「言わなきゃいいのに」「書かなきゃいいのに」な、最後の余計な一言

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動画「【コメント返し】ジャズ雑誌上の論争の話など」(こちら)に視聴者さまよりいただいたコメントを紹介した動画をアップしました。

コメント

オカハセちゃんねるさんからのコメント。

好きか嫌いの主観をあたかも「良い作品、悪い作品」と言わんばかりの言葉を使ってレビューで書くのは、読んだ人へ「これは買ってはいけない」と言うような傲慢で営業妨害な行為。
だから演奏者から評論家は嫌われる。一体何様?って思う。
そもそもギャラをもらって酷評を書くってまるで悪魔の様な行為。
因みに以前から「これはジャズじゃない」という言葉を聴くと反吐が出そうですね。「ジャズじゃない?だから?…」って言いたくなる。

いや~、もう、これ…本当に同感です!
「好きか嫌いか」という純粋な主観は誰にでもあっていいんですが、それをあたかも「これは良い作品」「これはダメだ」みたいに断言してしまうのは、どうにもいただけないですね。特に、読者や視聴者に「これは買ってはいけない」とか「聴く価値なし」と思わせるような書き方は、確かに営業妨害と言われても仕方ない。

たとえ嫌いであったとしても、その作品の良いところや、聞きどころを見つけ、それを読者に伝えたり、あるいは曲についてや、演奏のアプローチについて解説をしたりするのが「紹介者」の役割なのにね。
あ、私は自分のこと「紹介者」だと思ってるけど、「評論家」は「評論」せなあかん!と思ってるんでしょうかね。
「紹介」は気軽なものかもしれないけど、「評論」となると、「オレ様の知識と価値観に基づいて分析・評価せなあかん!作品の意義や問題点などを論じなあかん!読者に新たな視点を提供せなあかん!良い点だけでなく、改善点や問題点なども指摘せなあかん!作品の表面的な情報だけでなく、背景、構造、影響、歴史的意義など、より深い考察を記述せんと教授に怒られる!(といつの間にか学生モードになっている)」と、気負い、重厚長大な論文を書いているかの如き気分になって「ちったぁエラそうなこと言っとかんと、評論家の肩書きが廃れる」と思いながら「筆」を取るんでしょうかね。

…とはいえ、やってることと言ったら人のフンドシの上でスモウとってるだけのような気がするんですけどねw

もちろん全ての評論家がそうだというわけはないんですが、「評論家」っていう肩書きの人たちは、「評論」という2文字の重力にとらわれ、評論するからには!という妙な気負いがトンチンカンな方向に行ってしまうこともありますよね。その弊害として“上から目線”になりがちというか、あたかも自分が“審判”か“教官”かのようになってしまう。そして、彼らは「沽券」を守るための簡単な方法が「辛口批評」なんですよね。
ミュージシャンはいい迷惑ですよね。
「俺たちの音楽を商売のネタにしながら、なんでわざわざ貶めるんだ?」と思うのが当然です。

ところで、ジャズ評論家の寺島靖国氏は、ジャズの文章を書いている人には、「あなたはジャズ評論家ですか?」と質問することにしているそうです。

そして、その答え方でその人のことを判断しているそうです。

ジャズ評論家の村井康司氏は、何かの雑誌のコラムかエッセイで、たしかディスクユニオン主催のイベントの冒頭で寺島さんに「あなたはジャズ評論家ですか?」と尋ねられた、ということを書かれてましたね。
「あなたはジャズ評論家ですか?」と尋ねられた村井さんは、あーでもない、こうでもないという自問自答の文章を何百文字にも渡って書き連らね、その思考過程の時間を1秒とか0.6秒で考えたという注釈がつけられ「はい、私はジャズ評論家です」と答えた、という文章を読んだことがあります。
思考に膨大な文字数を費やし、そのあと(0.1秒)などと考えた時間を記載するのって、まるで江川達也の『東京大学物語』の主人公・村上直樹みたいだなと思ったものですが、そういえば、『東京大学物語』の最初の舞台は函館。村井さんも函館のご出身だから、何か繋がりがあるのか?!なんて意味のないことを考えたものです。

で、私も寺島さんに聞かれましたよ、「あなたはジャズ評論家?」って。
初めて寺島氏の番組にゲスト出演した時に。

で、私はもちろん評論家のつもりはまったくないし、(「小川さんは自分のことをジャズライターって言ってたね」という寺島さんの言葉を受けて)ライターってなんだか「下請け売文業」みたいじゃないですか?みたいなエラそうなことを抜かした記憶があります。評論家よりも、さらにさらにエラそう上から目線ですよねw
若気の至りというか、今思い返すと赤面ものです(恥…)。

オカハセちゃんねるさんからのコメント再び。

なるほどと思うこと書いた後に、傲慢な「最後の捨てゼリフ」を吐くのは、昭和なら「おー言うね〜笑」と粋だと感じる文化もあったかとしれませんが、現代ではシラーってなると思う。
昭和生まれの僕も気をつけないとついついカッコイイと勘違いして捨てゼリフ言いそうですね(笑)。

私もですw
なんか、最後はかっこいい「キメゼリフ」でキメたい願望がどこかに残ってますね。

たとえば、野球選手のゴシップ記事があったとして、
その最後の一文、
「夜も二刀流だったということか」みたいな🤣🤣🤣

うわっ、恥っ!
書いてて猛烈に恥ずかしくなってきたぞ!!!🤣🤣🤣

またまたオカハセちゃんねるさんからのコメント。

コメント読んで頂きありがとうございます。
部長になった途端に威張って持ち物に部長と書く人って、多分ブラント物のバック等で身の回りを飾る心理と同じようなものなんですかね。
所詮メッキなのに。

おっしゃる通りだと思います。