【雑誌読み】スイングジャーナル 1979年5月号〜笠井紀美子『バタフライ』レコーディング記事

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『スイングジャーナル』1979年5月号に掲載されていた、笠井紀美子の(当時の)新作『バタフライ』のレコーディング記事を紹介しています。

コメント

永井勉さんからのコメント。

聴きました・・・すいません・・・Butterfly (1979) 全然響きません・・・???
どれだけハンコックがサポートしても・・女性ジャズボーカリスト笠井紀美子・・・弱いっす・・・
雰囲気はいいんですがビブラートが浅い・・・
ポップボーカリストの域を超えていない感じがしました・・・
私だったら吉田美奈子さんとか金子マリさんとか矢野顕子さんの方が
はるかにジャズボーカリスト的・ブルース的な歌い回しをされていると
感じます・・・怒らないでくださいね・・・🤣😅😅
😅

怒るもなにも…😅
私もほぼ永井さんと同じ感想ですよ。

人力飛行機さんからのコメント。

笠井紀美子ってこの記事の頃からたぶんFM雑誌でみて知ってはいたと思うんだけど。当時は自分笠井紀美子よりも年下。で今はこの記事の笠井紀美子(34歳?)よりも年長。そういうせいか、モノクロ写真に出てくる、ヘッドホンつけた笠井紀美子が可愛く視えるという(笑)。1979年当時は「なんか妖艶すぎて俺の好みじゃないな」て感じでしたけど。今は34歳というとずっと年下だから。男って単純ですねえ。当時の自分の好みはもっとぽっちゃり可愛いちょうどMINOLTAの宮崎美子みたいな。笠井紀美子とMINOLTAの宮崎美子じゃ全然違うものねー(笑)。

あと、最近、ハービーハンコックが喋ってるYouTube動画みたんですよね。彼の2000年以降だと思う。何喋ってたかというと、南無妙法蓮華経の功徳について。ハービーハンコックは言うには、当時、マイケル・ブレッカーと共演した。マイケル・ブレッカーは悩みが多く希望がなかった。そこで私はマイケル・ブレッカーに、南無妙法蓮華経の功徳について教えてあげた。彼は最初は信じなかったが徐々にその功徳に気づいていくようになった。彼は私に感謝していた。

ハービーハンコックとウェイン・ショーターは創価学会の熱心な信者だったですよね。あとは歌手のティナ・ターナーも南無妙法蓮華経の功徳で元夫のアイク・ターナーによるDVの心的外傷から立ち直ることができた。それをティナ・ターナーは晩年の著書にまで書いている。まあハービーハンコックといいティナ・ターナーといい、向こうのミュージシャンが何に入信して救われようとその人の内面だから。どうこう言うつもりは自分にはないんです。ただ、人は死ぬまで悩んだり救いを求めたりする。ジャズ・ミュージシャンも例外ではない。っていうことですよね。

ハービーハンコックとウェイン・ショーターはちなみに池田大作さんと3人で座談会やって本にもなってますねたしか。『ジャズと仏法、そして人生を語る』(ハービーハンコック、ウェイン・ショーター、池田大作 毎日新聞社 2013年発行)。ああいうのは教団の宣伝にもなるし。しかしむしろハービーハンコックとウェイン・ショーターにしたら進んで広告塔だろうがなって行きたいくらいだったのかもしれませんが。凄い入れ込みようだったんですねえ。ハービーハンコックのその動画は南無妙法蓮華経の功徳をずっと喋ってましたけど。片や師匠のマイルス・デイヴィスは3Pやるはクスリやるは放蕩の限り。トランペットはガム噛みながら。比べるとずいぶん道が違ったなあって思います。

そうそう私も動画で取り上げた笠井紀美子の盤、少々聴いてみたんですけど。アレって全編英語でしょうおそらく。で、主さんも日本人のジャズヴォーカルだと思いましたて言ってる。私もそう聴こえるんだけど、どうせなら、日本語に訳したテイクでやったらもっと面白かったのかな?て感じもする。全編英語で何歌ってるか分からないしどっかカッコツケのモードが伝わるんですよね。あれは日本語に訳して歌ったらもっとよかったのでは?それこそ歌謡曲のファンも来たんじゃないか。そのほうが日本人のジャズらしくて良かったんじゃないか。てことは、高い出演料払って海外行ってハービーハンコックと共演する必要もなかったんじゃないか(笑)。日本で日本の演奏家やスタッフとやってればよかったんじゃないか(笑)。曲はまあ輸入でもいいけど歌詞も日本語訳そっちのほうが分かり易かったし日本のリスナーにも受け入れられたんじゃないか。て感じですね。当時は主さんが言ってるような「日本人のジャズ」ていう言い方が受け入れられなかったわけでしょう。そこがたぶん問題でね。しょせん何やったって日本人という制約は消えないっていうこと。そこにむしろこだわればよかったと。

御駄賃取郎さんからのコメント。

私が大学生の頃、日本の女性ヴォーカリストといえば、笠井紀美子、中本マリ、安田みなみ(「プカプカ」のモデルになった女性)が有名だった。個人的には笠井紀美子のアルバムでは「マイ・ラブ」を一番よく聞くが、「バタフライ」には印象がほとんど無い。

一時期中本マリにはまった。今でもTBMの「マリⅢ」はすべてのヴォーカルアルバムの中で一番良く聞いている。このアルバムで私は(渡辺香津美にも歌心はあるんだなあ・・・)とはじめて実感した。

そして安田みなみは山本剛トリオと演った「赤とんぼ~フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」のメドレー!!が当時FMでよく流れた。

当時中本マリは資生堂?(と思うが・・)のTVCMで「描いてごらん海の色で」という曲が使われ、これが中本のデビューアルバムだったと記憶する。ほかにも中本まりのTVCMにはサントリーの♪「柔肌の あつき血汐に触れもせで さみしからずや 道を説く君」という有名句に五輪真弓が曲をつけたCMが注目を集めていた。

余談ながら、私がこれまで楽しんできた「日本人女性ジャズボーカル」でのNO1をつけるとすれば、迷うことなく
ケイコ・リーのピアノ・弾き語りアルバム「ローマからの手紙」の中の「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」だ。
これぞ日本人がなしとげた独自解釈による、ビリー・ホリデイの「レデイ・イン・サテン」にも匹敵する名演だと思う。

やまねこやまちゃんさんからのコメント。

I Thought It Was YouとButterflyは好きな曲なんだけど笠井紀美子版はそこまで良いとは思わなかった。他の方も指摘してますが当時このアルバムは隔週発売されるFM雑誌に
よくCMが打たれてました。

人力飛行機さんからのコメント。

他のコメント読んでる内に色々思い出してきたことがあり。改めて引っ張り出すと。他のコメンテーターさんが出してるジャズ・ヴォーカルとか、検索して聴くと確かに聴かせるんですよね。中本マリ、ケイコ・リー、安田南は。動画で出てくる当時の新譜、笠井紀美子の『バタフライ』のいかにも最新の流行(はやり)という音作りに比べれば。

それとは別にしかし女性ジャズ・ヴォーカルというところで思い出すことがあって。1990年頃。当時の職場の先輩から女性ジャズ・ヴォーカルのライブに連れて行ってもらったことがある。どこか場所も覚えてない。女性ジャズ・ヴォーカルとか聴いたこともなかったし。その先輩はまた、音楽とは全然縁遠い人だった。で、その人が「俺こういう場所に行ってるんだよね」とでも言いたげに、連れて行ってくれた。だからつまりステイタスだったんですよね。多分。ちょいとリッチなサラリーマンの。女性ジャズ・ヴォーカルのライブやってるクラブ。今思えばね。

そういう、ジャズがステイタスの代わりに使われている現状について、ジャズ評論家の面々も苦々しい思いで見ている、しょせん日本のジャズってそういうものかと。そういうジャズ評論家の話もどっかでみた覚えもあったような。

自分がジャズ・ヴォーカルというと、思い出すのは阿川泰子、綾戸智慧とか。しかしその辺は手が伸びることはなくて。どっちかというと異端であろう浅川マキが阿部薫に捧げた「あの男がピアノを弾いた」とか、山下洋輔や近藤等則やと一緒にやった。渋谷毅とやった「Good bye」とか。そっちに手が伸びますね。「Good bye」は名演・名唱だと思いました。あれはジャズ・ヴォーカルといっていいのか。バックはジャズ・ミュージシャンだけど。まあどっちでもいい(笑)。いいものはいいんだから。
浅川マキ「グッド・バイ」 Maki Asakawa: Good-bye (Fumio Itabashi / Maki Asakawa)