動画「ブルーノートのジャズ喫茶名盤〜ピアソン、モーガン、ハニー・ビー」(こちら)にいただいたコメントへのアンサー動画をアップしました。
コメント
サンジョルディさんからのコメント。
コメント返し、ありがとうございましたー😂
いろいろ詰め込みすぎて、<ファットな>コメントになり、失礼しましたー😵
<アレンジャー、コーディネーターとしてのドナルド・バード>、おっしゃる通りですー🥹
ドナルド・バードは、プレスティッジからブルーノートのサイドマン時代は、トランペットをバリバリ吹いていましたが、
どうも
ブルーノートでリーダー作を作り出してから、
<フロンティア・コーディネーター気質>が覚醒した気がしますーそういうドナルド・バードの<変化>を知るためにも、もっとドナルド・バードのリーダー作、たとえば『バード・イン・ハンド』や『キャット・ウォーク』、『ロイヤル・フラッシュ』などが再発されることを願いますー
ドナルド・バード、リー・モーガン、フレディ・ハバードの3人は、
リーダーでなくても、いつも<一生懸命ブリリアントブロウ>ですから、
まさに<職人ジャズマンの鑑>だと思っていますー<シン・ブルーノーティアン>のサンジョルディより🤓
今度は、「シン」ときましたか(笑)。
またまた新しいですね。
今回の考察もなかなか興味深いものがありました。
バードは、俳優でありながらも、映画の監督もやるクリント・イーストウッドや北野武のようなもんなんでしょうねぇ。北野武はコメディアンでもあるけど。
演技(個人の技量)ももちろん大事だけれども、
自分がコーディネイトした世界を彩る「いち構成員」として参加する方にも喜びを見出しているのでしょうね。
で、ドナルド・バードの変化(変遷)といえば、以下のサイトが面白かったです。
⇒Donald Byrd: The Trumpet Maestro and Jazz Innovator
「Jazz Daily」という英語のサイトなのですが、この記事のタイトルには「マエストロ」とありますねぇ。
そうか、マエストロかぁ😃
前半は彼のキャリアについてなのですが、後半に彼のスタイルの変遷について触れられているので、ちょっとだけ引用してみます。
というか、翻訳するのが面倒なので、AIに翻訳してもらいましたw
↓
彼の遺産は、特に1970年代のより商業的でアクセスしやすいサウンドへの進出に関する論議を伴わないわけではありません。しかし、彼のキャリアのこの期間は、彼の適応性と変化を受け入れる意志の証であり続けています。
ドナルド・バードのジャズの旅は、ジャンルそのものの進化をカプセル化しています。1950年代のハード・バップの輝きから1970年代のフュージョン実験まで、バードのトランペットは音楽的風景の変化するリズムを反映しました。演奏者、作曲家、教育者として、彼はジャズに不滅の足跡を残し、その軌跡を形作り、次世代のためにその活力を保証しました。ドナルド・バードの遺産は、革新と探求の精神がジャズの核心にあることを私たちに思い出させ続けています。
…だそうです。
「商業的にアクセスしやすいサウンド」。
なかなか、日本語ではお目にかからない表現ですね。
regarding his foray into more commercial and accessible sounds
ま、ソウルとかR&Bとかフュージョンのことなんでしょうが、向こうでも、いわゆる「商業路線?」には賛否両論だったんですね。
とはいえ、彼のスタイルチェンジに関しては、「新たな音楽的トレンドに対する鋭い耳」と、わりと好意的に描かれてますね。
ここも面倒なので、ジェミニ君に訳してもらいました。
1960年代が進むにつれて、ドナルド・バードは、彼の同時代の多くの人々と同様に、新しい音楽的な領域を探求し始めました。リズム・アンド・ブルース、ソウル、ファンクの影響が彼の作曲に浸透し始めました。1964年のアルバム「A New Perspective」は、ゴスペル・コーラスをフィーチャーし、ソウル・ジャズの要素を組み込んだこの進化するサウンドの証です。
バードの革新へのオープンさや、新たな音楽的トレンドに対する鋭い耳は、彼の作品を定義し続けました。1960年代後半から1970年代初頭にかけて、彼はフュージョン・ムーブメントを受け入れ、エレクトリック・インストゥルメントやファンク・グルーヴを彼の音楽に取り入れました。「Black Byrd」(1973年)などのアルバムは商業的な成功を収め、その時代のジャズの変化する風景を反映しました。
「新しい音楽的な領域を探求」、「ジャズの変化する風景を反映」。
この表現、なんかちょっと新鮮です😆
で、やっぱり『ア・ニュー・パースペクティヴ』と『ブラック・バード』は、彼を語る上では欠かせないアルバムなんだなーと思いました。