにいるなんて、できません。脳みそが溶けます。
現在わたくしは花粉症で鼻が止まりませんが、昔々、鼻から垂れる鼻水を脳みそだと思った人がおったそうな。花粉症なのやらゲッツのせいなのやらそれともJ.J.、いや全部か😅。症状が収まる頃には馬面の鹿になってるかもしれません。あな恐ろしや。
博 橋本さん⇒早春さん
普段であれば「先生と 呼ばれるほどの 馬鹿で無し‥‥」
と返事をするところですが、早春さんが文字通り心の中でそう思って下さるとしたら、少しこそばゆいですが誉でも有ります。
有り難うございます。
“ゲッツ&JJ” 評も追加して下さり、重ねて感謝しています。P.S.
校長でも有りません😅
単なる与太郎のジャズ・ファンです♫♫
次号の「ジャズ批評」を楽しみに待ちます😊
早春さん⇒博 橋本さん
突然突飛なことを書き込んでしまってすみません。硬くするつもりはありませんでした😓。しかしながら、漱石の「こころ」の意味での「先生」と呼ばれるにふさわしい人は学校の教師ではほとんどいないと思います。「こころ」では自己の経験を通じて身を持って痛感させられた、血肉化された知見を後代に伝える人物として「先生」は描かれています。この役割を果たすためにはまず自分のそれまでの人生が生徒の眼差しに耐えうるものでなくてはいけませんが、余談ながらこのような人生を負っている人のことを「立派だ」とか「偉い」と表現できるのだと思います ― 多くはその姿勢と度胸を持っていません。将来教師を目指す知人に聞いみても、志があったとしても、ただの意気込みだけでそれをするための哲学が伴っていません。要するに何も洞察しておらず、つまるところそれらについて何も考えていないのです。
この意味でも、ここでの皆さんとの繋がりは私には数少ないとても大切なものです。趣味を語り合えるというとても貴重で幸せな空間で、人生の「先生」と伴することができるからです。硬くするつもりはないと言いながら硬いことを書いて、そしてジャズと関係ないことを書き込んですみません😅。
ジャズと共に起臥し、ジャズを吐呑する皆様「先生」方、今後とも宜しく御願いします😃。
博 橋本さん⇒早春さん
よろしく御願いします♬
ノエルNoelさんからのコメント。
ウイントン・マルサリスに関する議論って、
例えるとリーバイスジーンズのヴィンテージに対する復刻版・レプリカの話にすごく似てると思いました笑
デニムの場合、究極のモノはもう過去にしかなくてオリジナルは高くて買えないし⋯となるけど、
ジャズのような音楽の場合、リマスターされた良い音のものが今でも気軽に聴けてしまうのが違うところですけどね。
なるほど~。
最近だと、わざと汚したりボロボロにしている「レリック」と呼ばれているギターやベースを買う人もいるようですから、「人工的な風合い」にもそこそこ需要があるということなんでしょうね。
ま、さすがにウィントンは「人工的な風合い」とまでは思いませんが……。