【立ち読み的雑誌紹介】『ジャズ批評』ルディ・ヴァン・ゲルダー生誕100周年特集

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隔月刊『ジャズ批評』239号(特集:ルディ・ヴァン・ゲルダー生誕100周年〜伝説のエンジニアが追求した”ジャズの音”とは?)を、「立ち読み的」に紹介した動画をアップしました。

コメント

御駄賃取郎さんからのコメント。

今回もありがとうございます。表4の広告からのご紹介も実にグッ!です。w
神野ミカさんといえば演歌歌手として有名でしたが、こうした企画にはドハマリするような・・。
NHKは、かの朝ドラ放送中に特番でときどき番組の音楽だけのうた番をやっていましたね。

そしてもう1つおどろいたのは「ファースト・コール」という言葉。まだ使われるのですねえ・。
ジャズではフュージョンブームがおこる少し前あたりから、キングレコードが「NYファースト・コール・シリーズ」と名付けてスタジオ・ミュージシャンの売出しをやったように記憶しています。
もう、かれこれ40年くらいも昔しのことです。

それにしてもブルーノートくらいのモンでしょうね?1500番台シリーズとか「名盤ぞろい!」次は「4000番台!」とかのシリーズ伝説?を生み出す商魂?にはただただ「あっきれけえって、でんぐりけぇる!」ばかりですだに。。これじゃあプレステッジも浮かばれ?まいて・・・。

今から50年くらいも昔の録音が売れる・・・・なんて、ジャズ限定の商売ではないですかねえ?・・・・・。
「あな、おそろしや!」って・・このことなのかしらん?ジャズ喫茶のおかげ?いやさ、高野雲さんのおかげかも?www

>ジャズ限定の商売ではないですかねえ?・・・・・。
そうですね。
あと、ビートルズとかですかねぇ。

音楽ではないんですが、それらよりもっと昔の出来事の掘り起こしや再検証、新切り口、新視点を提供という点においては、私は雑誌『丸』の記事なんか好きだなぁ(笑)。

過去に何度も特集を繰り返されているであろう、「日本海軍の栄光・零戦二一型開発史」とか、「我ニ追イツクグラマン無シ」の彩雲特集とか。こういう記事や特集って昔から何度か読んでるし、知っているにもかかわらず、再度「リサイクル?特集」が組まれると、ついついまた読んでしまうという。

最近だと、最強高速戦艦「金剛」&「榛名」のメカニズム徹底検証特集が面白かったです🤣

TAKESI0506さんからのコメント。

スイングジャーナル84年3月号に、キーボード奏者兼ジャーナリストのベン・シドランとルディ・ヴァン・ゲルダーとの対談記事が載ってます。

『バン・ゲルダーは、業界では〝人ギライ〟としても定評がある。バン・ゲルダーとインタビューすることは至難の業だった。が、去る83年12月、ベン・シドランが遂にバン・ゲルダーを口説きおとし、ここに初のインタビューが実現した。『それでは特に日本のジャズ・ファンのために……』とバン・ゲルダーは話しはじめた――。

シドラン 住居を兼ねたスタジオだったということが、あなたのスタジオで生まれるサウンドにかなり影響を与えていたとお考えですか。

ゲルダー これまで、そんなふうに考えたことはなかったですがね。今思えば、そういうこともあり得る。そうですね、たしかに影響があったといえるでしょう。

シドラン ご両親の家だったということですが、レコーディングなさっていた当時は、お二人はこの家に住んでいましたか。

ゲルダー もちろんです。私が使っていたのはリビングルームとミキシングルームの二部屋だけです。

シドラン レコーディングなさっていたのは昼間ですか、それとも夜……

ゲルダー 昼間です。両親が仕事にいって留守がちだったですから。

シドラン というと、夕方遅くなると、もうレコーディングはできないという……

ゲルダー そうです。だから、ほとんどのレコードは昼間録ったものです。

シドラン ブルーノート初期の54年から59年頃には、レコーディングはミュージシャンにとって一種特別な挑戦、特別な舞台だという意識はありましたか。

ゲルダー いや、まだなかったですね。

シドラン というのは、まだ2トラックの時代で、録音もスピーディーに済んだからですか。

ゲルダー いや、当時の人間にしてみれば、比較の対象がないので、スピーディーか面倒かなんて意識はないですよ。それは、今の人間が当時をふり返って、ああ、当時のレコーディングはずいぶんスピーディーだったなと思うことはあってもね。当時の人間は、レコードっていうのは、まあ、これくらいの時間で作れるものなんだな、と了解していたでしょうね。調子のいい日は半日でLP一枚分と、別のレコード用の数曲まで録れてしまうこともある。それに、ミュージシャンにとって、レコードを作ることが必ずしも最終目標というわけじゃなかった。最終目標はあくまでもギグに出ること、演奏することだったわけで……。レコード作りとライブでの演奏を別のものとして考えるという発想さえも、この頃はまだなかったんです。

シドラン この頃のセッションで、特に思い出に残っているものはありますか。

ゲルダー そうですね、マイルスがらみのレコーディングはいつもユニークなセッションになりましたね。特にマイルスとモンクが一緒にやったセッションなんて(「バグス・グループ」)。2人が一緒にプレイしたのは一度きりだったけど。ご存知のように、モンクはやたら背が高い。マイルスはマイルスで、床板めがけてつんのめるような恰好で吹く。レコーディングの途中でマイルスがモンクに「この箇所で俺がソロを取る時は、お前さんピアノを弾かないでくれ」と言った。で、その箇所にきた時、モンクは弾くのをやめて、すっくと立ち上がった。それでもって、マイルスの背後にきて、はるか下方のマイルスをジロジロ見下ろした。「何で立ちあがるんだ?」とマイルスがいうと、「ピアノ弾かないんだったら、べつに坐ってる必要ないだろ」と答えましたね。それはともかく、なんといっても当時のことで一番鮮明におぼえているのは、技術的なトラブルが発生した時のことですね。テレコのマシントラブルが発生した。さあ、どうしよう……。あの頃はパーツの故障やら、録音現場でのトラブル処理やらにかなりの時間をさいていましたよ。

シドラン セッションごとの雰囲気の違いなんて、おぼえていますか。たとえば、モンクのセッションとホレス・シルバーのセッションではどんな違いがあったかというような……。

ゲルダー まあ、ずいぶん昔の話ですからね。それに何千という数のセッションの中から一つを取り出すといっても……。なにしろ25年前のことですから。具体的にそのセッションで何が起ったかということは別にしても。たとえば、その時のスタジオの様子とか、誰がレコーディングにかかわっていたかくらいのことなら思い出せますが。ただ、当時のセッションについては、嫌な思い出は何一つ残っていないということくらいですね。

シドラン それはまたどうしてでしょう。

ゲルダー 自分でもよくわからないけれど、そうなんです。おぼえているのは、当時、自分が「さあ今日はモンクの録りか、こいつは大事なセッションだぞ」なんて感じてたことです。彼は当時すでにビッグアーチストになっていたから、いつもよりは念入りに機械類のチェックをしましたね。あの日、自分はとてつもなく重要な何事かを今なしつつあるんだという実感があった。そういう類のことなら思い出せるんだけど。

シドラン 録音の最中に、オヤ、これは予想したよりはるかにいいぞ、こいつはスゴい、という気持ちになったセッションもありましたか。

ゲルダー たしかにありましたね。どのセッションとは言えないけど。セッション全部が燃えたケースもあり、なかの何曲かがクックしているケースもあった。まさに最高の気分ですね、そういうのは。

シドラン いくつか例をあげていただけますか。

ゲルダー いやあ、何といっても数が多すぎますからね。しかし、いったんぺースに乗ると、これはもう大変なものでしたよ。わかるでしょ。ただ、ああいうことが可能だったのは、当時の録音方法による部分もかなりあったわけで、さあ、こいつを後でトラックダウンしたら凄いレコードになるよなんてツヤ消しで言えないでしょう。こういう〝ノリ〟は人工的に作ってできるものじゃない。

シドラン たとえば、コルトレーンの「ブルートレイン」について何か特別な印象をお持ちですか。

ゲルダー いや、特にないですね。だいいち、私の記憶の中ではLPタイトルと個々のセッションがうまく結びつかないんですよ。レコーディングした時点ではまだLPタイトルは決っていないのがほとんどでしたから。

シドラン ちょっと気がついたことがあるんですが、ゲルダーさんがこの時期にアルフレッド・ライオンと作ったレコードはすべて同質のサウンドで一貫していますが、他のプロデューサーと組んだレコードはサウンドがまちまちな場合が多いようですね。

ゲルダー その通りです。他の人と作ったレコードでは、そのプロデューサーが持っていた、レコードとはかくあるべし、という観念に合わせて音作りをしていたんですよ。レコードを制作する際、ピュアーで、静かで、ビューティフルな響きをもったレコードを作るという以外の方面により多くの関心を抱く人もいますからね。それと同時に、当時は現在ほどメカの信頼性が確立していなかったので、さまざまな手法を試してみる必要もあった。マイク、スピーカー、その他コンソールにまつわる技術的なことですね。ということで、私は実験的なこともやったんです。ただライオンのセッションではそれをしなかった。実験は他のレーベルでやったんです。それで良い結果が出てこれは信頼性がある。この次もう一度やっても同じ結果が得られるとわかってはじめてブルーノートのセッションでも使うことができた。そういう意味では、他のレーベルでさんざん実験してわかったおいしいところだけをブルーノートに持ち帰っていたことになります。

シドラン ジャズ・ミュージックを創造するとは一体どういうことかという問題について、何かご意見をお持ちでしょうか。たとえば、50年代のプレイヤー全般に共通するジャズ的態度というようなものがあったでしょうか。

ゲルダー それはむつかしい。そもそもジャズとは瞬間の音楽であって、プレイヤーの技量が100%アドリブに出てしまうわけです。そういう見方からすると、電化楽器よりもアコースティックのほうが、そうしたことがやりやすいということはあるでしょうが。

シドラン 50年代に共通の態度という点ではいかがですか。そういったものが存在したでしょうか

ゲルダー ありましたね。うまく定義できるかどうかわからないけど、たしかにそうした特長的な態度があった。

シドラン ところで、今の時代には、瞬間のために演奏するのではなく、レコードのために演奏するプレイヤーの世代ってものが完全にできあがっていますね。

ゲルダー まったく、その通りなんだ。

シドラン 技術革新の彼が一挙にやってき70年代初期などは、まだ新しいオモチャをいじっているのが面白かったんでしょうが。

ゲルダー しかし、それだって金を払うのに青息吐息だったんだけれどね。

シドラン まあ、当時のスタジオ業界にとっては、悪夢の一時期だったでしょうね。しかし、そういう波が進行中のころ、ゲルダーさんは・・・・・・。

ゲルダー これは危険だ、と思わなかったかって聞きたいんですか。思ってましたよ。早晩、行きどまりになるだろうと思ってました。私なんか、年がら年中、もっとトラック数を増やしてくれという圧力にあってきましたよ。今だってそういう声がある。だけど、トラック数が増えれば増えただけ、こっちは自分の仕事に自信が持てなくなるんです。新しい機材が最初出てきた時は歓迎しましたよ。自分の仕事が楽になるもんだと思ってましたから。これからはもうガチガチにパーフェクトな音作りをしなくてもいいんだ、とね。もし、レコーディングで、この音が弱い。あれが強すぎるなんてことがあっても、後で直せばいいんだから。そこで私は考えた。OK、こいつはスゴイや。それはエンジニアの私にとって、益をもたらすとばかり思っていたんです。ところが、そうはいかなかった。ミキシングの補助用具と思ったものが、いつのまにか演奏の補助用具に早変わりですよ。

シドラン 演奏の補助用具といいますと。

ゲルダー ミュージシャンが自分のソロを何度も録り直したがるんですよ。コレをつけ足し、アレをつけ足しって具合にね。

シドラン それは実に興味深いご意見ですね。現代のミュージシャン達は、テクノロジーが創造力の発展を妨げてるだって? まさか! テクノロジーは創造を手助けしているじゃないか、と言いそうですけど。

ゲルダー こういうことは簡単には気がつかないものです。しかし、私のような経験を経てきた者には、ことは明白です。今日の状況はそれどころじゃない。もっと悪化しているけど、あまり立ち入るのも気がひける。身近な例では、ヘッドフォンなんかそですね。

シドラン 私は常々不思議に思っていたんですが、マルチで録音している場合、後でそれぞれの楽器を各トラックにばらまきますね。しかし元の演奏が良ければ、トラックダウンした後の音も元通り良い音に出来てくるんですね。しかし、オリジナル・トラックがまずいと仕上りもやはり良くはならない。何か、目に見えない音以外の何かがテープにはしっかり記録されていて、それが影響しているような……。

ゲルダー その意見には同感ですね。

シドラン それがフィーリングなんでしょうね。で、そういうフィーリングはガラスを隔てた、こちら側(ミキシングルーム)で製造してやることはできなくて、あちら側、つまりスタジオ内で自然発生するものなんでしょうね。

ゲルダー その通りですよ。フィーリングを製造することはできません。だから私がクラブで演奏しているミュージシャン達をスタジオ内に移動させたとしても、もし彼らの演奏がフィーリングのある演奏だったら、それは場所を移動したくらいで消えるものではない。だから、私のしたことは、少なくとも音楽を変えてはいない。それは、ああしてくれ、こうしてくれ、と注文をつけたことはいくらかはあったかもしれない。しかしミュージシャンはレコーディングに先立って、私にこうしてほしいっていう要望とにらみ合わせて、まあ、協力してくれたんです。そのへんは微妙なバランスですけど。しかし、こういうふうにプレイすべきだとか何を演奏すべきだなんてことには口をはさんでいません。みんながこういう音に仕上げてほしい、こういう音にすべきだと考えている音になるよう努力しただけです。決して音楽を変えたりはしなかった。音楽のほうがこっちに働きかけてきたんです』

68年のスイングジャーナル上で、実際にバン・ゲルダーに会った児山紀芳さんが、彼の人柄について語ってます。

『よくその道の達人、名人なんていわれる人は、人付合いがへただとか何とかよくいわれますが、このヴァン・ゲルダーという人はズバリそれを絵で書いたような人ですね。私がアメリカでたくさんの人に会いましたが、インタヴューの最中に質問が気に入らないからといって、どもりながらまっかになって怒った人はヴァン・ゲルダーだけだし、またインタヴューが終って2階に案内され彼の部屋に通されてくつろいだわけなんです。その時やはりタバコなども吸いたくなって、テーブルに灰皿もあるので、アメリカでは儀礼的に「タバコを吸っていいか」といいますね、でそのとおりいったら「ノー」というんですよ(笑)「君はもうじき外へでて帰るわけだからその時に吸ったらいいだろう」(笑)よほどの潔癖症とでもいうんですかね。
 彼はまた、その道にかけては徹底的に人に負けたくないという気持を持った人で、私が「あなたの録音されたレコードのうちこれが好きだ」とか、おせじも含めて「あなたの録音されたサウンドというものが、日本のジャズ・ファンの間では、一つのジャズ・サウンドのパターンになっている」というふうなことをいうと、とてもうれしそうな顔をするんですよ。それと反対のことをちょっとでも口にしようものならかんかんになって怒りだすんです。やはり感じとしては、彼はジャズ録音にかけての一つの芸術家じゃないかと私は思いましたね』

ありがとうございます。

いやぁ、単純なほどに怒りっぽかったり、喜んだりするところって、これ職人気質なコダワリ人間に多いような気がします。
それも、その分野での「第一人者」的な人。

トップレベルの実力の持ち主って、まあ人生の多くの時間をその対象に費やしているからなんでしょうけど、あるいは仕事やビジョンやミッションのことばかり考えるあまり、それ以外のことは優先順位的に低いと認識しているからなのか、世間知らずだったり、協調性がなかったりする人もいるんでしょうね。
逆に、世間をよく知っていて、協調性があるからこそトップにのし上がっていった人も、もちろん多いとは思いますが。

私の場合は、作家やデザイナー、カメラマン、装丁家、校正者に多かったような気がします。
あと、会社の社長さんにもそういうタイプの方が多くいらっしゃいましたね。

中野信子さんの本によると、サイコパスな人は、「尊大で、自己愛と欺瞞に満ちた対人関係を築き、共感的な感情が欠落し、衝動的で反社会的な存在」ではありながらも、必ずしも全員が犯罪者になるというわけではなく、「サイコパスの多い職業トップ10」の1位は「企業の最高経営責任者」とのこと。
犯罪者にならず、いわゆる「社会的成功」を収めているタイプは「勝ち組サイコパス」と表現していますね。

そういえば、先日イーロン・マスクの伝記を読んだんですが、彼も完全に……(苦笑)。
あと、それで思い出したのが、スティーヴ・ジョブスですね。
アップル製品が好きな私ではありますが、それは「遠くで見ているから」ファンなのであって、「近く」にいたアップル社員は、きっと大変だったんだろうなと思います。

フツーの一般人だと迷惑、ウザい、迷惑、お近づきになりたくない&面倒くさい人でも、何かを成した人だと、「やっぱりあの人は普通の人とは違うね」と逆に一目置かれちゃったりもするんでしょうね。

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サンジョルディさんからのコメント。

【<パラレルワールド江戸>
お江戸ジャズかわら版『ジャズ評判』ルディ・ヴァン・ゲルダー特集への
熊さんの投稿、あるある】

ブルーノート好きのあっしの仲間うちでも、いつのヴァン・ゲルダー録音が好きかは、意見が分かれるんでさあ。

モノラル録音の方が<音が、かたまりでガツンと来る>から好きなお人もいやす。
あっしは、せっかくステレオのスピーカーで聴くんでやすから、トランペットとサックス、ピアノやベース、ドラムの立ち位置が右、左、中央と言った具合に、分かれてほしいタイプなんでさあ。でやすから<ステレオ派>なんでさあ。

ブルーノートは1957年春からステレオ録音を始めやしたが、57年秋でもモノラル録音のアルバムもあったりで、「ここからステレオ」という<時期的な>線引きは、難しいでやすねえ。
さらに、あっしがとりわけ好きな録音時期は、59年夏以降でやすねえ。まあ、ブルーノート好きには、ピンと来ると思いやすが、59年夏にヴァン・ゲルダー・スタジオが引っ越したんでさあ。新スタジオの録音は、うまい塩梅に音が響いて気持ち良いんでやす。

別の角度から見やすと、58年から61年ぐらいは、あっしの好きなハードバップが、<最も成熟した時期>なんでさあ。
あくまであっしの肌感でやすが、
57年以前のアルバムには、随所にビバップの影響が見られやす。
また62・3年あたりのアルバムから、かなりモードジャズやオルガンジャズの波が押し寄せた感じなんでさあ。
58年から61年の録音、
さらに言うと新スタジオの59年夏から61年までの録音は、あっしにとって格別なんでやす。

それから、やっぱりジャッキー・マクリーンでやすねえ。
「ジャズ茶屋名盤の陰にマクリーンあり」と言いたいぐらい、マクリーンが<哀愁>のある音を<プゥ>と吹くと、もうそれだけで満足なんでさあ。

ということで、<ブルーノートにおける>、あっしが大好きなヴァン・ゲルダー録音は、以下のものでやす。
あくまで<今の時点>で好きなアルバムでやすがね。

①ドナルド・バード『フュエゴ』
(59年10月録音)
トランペット…ドナルド・バード
アルトサックス…ジャッキー・マクリーン
ピアノ…デューク・ピアソン
ベース…ダグ・ワトキンス
ドラム…レックス・ハンフリーズ

②リー・モーガン『リー・ウェイ』
(60年4月録音)
トランペット…リー・モーガン
アルトサックス…ジャッキー・マクリーン
ピアノ…ボビー・ティモンズ
ベース…ポール・チェンバース
ドラム…アート・ブレイキー

③ティナ・ブルックス『バック・トゥ・ザ・トラックス』
(60年9月、10月録音)
トランペット…ブルー・ミッチェル
アルトサックス…ジャッキー・マクリーン
テナーサックス…ティナ・ブルックス
ピアノ…ケニー・ドリュー
ベース…ポール・チェンバース
ドラム…アート・テイラー

④ハンク・モブレー『ワークアウト』
(61年3月録音)
テナーサックス…ハンク・モブレー
ギター…グラント・グリーン
ピアノ…ウィントン・ケリー
ベース…ポール・チェンバース
ドラム…フィリー・ジョー・ジョーンズ

⑤デューク・ジョーダン『フライト・トゥ・ジョーダン』
(60年8月録音)
トランペット…ディジー・リース
テナーサックス…スタンリー・タレンタイン
ピアノ…デューク・ジョーダン
ベース…レジー・ワークマン
ドラム…アート・テイラー

⑥ケニー・ドリュー『アンダーカレント』
(60年12月録音)
トランペット…フレディ・ハバード
テナーサックス…ハンク・モブレー
ピアノ…ケニー・ドリュー
ベース…サム・ジョーンズ
ドラム…ルイス・ヘイズ

⑦ホレス・シルヴァー『ブローイン・ザ・ブルース・アウェイ』
(59年8月、9月録音)
トランペット…ブルー・ミッチェル
テナーサックス…ジュニア・クック
ピアノ…ホレス・シルヴァー
ベース…ジーン・テイラー
ドラム…ルイス・ヘイズ

⑧ハンク・モブレー『ロール・コール』
(60年11月録音)
トランペット…フレディ・ハバード
テナーサックス…ハンク・モブレー
ピアノ…ウィントン・ケリー
ベース…ポール・チェンバース
ドラム…アート・ブレイキー

⑨ティナ・ブルックス『トゥルー・ブルー』
(60年6月録音)
トランペット…フレディ・ハバード
テナーサックス…ティナ・ブルックス
ピアノ…デューク・ジョーダン
ベース…サム・ジョーンズ
ドラム…アート・テイラー

⑩アート・ブレイキー &ザ・ジャズ・メッセンジャーズ『チュニジアの夜』
(60年8月録音)
トランペット…リー・モーガン
テナーサックス…ウェイン・ショーター
ピアノ…ボビー・ティモンズ
ベース…ジミー・メリット
ドラム…アート・ブレイキー

「いーぐる」の後藤さんが、その昔、講談社現代新書の『ジャズの名演・名盤』にマクリーンの良さを「はるか昔、学校をサボッて麻雀を打ちながら食べた餃子ライスのうまさ。あるいは、運動部の練習の帰り、駅のスタンドで食べた立喰いソバの味」と喩えていましたが、「ジョルディ・セレクション10」をみていたら、無性に餃子ライスを食べたくなってしまいました(笑)。

でも、⑨はニラレバ定食、ラストははすた丼かなwww

サンジョルディさんからの返信。

『チュニジアの夜』…すた丼!(笑)
食べたことはありませんが、分かる気がしますー

猛烈においしいですよ、最初は😅
でも、最後の方になると、だんだん飽きてきます🤣

サンジョルディさんからの返信。

すた丼も『チュニジアの夜』も、毎日続けてはつらいですねー(笑)
3か月か、半年に一回ぐらいでしょうか

そうですねー、まさにそれくらいのペースが丁度良いです♪

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