先日アップした動画『新刊紹介〜ジャズ・クラブ黄金時代/小川隆夫』(こちら)にいただいたコメントを紹介した動画をアップしました。
コメント
本多文さんからのコメント。
クリントイーストウッド主演のどの映画すっかり忘れていましたがやっと見つけました、ありがとうございます。クリントイーストウッド氏とパーカーは人生において大好きな二人です
博 橋本さんからのコメント。
映画『ガントレット』
公開当時の発表では、撮影時に使用した銃弾の数は4万5千発 !!!😅
これはスペイン戦争で使用された銃弾数をうわまわる、との事が話題になっていました😅
本当のところはよくわかりませんが、圧巻の仕上り !!!!!
>撮影時に使用した銃弾の数は4万5千発 !!!😅
それはすごいですね!
というか、その数がどれくらいスゴいのかが、あんまりよくわからないというか実感湧かないけど、でもなんだか滅茶苦茶スゴく気合いを入れているんだということは、ムンムン伝わってくる数です。
たしか20年くらい前に、あの秋元康が原作、脚本、監督で、とんねるずの石橋貴明が主演の『銃声』という映画を観たんですが、これもラストでは、もう無駄に打ちまくっとるなぁ〜と思うくらい弾丸の嵐の映画だったんですが、その比じゃありませんね!
TAKESI0506さんからのコメント。
1985年のスイングジャーナルには「提言・直言・苦言」というコラムがあって、小川隆夫さんは『コンサートで、なによりも優遇されるべきは観客であるはずだ』というタイトルで怒っています😢
『近年コンサートヘ行ってたびたび不満を感じることがある。それは観客に対しなんの断わりもなしにビデオ収録をしていることだ。コンサートをビデオに残すこと自体は、レコード同様重要な記録として、また、そのコンサートに参加できなかった人がいながらにして楽しめるということで大歓迎である。しかし、明らかに演奏の妨げになったり、演奏者の心理を乱したり、観客がその演奏に集中できないような情況を呈している場合が多く、不満を通り越して憤りさえ感じてしまう。
これはビデオに限らず、写真撮影の場合にも多かれ少なかれ迷惑することがある。時としてレコーディングのために演奏がしばしば中断されるなどという非常識極まる行為さえ行なわれるに至っては、まったく観客不在のコンサートとしかいいようがない。たしかに世の中はオーディオ・ビジュアルな時代に入っている。だから多くのイベントをさまざまな形で後世に残し伝えることは有意義なことだろう。しかしながらその手段のあり方に僕は大いなる疑問を感じてならない。
どうもわが国では報道という名目のもとにほとんどの無理が道理を越えてしまう傾向にある。ビデオ制作を僕は報道とは思わないが、制作者側にはそれと似た種類の感覚を持ち合わせている人が多いようだ。要するに自分達の行為がすべてにおいて優先されているという妙な自意識が働いて、観客側からみるとあきれて物もいえないような行動をとる関係者が多いのである。
そうした行為を認める主催者も問題であろう。もちろん言い分はあるかもしれない。たとえばビデオ、レコーディングの権科によって入場料だけでは賄いきれない分をカバーしていることもあるだろう。それならなぜひとことでもよいから、事前にビデオで収録しますという告知をしないのだろうか。
少なくともジャズ・コンサートは観客によって成立するものであるし、その観客をないがしろにしたり無視をすれば必ずファンは離れていくものである。こうした観客無視のコンサートは即刻中止し、主催者側にはただちに猛省を促したい。ファンの一人として考えるとき、少なくともビデオ収録やレコーディングがされる日のコンサートとそうでない日のコンサートの入場料が同じということは納得できない。自分の参加したコンサートがレコードになったり、ビデオになったりすることは個人的にはよい記念となるものではある。しかし、それは最低限のルールが守られて制作されなければならないものであり、お金を払って見に来てくれた観客に不快な思いをさせて作られたものであっては断じてならない。
僕の提案は、まずレコーディングやビデオ撮影を行うコンサートである場合はあらかじめその旨ポスター他に表示する、入場料の見直しをする、ビデオ用に特別なセッションを行う、などである。コンサートに便乗してビデオを作っちゃおうなどという安易な気持ちでやられては、お金を払って見に来てくれる観客に申しわけないと感じなければいけない。何よりも最優遇されるべきはお金を払った観客であるはずだ』小川さんはこの当時は30代半ばの若さで、以前に書き込んだことのある本多俊夫さんや寺島靖国さんとの論争などもあって、血気盛んであったようですね😉