【ライナーノーツ読み】チャールス・ミンガス・プレゼンツ・チャールス・ミンガス/粟村政昭氏執筆ライナーノーツ

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ジャズ評論家・粟村政昭氏が執筆した『ミンガス・プレゼンツ・ミンガス』のライナーノーツを読んでみました。

コメント

ムーチョ-Muchoトロンボーンさんからのコメント。

雲さんお久しぶりです!ムーチョです!
ミンガスの音楽(と言うよりジャズ全般)は、クラシックと比較的に言えば隠喩の音楽であって、逆にクラシックはほとんど直喩の音楽というふうに聞こえます!

TAKESI0506さんからのコメント。

このレコードの中では、やはり一曲目の「フォーク・フォームズ・NO1」が一番いいですね。
 このレコードに対しては絶賛の批評ばかりですが、油井正一さんは著書「ジャズの歴史物語」の中で《フォーバス知事への寓話》について苦言を呈してました。

『メッタヤタラに怒りをぶちまけたのが《フォーバス知事への寓話》である。キャンディド盤「ミンガス・プレゼンツ・ミンガス」に入っている。「馬鹿な奴だよフォーバスは」と愚弄としかいえぬヴォーカルが加わり徹底しているが、ここまでくるとぼくには買えぬ。怒りが底に深く沈潜している《直立猿人》が、芸術としてはるかに好ましい』

このレコードが、多分初めて日本で発売されたのは70年ですが、この時のスイングジャーナルのディスクレビューは牧芳雄さんが書いてます。評点は3星半でした。
要約すると……

『《フォーバス知事への寓話》は三回録音されている中で恐らくもっとも良い出来だろう。私個人的には音楽の内容に政治を持ち込むことは嫌いだし、又音楽を非難や椰揄の材料に用いることをも好まないが、これはそうした意図的なものを除いてても音楽として面白くはある。原レコードの監修に当ったナット・ヘントフはライナー・ノーツにミンガスが他の会杜はこの中でセリフをいっていることを許さなかったといっていると伝えているが、私自身これがなければもっとスッキりした形で聴けたと思う。こうしたプロテストをナマの形で表現することを好むか好まないかは個人に許された自由である。押し売りは嫌だ』

この批評に対して、あの中村とうようさんが、次号の「問題作を視聴する」の欄で早速噛みついてきました😥

『批評家に必要なのはセンシティヴィティというよりもイマジナティヴティだとぼくは思う。センシティヴィティ(感受性)さえあればよかった時代はもう終った。いまはイマジネイション――つまり洞察力というものが必要だ。感受性とは、自分がひとつ所にジッとしていて、向うからやってきた刺激をうけとめるときの受けとめ方の問題なのだが、洞察力とは、もっと積極的に自分たちの置かれている全情況を把握し、それとのダイナミックなかかわりの中で、刺激をうけとめ、その背後にあるものをも含めて知覚することだ。
 こういう想像力、洞察力を欠いたジャズ批評の見本が、牧芳雄氏の『ミンガス・プレゼンツ・ミンガス』評である。現実世界には怒りや不満や失望が充満しているのに、それをわざわざ音楽の中にまでもち込まれてはかなわない、とおっしゃる牧氏が、よくも何十年も黒人音楽を聞いて来られたもんだと、その忍耐力の強さに感歎せざるをえない。ぼくがこんな風に書くと、「とうようの嫌らしさも充分出ている」と同氏はおっしゃるだろうが大いにそれもケッコウ。ぼくはこういうときには、出来るだけ嫌らしい書き方をしたいと念願してるのだから。
 ミンガスの嫌らしさが100%出ているからこそ、これはすばらしいアルバムだ。嫌らしい音楽のお嫌いな方にはマントヴァーニーの音楽がある。嫌らしい評論を読みたくない方は、スポーツ新聞でも読んでクソして寝ていただこう』

ここで、“スポーツ新聞でも読んでクソして寝ていただこう”と書いているのは、とうようさんは知られたプロ・スポーツ嫌いで、78年の江川問題の時の「ミュージクマガジン」のコラムで『プロ・スポーツなどというものを頭から軽蔑している』と書いてました😥

とうよう氏、けっこう過激ですね(笑)。
私もプロ・スポーツは軽蔑まではしてませんが、スポーツはあんまり好きじゃありません。

永井勉さんからのコメント。

1960 Presents Charles Mingusの 01 – Folk Forms No.1
かっこいいですよね・・・!!!
モンクは多分エリントンの音を最後まで純粋に追っていた人だと思うんです・・
ミンガスはエリントンのサウンドをより現実的に構築していった人なんだと感じます・・・
ミンガスの1960 Presents Charles Mingusはその途中音源でビートが四つ切からシャッフルに移行している感じがしました・・・意外とはこの人のポップセンスが凄いと感じました・・・
亡くなる寸前にはジョニーミッチェルとアルバムを創っていた人ですから・・・😅😅😅

>エリントンのサウンドをより現実的に構築していった人
なかなか鋭いですね。

岩浪洋三さんが『直立猿人』のライナーノーツで、ミンガスがジャズワークショップで行っていたサウンドメイキングの手法を語っており、それを読んだ動画をアップしましたので、是非聞いてみてください。

これはご存知かも知れませんが・・・😊😊😊
Myself When I Am Real

博 橋本さんからのコメント。

TAKESI0506さんの投稿にある通り、70年にCBSソニー・レコードより発売された時のライナー・ノーツです。
当時ソニーがレコードの製作・発売を開始してくれた事は快挙でした。殊にジャズに関して言えば、写真でしかお目にかかれなかった数多くの名盤を続々と邦盤で発売してくれた事は、ファンにとっては事件に匹敵の出来事だったと思います。
これを契機に(?)、ソニー以外の国内のレコード会社も、各社契約レーベルのオリジナル盤仕様の体裁で次々と名盤を発売し始めました。
70年を境に色々な変化が始まり出した日本国内での、ごく一部の出来事ではありますが、ジャズのレコードの事情はこの頃から大きく変わったと思っています。

当然、購入当初は粟村さんの解説に則って聴き進んでいました。
雲村長の仰る通り『ホワット・ラブ』は写真だけのこのアルバムに付いて回っていた「退団云々」話は、当時から罷り通っていたのでその通りに聴いていました。嗚呼、先入観😅
『フォーバス知事』に関しては、ワシントン大行進に代表される当時の公民権運動として語られる一連の出来事を思えば、黒人であるミンガスも常に当事者の一人である訳で、昔も今も中村とうように拍手の立場です😅

一番のお気に入りはやはり『フォーク・フォーム・No.1』です😊😊😊

やっぱり《フォーク・フォーム・No.1》、いいですよね。
アグレッシブで、しかもマトマリがあってカッコいいです!

2019 enchanさんからのコメント。

動画配信ありがとうございます。名盤ですね、What Love いいですね・・・よく聴いてると # What is this thing 〜のフレーズが出てきますね。#フォーバス知事〜については、曲以前に社会問題がらみということで当時ジャズジャーナリズムの格好のネタになったんではないでしょうか。でもドルフィーはじめホーン陣の熱演がなかなか刺激的ですが。粟村さん解説で今更ながらに気がつきましたが、明かり落としてメンバー紹介・曲の前説するなどライブの臨場感を出していたんですね、そう言われてみれば・・・。スタジオ録音ながらライブ感を出しているのはそうそうお目にかかれない、さすがミンガスです。

ドルフィーの『ラスト・デイト』や、キャノンボールの『マーシー・マーシー・マーシー』も疑似スタジオライブの形をとったレコーディングで功を奏していますが、いかにもレコーディングするぞ!というセッティング&風景の収録よりも、いつもやり慣れているライヴの臨場感を演出したほうが、ジャズマンにとっては演りやすいのかもしれませんね。