『ジャズ・レコード・ブック』で、ジャズ評論家・粟村政昭氏があまり良い評価をくだしているとは言い難いジャズマン、レッド・ガーランドについて語っています。
コメント
TAKESI0506さんからのコメント。
久しぶりに鍵谷さんの話になりますが😊
オスカー・ピーターソン嫌いで知られた鍵谷さんが、あまりに口汚くピーターソンをこき下ろすものだから、ピーターソンファンで大日本スイング愛好会会長を自称する中村幸之助さん、いソノてルヲさん、鍵谷さん、読者代表の青年の4人が対談で激突するというスイングジャーナルの企画がありました。
少しだけですが、鍵谷さんがガーランドについて語ってます。中村
鍵谷さんが書かれたピーターソン論は、批評とか論文じゃなくてファンに対する悪態ですよ。
鍵谷
言っておきますが、ボクは中村さん個人を批判してるんじゃありません。しかし、ボクにはピーターソンを批判する自由はあるんです。
中村
しかし、あれを読んだ時は自分のことのように腹が立ちました。これがファンというものです。
鍵谷
そのファンという言葉がボクは嫌いなんです。正直に言うと、ボクはかつて一度も誰かのファンになったことはないんです。
中村
鍵谷さんはとにかくニュージャズ、フリー・ジャズがお好きらしいですが、それ以前のジャズについてはどうお考えですか? 私にとってまともなジャズ(笑)をどう捉えていらっしゃるんですか? あなたの言われているジャズは、たかだか5年か10年位前のものからで、セシルとかダラー・ブランドとかそのへんのことじゃないですか。ただ新しければいいっていうふうに受けとれるんですね。
鍵谷
それに対しては、これを答えとしたいんです。最近某レコード会社のディレクターが遊びにやってきて、ボクが少しレコードを持っていってくれないかと言った時、レッド・ガーランドのところに手がいった。そして彼は何のためらい、反省もなくスットそれを取ろうとした。ボクは言いました「ちょっと待ってくれ!」と。すると彼は異様なものを見るような顔をしてボクをにらんだんですね。実はそれを持っていかれると困るんですね、ボクには。レッド・ガーランドは嫌いです。が、つまりボクの音楽趣味やテイストには合いませんが、やっぱり困るんですよ。ようするに、好みに還元されるまでのプロセスにボクはボク流の悪いプロセスをとっちゃうわけなんです。破壊とか、転覆とかね。(笑)小川隆夫さんの「I LOVE JAZZ TEST」でジュニア・マンスとマル・ウォルドロンがガーランドについて語ってます。
マル・ウォルドロン
キャント・シー・フォー・ルッキン/アイ・キャン・シー・フォー・ルッキン
レッド・ガーランドに違いないと思うけどどうかな?
〔そのとおりです。あなたとガーランドの演奏というのは、ジャズ・ピアノにおける両極にあるとぼくは思っています。つまりあなたのピアノはリズム・パターンからフレーズが生み出されるように感じられるし、彼はスインギーなメロディー・ラインを身上としています。どちらもリズミックではあるものの、出てくるサウンドには対照的なものがあってぼくはとても興味を覚えるのですが〕。
そのとおりだね。要するに彼と私とでは音楽に対するアプローチがまったく異なっているということだろう。レッドの場合、まずメロディーが優先されると思うんだ。私はむしろひとつのリズム・パターンからスタートして音楽をどう発展させていくか、ということに精神を集中させているからね。でも実のところ私は彼みたいなスインギーな演奏がとても好きだよ。自分には絶対にできないアプローチだし、まあない物ねだり的な気持ちなのかもしれないけど、昔は彼の演奏を聴いてはある種のうらやましさを感じたこともあった。それと私は彼のようにはピアノを弾くことはしないが。彼のコード・ワークからはずいぶん学ぶものがあったことを告白しておこう。
〔あなたとガーランドは共に同時期、プレスティッジでハウス・ピアニスト的存在でしたね〕
そう。レッドと私は、だから本当のことを言うとライバル同志だったんだ(笑)。たいがいヒマな方がレコーディング・スタジオに行って演奏していたよ。プレステイッジという会社はとにかく他と少し変わっていて、ミュージシャンがレコードを作りたい、と言えば割と簡単に作らせてくれたんだ。だから私なんかよくスタジオに呼ばれたものだ。誰のセッションかも知らないままにスタジオに入っていろいろな人と演奏したよ。でもあの体験は絶対に忘れない。勉強になったというだけではなくて、言葉では言い尽くせないスリルがあったものね。私の青春時代でもあったしね。忘れられない時代なんだよ。ジュニア・マンス
ミスティ・レッド/イフ・アイワー・ア・ベル
ちょっと聴いただけでは誰だかよくわからない。もちろんマイルス・デイビスの演奏で有名な曲だけれど、あれよりは少しスロー・テンポで演奏されているし、トランペットも出てこない。けれどなぜかマイルスのあの演奏と同じようなムードが感じられる。レッドっていうことはないだろうしね。
〔いや、そのレッド・ガーランドの演奏なんですよ〕
本当かい! 冗談じゃないんだろうね。
〔もちろん冗淡なんかじゃありません。ガーランド晩年の演奏です〕。
私がレッドだと考えなかったのは、マイルス時代の彼はもっとアグレッシブだったからだ。コードの使い方なんかはレッドそのものだが、ともかく私の中にある彼のイメージはもう少し固いタッチのピアノを弾くっていうか、こんなにスイートなものではない。これは非常にリラックスした演奏だと思うし、それが彼のもっともよい点のひとつだろうね。
〔それと彼の左手によるコード進行が特長的だと思うのですが〕。
そうだね。彼のコードの使い方は、たしかに曲にパンチを与えているし、リズムをより魅力的で強力なものにしている。でも私がよく知っていた頃の彼の演奏とは相当違ったものになっている。はっきり言ってこの演奏は彼のベストのものとは程遠いようだ。レッドと私は、彼がマイルスのグループにいた頃とても親しい仲だった。というのも私はあの当時キャノンボールのバンドのメンバーで、あちこちでマイルスのグループと一緒に演奏していたからね。あの時代のレッドのプレイっていったらそれは大したものだった。硬軟混じえたまさに天下一品のものだったよ。
ドロマスさん⇒TAKESI0506さん
鍵谷さんのくだり、興味深く拝察いたしました!
…好みに還元されるプロセス…
うむー…身をもってわかる部分がありますが…
還元される余地のない強固なプロセスをお持ちの方も居らっしゃる ということですよね😅💦
TAKESI0506さん⇒ドロマスさん
そうですね。鍵谷さんは、ピーターソン擁護派からはこのような質問があるだろうということで、あらかじめ考えていたのではないでしょうか😀
早春さんからのコメント。
階級制度またでましたか。20世紀の米国に逆仏革命ですね🥲
前回B級映画についてつい長い言及をしてしまいましたが、ガーランドこそぴったりなイメージです。ところでガーランドの価値は上がる一方に思います。半ば岩波先生の受け売りなんですが、現在ガーランド的な、もしくはティモンズ的、ソニクラ的な演奏ができる人はいないんじゃないでしょうか。ハービーやマッコイの亜流のような人が多いように思います。意見する資格も意志もありませんが、個人的には学校なんか行かずにもう少し下手になった方がいいんじゃないかなと思います😏。私はガーランドの演奏が愛おしいですね...。そう何度も聞いているわけではありませんが、聞くたびにいいなァと思い惚れ惚れします。
また現在驚愕すべき破滅的な事件が進行中なようです。
私はジャズ研で何を演奏したいか聞かれたのでこう答えました。
Cool Struttin’。
彼らは知りませんでした。次にこう言いました。
One of the those things。
彼らは知りませんでした。次にこう言いました。
Bag’s Groove。
彼らは知りませんでした。どうなってんだ😱!
やはり高野さんのいう意味でもガーランドの価値はかつてなく急上昇中なようです。しかしながら、完璧な壊滅には至っていないようです。
私は最近一人の友人にハードバップ趣味を注入するのに成功しつつあります。その人の初の練習曲をソニー・クラークの「Softly...」にするのに成功したのです。褒めてください😁
今後も微力ながらレジスタンス活動に励んでいく所存でございます...。
>彼らは知りませんでした。
>どうなってんだ😱!
>ハードバップ趣味を注入するのに成功しつつあります。
同じ感じでしたよ。
私のジャズ研時代も。
懐かしい。
時代は繰り返す(苦笑)。
だいたい、部員は以下の4パターンでしたから(笑)。
A.ロックの延長線上でジャズとやらにも興味を持ってみるかタイプ
B.高校時代は吹奏楽部だったのでジャズでもやってみるかタイプ
C.松岡直也、スクエア(Tスクエア)、カシオペアをジャズだと思っているタイプ
D.酒と麻雀か競馬、あるいは風俗が好きなタイプ
番外編.あまりの廃人の多さとスラム化した部室に嫌気がさして来なくなる女子
かろうじてマイルスが好きだという人も『TUTU』や『DECOY』のマイルスがカッコいいと感じていて(実際、当時これらのバンド譜が出ていたので、それを基に有志で復帰後のマイルスを演奏していました)、『カインド・オブ・ブルー』や『バグス・グルーヴ』などは当然聴いたことはなく、江戸時代に録音された古い音楽くらいな認識でした(笑)。
このような人たちが少しずつハードバップ好きになっていったのは、
アルトサックス・吹奏楽部出身タイプはフィル・ウッズ、
テナーサックス・吹奏楽部出身タイプはゴードンとモブレイ、
トランペット・・吹奏楽部出身タイプはハバードやドーハム、
ジェフ・ベック信者にはバレルとモンゴメリー、
ロック畑ドラマーにはフィリーとディジョネット、
精神的に突っ張ったトンガリ君にはセシルと阿部薫
などのレコードやCDを貸して少しずつ「バップ感性」を注入していった想い出があります。
早春さんも頑張ってください!
早春さんからの返信。
おっしゃる通りでした。まさにその感じです🥲
>早春さんも頑張ってください!
精進いたします!
博 橋本さん⇒早春さん
ジャズ研での早春さんのメインの楽器は何ですか?♫
早春さん⇒博 橋本さん
ラッパをメインにやりたいと思っているのですが、先にドラムとベースが上達している状況です😅。とりあえずトランぺット自体は中古で購入したのですが、なかなか練習時間がとれないこともあって、まだジャズを演奏するスタートラインにも立てていません。気長に構えて練習していきたいと思います。橋本さんは何か楽器をやっておられるんですか?
博 橋本さん⇒早春さん
きっと早春ペットは早春ドラムと早春ベースのサポートで順調に腕前を上げていくことと思って応援しています😊
私は高校時代の吹奏楽部でトロンボーンを吹いていました。
マウスピースは BACH の “6 1/2 A” というやつでした。
Kawai Andyさんからのコメント。
プレステッジでの『A Garland of Red』や『All Kinds of Weather』などタッチが美しくスゥインギーで、ガーランドの魅力が凝縮してますよ。
漫画的演奏とはどういうものかよく分かりませんし、漫画を馬鹿にしてはいけません。粟村さんがこれを書かれた時代にはレベルの高い漫画もあったのでしょうが、ご存じなかったのでしょう。ガーランドについてはカクテルラウンジピアノの様だと揶揄する声も昔はされたけど、アレはあれで高い演奏能力が必要ですし、それの何処がいけないのかよくわかりません。世の中には様々なものが必要とされています、フレンチの技術で作られたラーメンもカップラーメンも多くの人に大事な何かを与えています。
ガーランドとモンクの音楽的複雑さを比べるのは勝手ですが互いに無いものがあるんです。ジャズを勉強するために聴くのなら別ですが、求めるものが異なっているのに比べる意味はないですね。コーヒー飲みたいのに青汁を勧められているようです。健康を求めるなら良いかもしれませんが単純にくつろぎが欲しいだけでもいいじゃないですか。
ジャーナリズムの仕事は人々に何らかの影響を与えることが大きいのですが、その自覚がない人の論評は下手をすると有益な事柄を奪い、無益になる場合もあるので慎重に発言してほしいですね。
>漫画的演奏とはどういうものかよく分かりませんし、漫画を馬鹿にしてはいけません。
ほんと仰る通りです。
1960年代のマンガといえば、『天才バカボン』『ゼロ戦レッド』『鉄腕アトム』『巨人の星』に『あしたのジョー』といった感じでしょうか。
大学生が『バカボン』や『ジョー』を読むようになって「学生とあろうものがマンガなど嘆かわしい」というような風潮の時代だったということを何かで読んだ記憶がありますが、まだ今と違ってマンガの地位が低かった時代背景の「知識人」の「見下し形容」だったのかもしれませんね。
>アレはあれで高い演奏能力が必要ですし
その通り!
柳沢きみおの『真夜中のジャズマン』という「マンガ」を読みなさいっていいたいです(時代が違うかw)。
客の会話を邪魔せず、空気のように当たり前で心地よいピアノを弾くことはどれほど難しいのか、「マンガ」が教えてくれますw
>コーヒー飲みたいのに青汁を勧められているようです。
それはイヤだ(笑)。
秀逸な喩えですねwww
>ジャーナリズムの仕事は人々に何らかの影響を与えることが大きいのですが、その自覚がない人の論評は下手をすると有益な事柄を奪い、無益になる場合もあるので慎重に発言してほしいですね。
これ、昔の評論を読むと時々思うのですが、「人に紹介しよう」という気持ちより、「自分がどうみられるか」という意識のほうが勝っている評論が多く感じます。もちろんすべてとはいいませんが、特に粟村さんとか鍵谷さんとか(笑)。
肝心な音楽そのものに関しての教養・見識よりも「英語が読める」「音楽以外の造詣」というスキルや能力が買われていた時代だったのかもしれませんし、そのような一般大衆の「知」への憧れ、コンプレックスが「音楽知らんけど教養あるセンセイ」がたたちを増長させてしまったという時代背景もあったのかもしれませんね。
博 橋本さんからのコメント。
少なくとも1970年前後の私の周りのジャズ・ファンの間では、ガーランドもピーターソンもエロール・ガーナーも人気が有りました。
『グルーヴィー』や『ナイト・トレイン』や『コンサート・バイ・ザ・シー』と同じ様に凄い演奏を求め、探し回ってジャズを楽しんでいたと思います。
私自身も粟村さんの『ジャズ・レコード・ブック』は重宝させて戴きました。
氏の当時のレコード評はこちらの視点の持ち方を見直したり、再確認したりする時にはまず参考にしていました。たいがいは「またこんな事言ってるよ😅」というのがオチでしたが・・・。
とにかく参考になりました。
とはいえ、得るものも多かった方です。
>またこんな事言ってるよ😅
>とはいえ、得るものも多かった方です。
私の場合は寺島靖国氏がそうだったかもしれません😅
いつの時代も、一人くらいは「いいことも言うけど、あれっ?と思うことも言う人」がいて、ファン・アンチ双方から注目を浴びる存在になるんでしょうね。
博 橋本さんからの返信。
仰る通り😄
寺島さんもまさしくそのスタンス😄
寺島さん、粟村さんの対談が行われていたら果たして・・・?😅
おそらく粟村氏は寺島氏のことを「学のある評論家」としてではなく、あくまで「飲食店のオヤジ」と見立てて一段低いポジションの人、つまり第二級の人(笑)として接するんじゃないかと😅
しかし、自分を卑下しながらも、訴求力あるトークスキルをお持ちの寺島さんは、かなりシタタカな御仁でもありますので(経験者は語る・笑)、対談の流れを握るのは一見マウントを取られているかのように見える寺島さんのほうなのではないかと勝手に想像しています(笑)。
そして、表面的な言葉を額面通りに受け取るマジメな人は「粟村さんの勝利」と感じるでしょうし、博 橋本さんのように冗談の通じる方には「寺島さんのトーク構成は、一見不格好かもしれぬが、猪木がアリに放ったローキックのように、後になってじわじわとダメージが蓄積されていくんだぜぃw」と「試合」の流れを俯瞰しながらニヤニヤとするのではないでしょうか😅
博 橋本さんからの返信。
はい、よく分からないままニヤニヤしていると思います・・・困った😅😅😅
村上春樹がモンクの『5 By Monk By 5』を買わされたのは新宿の「マルミ」ですね。
当時、新宿行って「オザワ」や「マルミ」でレコードを買うのが与太郎高校生の夢でした。
多分、マルミの店主からすれば当時の村上春樹は「時々店を覗きに来て、たまにレコードを買ってくれるジャズ好きの学生」という認識だったと思います。
横丁のゴッチャンがバイトのタカノ君に「あのさぁ〜」と話しかけていたニュアンスに近い状況だったと思います。
「間違い無いから今日はこっちにしときなよ」といった様子で、熱心な親父が熱心な学生に対して、老婆心から出たお節介をしたという顛末だったと思っています。
そうそう、思い出しました。
新宿の「マルミ」で『5バイ・モンク・バイ・5』でした(汗)。
>横丁のゴッチャンがバイトのタカノ君に「あのさぁ~」と話しかけていたニュアンスに近い状況だったと思います。
>「間違い無いから今日はこっちにしときなよ」
そういうシチュエーションだったら、怖くて、畏れおおくてモンク言えませんね(滝汗)。
博 橋本さんからの返信。
「オザワ」や「マルミ」は後藤さんも時々出向いていたのでしょうね😊
おそらく😊
so whatさんからのコメント。
まー、モノは言いようでございます、
ご存じの通りガーランドは左手が不自由でして
シンプルなコード進行を以て聞くに値しない?とは、
気の毒でしょうに、
一流とは何ぞや、
例えば、永遠のB級ハンクモブレー?如何に、
もっと言えば、ジャージーな無名ラウンジピアニストは無視?
10数年も前の事、東京ヒルトンホテルで甥っ子の結婚式があり、
親族の打ち上げ的な飲み会を地下に在る料理店で行うべく
降りて行ったところ、
ノリの良いジャズボーカルが聞こえてきたのです、
おそらく、亡き巨泉さん、盟友、岩波洋三氏はフインガースナップで
ごきげんな事この上なしの感ありを予想させる雰囲気でございました。目くじら立てて四の五の批評する必要なし、
聞く人々が決めてくれますよ、多少年数がかかるやもしれませんが、
それが自然の摂理でございましょう。
各言う小生はジャズを終生の音楽とした76歳の爺でございます、
従って、其れなりの見識を有していると自負してます、
油井正一氏、岩波洋三氏、巨泉さん、皆さんの語りには
ジャズへの愛情が満ち溢れてました。
※好みがお分かりかと思います。
以上
永井勉さんからのコメント。
笑える・・一度でも鍵盤楽器でツーファイブを弾いた事と
があるんでしょうか・・・???
楽器演奏が出来ない人に過去の名演に対して言われたくないです!!!😅😅😅
Kazuya Tanabuさんからのコメント。
レッド・ガーランド、ジャズ初心者に薦めるピアノには最適と思います😊
毎回同じパターンと言われたりもしますが、それこそが個性を確立した証ではないでしょうか。私がピアニカなら一度はコピーしてみたいピアニストですね(それとウィントン・ケリーも)。
人力飛行機さんからのコメント。
「‘マイルスのバンドでは玉石のような演奏。でも自身のトリオでは漫画的演奏を繰り返してはファンを嘆かせたものである。ほとんど購入の価値のない第2級の作品ばかりである。周りのファンがそういう評価をしている。‘ という評論家・粟村政昭氏評価。第1級の作品ばかりじゃ面白くないんじゃないか。粟村さんは1流しか好まない。そういうタイプみたいですねー村上春樹さんの『ポートレイト・イン・ジャズ』に書かれていた頑固なジャズ店の主人「こんな駄菓子みたいなのじゃなくてセロニアス・モンクを聴きなさい」と言われた。それで買ってよかったていうことなんですけど。だからモンクに比べれば漫画的というか。マンガばかりじゃなくて文学も読みなさいと言いたくなる作品だった。レッド・ガーランド心地よいかもしれないけども年寄りの老婆心というか。レッド・ガーランドにはガーランドなりの良さってあると思うんですけども。ジャズに嗜むよになって知ってくると、この作品をこの評論家がどう評論するのかが楽しみになってきます。評論家を評論する、視るみたいな。そういう目線も芽生えて。それはそれで面白いんですね。こいつ分かってねえなあとか心の中でマウントとりながら(笑)そういうのが面白くなる時期があるんです。だんだん達観して反論する気力も失せてきて。ハイハイハイそうですか、へーなんて。この人はそうなのね、へー。流しちゃうみたいになってきてますよね。とはいえ購入の価値がないなんて言われると、えー。1袋¥2`300位の高級ナッツでシングルモルト呑んでるところに1袋¥100のサッポロポテトバーベキュー味出されてお菓子じゃねえかていうようなものかもしれない。スナックはスナックで美味しい時もあるんですよね。高級なものの合間にジャンクなものを挟んだりするのも楽しく生活する知恵なんじゃないか。レッド・ガーランドは歴史に残る人じゃないかもしれないですけど聴きやすいですし、ジャズに興味ないピアニストにジャズピアノのCD渡したらレッド・ガーランドがイイですねという。それでよりジャズに興味を持って今ジャズピアニストになってますからね。入門にはちょうどいい。いきなりセロニアス・モンクとかセシル・テイラーは拒絶反応示す可能性があるから。ジャズに入門するピアニストとしてはとても良い架け橋になってくれる人なんじゃないかな。レッド・ガーランドからジョン・コルトレーン、マイルス・デイビスも聴くようになりますので。あとはどんどんどんどん枝葉が分かれていく。芋づる式に色んなジャズマンを好きなっていく可能性が高い。入り口としては最適なピアニスト。粟村さんはマイルスとやっているレッド・ガーランドはとても評価するんですよね。特徴ある左手の動きに対してシンプルな右手のソロを巧みに聴かせるのにと。マイルスコンボのときは見事。マイスルコンボを離れたときは漫画的演奏。だそうです(笑)面白いですね。」とのこと。
以下に私的に気が付いた点を箇条書きしていくと。
1.私はよく知らないのでアットランダムに関係音源を聴いて行ったんですが。Thelonious Monk – Monk’s Dream(1963年)所収のFive Spot Bluesとか、Bolivar Bluesとか。どっかおちゃらけた調子なんですね。だからこれこそ「漫画的演奏」じゃないかと。ドラマのBGMだったらコミカルな場面やドタバタの場面でかかる曲です。なので、「漫画的演奏」てこれこそ漫画的ではないかと。言いたくなったんですね。「漫画」「おちゃらけ」をこの人は嫌ってない。Thelonious Monk自身が十分肩の力抜いてアッカンベーやってるのに、その粟村さんて方。さほどThelonious Monkて人を分かってないのではないかと言う気はしますね。Thelonious Monkて人は堅苦しいのが嫌いな人だと思いますよ。だから粟村さんのことは知ってたら敬遠してますねおそらく(笑)。自分の音楽が肩張って聴く曲じゃないパフォーマンスではないむしろ席で揺れながら客自身グルーヴして聴いてほしいのに「これは~とかと違って1級だ!心して聴くべし!」なんて宣伝されてはかなわない。ていうか、ジャズってそういう音楽でしょ。聴きながら思いを馳せたり揺れたり。かつてはタバコの煙が立ち上るなかで蠢きながら。粟村さんに限らないかもしれないもうそういう旧世代の悪弊は脱してもいいとき。ジャズって基本お勉強じゃないんだから。プレイする快楽聴く快楽(ある場合はことによると死の快楽かもしれない)のないジャズって終わってますよ。ロックもそう。自由でなきゃ。面白いか面白くないかでいいんじゃないかなあ。て思います。粟村さん的な姿勢でいるかぎり、これは1級とか2級とか決めてるかぎり、ますますジャズという場所は瘦せ細り、カルトな宗教もしくは停滞して過去の遺物をいたずらに崇め続けるに近くなる。過去の音源を大事にするはいいけど、気を付けないと階級主義(誰かも言ってましたが)や宗教・密教になっていく。
2.レッド・ガーランドの音源いくつか聴きましたけど、Red Garland Trio – Groovy まず音のバランスが良いですね。特にベース・フレーズが良く聴こえるのがうれしい。前にMiles Davis live in Stockholm 1960てアルバム聴いたら、あれは放送局の録音だからかポール・チェンバースのベースがなんか聴き取りにくい。でソロのところは弓で弾いてて指弾きじゃないのであーあって思ったのです。ベースのビンビン音が好きなので。レッド・ガーランドは Groovyでベースのフレーズをクリアに隠れない様にしてくれてる。でビンビン聴こえて楽しい。ポール・チェンバースがノッテル感じもいい。Trioという編成も良かったのかベースの音好きにはたまらないアルバムですね。高野さんが挙げていたCookinも聴いて。ここではベース聴こえます。良く響いてます。Miles Davis live in Stockholmが最初からまずかったのかもしれません(笑)レッド・ガーランドの演奏は流麗で隙間を作らないのが真骨頂。たいするモンクは隙間が多い。不協和音みたいなフレーズを好む。で批評家も指摘してるらしいけど、むしろ流麗と反対にゴツゴツ感を出してくる。そこはそういう趣味の違いだと私ならみなしますね。それ以上の意味はつけないですね。
3.あといくつか気づいたのが、前にみたドラマで『あしたの、喜多善男』(2008年)てあったんです。信じやすいためにだまされたり失敗したり親友は事故で死んじゃったり良いことなくてあと11日後の親友の命日に自殺することに決めた男の話で。小曽根 真 て人が音楽やって。ジャズピアニストらしいんですねこの人は。でさっきThelonious Monk – Monk’s Dream聴いたらその劇中音楽にそっくりで、あああのとき小曽根 真 はThelonious Monkをモデルにしたんだって気づきました。Thelonious Monkの曲ってドラマに合うたぶん。人物の心に寄り添うような躍動や抒情があるし、人の歩行する姿生活する姿に合ってる。
うまくまとめてくださってありがとうございます<(_ _)>
>Thelonious Monk自身が十分肩の力抜いてアッカンベーやってるのに
うーむ、それはある。ありうる。なんかそのニュアンスわかる(笑)。
>自分の音楽が肩張って聴く曲じゃないパフォーマンスではないむしろ席で揺れながら客自身グルーヴして聴いてほしいのに「これは~とかと違って1級だ!心して聴くべし!」なんて宣伝されてはかなわない。
これもその通りだと思います。
ぜんぜん次元とレベルが違いますけど、たとえばですが(ホントにたとえばですが)、私がお気軽かつ気分まかせに喋りたいことをただテキトーに喋っているだけの動画のことを、妙にマジメな人が「これはジャズ入門には最適な第一級の解説動画である」なんて腕を組みながら神妙な顔で人に勧めている人がもしいたとしたら、「おいおいおいおい、ちょっと待ってよ!(汗)」となるに違いありません。
ま、そんな人はいるわけありませんし、あくまで自分自身に置き換えてみた喩えですが、作り手の気分と受け手の温度差に超絶ギャップが生じたら、もう腰砕けか、「シェー!」ってポーズを取るしかないです😂😂😂