セロニアス・モンクとアート・ブレイキーの相性/バド・パウエルとマックス・ローチの相性/ロイ・ヘインズとモンク

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以前「セロニアス・モンクとアート・ブレイキー」というタイトルの動画をアップしたのですが(こちら)、この動画にいただいたコメントに対してのアンサー動画をアップしました。

【コメント返し】セロニアス・モンクとアート・ブレイキーの相性/バド・パウエルとマックス・ローチの相性/ロイ・ヘインズとモンク

コメント

TAKESI0506さんからのコメント。

油井正一さんの説によると、ホレス・シルヴァーが抜けてベニー・ゴルソンが加入するまでのメッセンジャーズを“ジャズ・メッセンジャーズの暗黒時代”と呼ぶようですが😉、暗黒時代のメッセンジャーズの例外的な名盤といえば「モンクとブレイキーのメッセンジャーズ」が挙げられます。

スイングジャーナル74年の増刊で、アトランティック・レーベルの名プロデューサー、ネスヒ・アーティガンが、このレコーディングの想い出を語ってます。

『私の長いプロデューサー生活の中で最も奇妙な体験といえば、セロニアス・モンクとアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズの共演をおいて他にない。あれはコトの起りからしておかしかった。
 ある日、アート・ブレイキーが私のオフィスを訪れ、「ぜひモンクとの共演盤を作ってほしい。必ず話題になると思う」と申し入れてきた。しかし、当時はモンクもブレイキーも他のレコード会社の専属アーティストだったから、私には2人の共演が実現するとはとうてい思えなかった。ただ2人とも企画に恵まれず不遇をかこっていたので、気の毒に思った私が「確かに夢のようなセッションだけど、専属問題でトラブルを起したくない。だから、もしキミが専属会社の了解を得てくるなら、喜んでいつでも相談にのろう」と答えたところ、彼は早速会社とかけあって、許可をとりっけてきた。
 最初のセッションはニューヨークの46丁目にあるキャピトル・スタジオでメンバーの知り合いやジャズ・マニアらが見守る中、午後9時から始まった。夜を選んだ理由は、ナイト・セッションになると冴えてくるミュージシャンが多いからだ。
 さて、吹込プランではモンクの作品をとりあげることになっていた。しかし、なぜかモンクは楽譜を配らなかったので、メンバー達はモンクの弾くピアノを頼りに、リハーサルをしなければならなかった。しかも、ビル・ハードマン、ジョニー・グリフィンというジャズ・メッセンジャーズの面々は、モンクの曲に挑んだ者なら誰でも味わう経験なのだが、悪いことに、特異なハーモニーやリズム構造に慣れていなかった。おかげでリハーサルは何時間も続き、その間、もちろんテープは一度も回らなかった。ついに音をあげたメンバーを代表して御大のブレイキーが私に泣きついてきた。「メンバー達がかわいそうだ。本当に楽譜かないのか、モンクにきいてくれよ」。それを聞いたモンクは「楽譜ならブリーフケースの中にあるよ。でも生きた音楽をやるためには、楽譜を見ちゃいけないんだ」と言いはるばかり。仕方なくブレイキーに「モンクはキミ達にこの音楽を覚えてもらいたいそうだ」と伝えると、モンクとは親しいブレイキーもさすがにシビレを切らして、ジャズ史に残る名言を吐いた。「何を言ってるんだい。モンク、キミは確かに天才だが、ここにいるメンバーはごく普通のミュージシャンなんだ。キミのせいで、彼らは自殺しかねない状態になってるじゃないか。ネスヒ、少しモンクをこらしめてやってくれ。だいたい楽譜がないなんて信じられない。本当なのか」とえらい剣幕。私としてはただ「あることはあるけど、モンクは耳で覚えてもらいたいそうなんだ」とくり返すだけ。
 再び絶望的なリハーサルが始まった。しばらくして、私はベースのリズムが段々遅くなっていくのに気づいた。ただひとり、モンクが連れてきたサイドメンであり、メンバー中一番飲み込みの早かったウィルバー・ウェアだけに、いったいどうしたのかなと首をひねっていると、突然ベースもろとも彼が卒倒してしまったではないか。びっくりした私は、あわててウィルバーのところへ駆け寄ったが、他のメンバーは平気な顔でリハーサルを続けている。実は、ウィルバーは一杯飲んでスタジオ入りしたため、リハーサル中どうしようもない睡魔に襲われて、ベースを弾きながら眠り込んでしまったのだ。それを、何も知らない私だけが、てっきり病気で倒れたものとひとり合点したわけだ。とまあ、まずは一安心したのだが、困ったことにウィルバーはとうていセッションを続けられる状態ではなかった。さあどうしたものかとまわりを見わたすと、スタジオのすみでブレイキーのレギュラー・ベーシスト、スパンキー・デブレストが小さくなっていた。渡りに舟、私は早速スパンキーを呼びよせた。
 思わぬハプニングが無事落着したあと(ウィルバーは幸せそうに眠りこけていた)、今度は肝心のモンクがいないのに気がついた。「モンクはどこだ」と周囲にたずねると「車の中にすわっているよ」という答え。表へ出てみると、モンクは車の中で泰然自若を絵にかいたような? リラックスぶり。「モンク、いまキミのレコーディングをしているんだぜ」「スタジオ内が落ち着いたら戻るよ」
 その後もリハーサルは延々と続けられた。そして時計の針は午前1時を回った時、私もついに観念した。「今夜はこれで止めて、明晩もう一度やることにしよう」するとブレイキーのマネジャーが信じられないという顔つきでやって来た。「こんな状態だというのに明晩もやるのかね」「もちろんだよ。どうしても完成させたいし、このセッションが何かとてつもないアルバムになる予感がするんだ」「いずれにしても、大きな賭けをすることになる。キミは大変なギャンブラーだ」
 次の晩(57年5月19日)、メンバーは再びスタジオに集まった。モンクも例によって、ニカ男爵夫人を伴い、悠々と姿を現わした。そして、メンバー全員(この夜は最初からスパンキーがベースを担当した)は必死の努力のかいあって、とうとうモンクの難曲を覚え込んだ。もちろん最後まで、モンクは楽譜をブリーフケースから出さなかったが、いったん覚え込んでからの演奏は、彼の予言通り素晴しいものだった。しかも、レコーディングはわずか1時間足らずで完了。あの10時間を越える苦しいリハーサルが、まるでウソのようだった。メンバーは皆幸せな気分にひたっていた。なかでもモンクは、自分でも最高のソロがとれたのでなにしろうれしかったのだろう、レコーディングの最中、やおらニカ男爵夫人とワルツのステップを踏み始めたのだ。まあ、2人が踊り出したくなった気持ちは十分に理解できるが、一方モニター・ルームの私にすれば、いつマイク・スタンドが倒されるかと気が気ではなかった。どうやら私の危惧は杞憂に終わったが、かくしてこの晩生れたLP「セロニアス・モンクとアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズ」の中から、一部分ピアノの音だけが消えることになった。
 セッションが終り、ミュージシャンとその取巻き連がスタジオを去った後私はひとりプレイバックに聴き入っていた。30~40分たったろうか、私は大いに満足してスタジオのドアを閉めた外はもう明け方近く、タイムズ・スクエアに人影はなかった。いや、人影は……あった。なんとモンク以下、ミュージシャン全員が、まだそこにいたではないか。モンクとニカ男爵夫人は愛車の内に、ブレイキー、ハードマン、グリフィン、デブレストのジャズ・メッセンジャーズ一同はその車の外にいた。それも、バッテリーのあがったバカでかい車を汗だくになって押し続けていたのだ。
 ニューヨークのどまん中、人通りの絶えた路上で、懸命に車をころがしている偉大なジャズ・ミュージシャン達――私はその光景を生涯忘れないだろう。なにしろ、車というのが、その名も高いロールスロイスだったのだから』

博 橋本さん⇒TAKESI0506さん

いつも有り難うございます。このレコードは大好きです。
文句が参加している割には、良いテンポのブルー・モンクが貯まりません🎶
レコーディング当夜のグリフィン、ハードマンの様子を当事者ならではの解説で知れたことに感謝😊
ニカ夫人絡みのオチも、なるほどなと頷けます。

永井勉さんからのコメント。

何で凄腕プレーヤー達がモンクと関わったか・・??
それはジャズというジャンルを逸脱しているからなんです・・・
例えばエビデンス 綺麗なコード進行にあえて??のベース進行を重ねるアイディア
例えば物凄く複雑な和声をもったCrepuscule with Nellie
例えばツーファイブの連続のRuby, My Dear
例えば永遠に半音階ダウンのコード進行を続けるThelonious
例えたらきりがないんです・・・
楽器を少しでもかじった人なら、いかにモンクが凄いか解ると思います!!!
😅😅😅

そうなんですよ。
全面的に同意!
そして、そして、そして、
やっぱり《エヴィデンス》なんですよ、《Evidence》!
今月発売の『ジャズ批評』に要注目!
あ、言っちゃった……(笑)

ドロマスさんからのコメント。

メッセンジャーズ ウィズ モンク というより、
モンク ウィズ メッセンジャーズ!ですよね💦
ほんと両雄二人ピタッとはまってます‼️
どっち年上だっけ?と思ったら、モンクが二つ上でしたね✨しかも誕生日一日違いという😲
どうりで相性バッチリなわけですね🎉

然り!