ジョン・コルトレーンが影響を受けたサックス奏者
⇒ジョニー・ホッジス
コルトレーンとジョニー・ホッジスについて語った動画をアップしました。
コメント
TAKESI0506さんからのコメント。
ジョニー・ホッジスについてはクリフォード・ブラウン同様、称賛の声ばかりで酷評する文章など見たことないですが、珍しいところでは名ミキサーとして知られた菅野沖彦さんが絶賛の文章を書いてます。
『ジョニー・ホッジスのソロによる「アイ・ガット・イット・バッド」。短いエリントンのピアノ・ソロのイントロに続いて、登場するジョニー・ホッジスのアルト・サックスのソロは、ほんの2分程の短い演奏なのだが、心気充実した名演で、凄まじいばかりの魂の燃焼の聴かれるものである。
きわめて美化された音楽的な昇華でありながら、そこには、いささかも黒人の雄叫びのエネルギーが希薄化されることはなく、リピートでは軽くフェイクしながらもストレイトにメロディを吹く毅然としたジョニー・ホッジスの姿がある。そのソロを助けるハリー・カネイのバリトン他のサックス・セクションの分厚いハーモニー、そして、クーティ・ウィリアムスやキャット・アンダーソン他のトランぺット・セクションとローレンス・ブラウン他のトロンボーン・セクションが一体となっての演奏の密度の高さは0.1秒の弛緩も許されないテンションと高揚のもたらす感動の世界であり、2分後には僕の顔が極限まで紅潮する思いのする演奏なのである。
アルバム・タイトルは「ザ・ポピュラー・デューク・エリントン」という、エリントンの有名な曲ばかりを11曲、作曲者兼演奏者として録音したレコードだ。メイジャー・レーベルのRCAだから〝ザーポピュラー……”というタイトルをつけたのだろうが、僕はいつも、このタイトルが気に入らないほど、このレコードの芸術的価値に心酔しているのである。1960年代半ばのステレオ録音である』このエリントンの「ポピュラー」というレコードは、「A列車で行こう」「パーティド」「ムード・インディゴ」「黒と茶の幻想」「ソリチュード「ソフィティケイテッド・レディ」「クレオール・ラブ・コール」といった過去のヒット作を再演した名盤で、エリントンのピアノ・ソロが多いのも特徴、音も良いので是非一聴をおすすめします。
ホッジスやカーネイをはじめとして、エリントン楽団に所属していたジャズマンが酷評されているレビューってあまり読んだ記憶ありませんので、それだけエリントンは優秀な奏者を擁していたのでしょうね。
『ポピュラー・エリントン』は、入門者に最適なアルバムですね。親しみやすいナンバーと演奏揃い。
私も最初にこれを聴いていれば、エリントンを敬遠していた時期がなかったかもしれません。
御駄賃取郎さんからのコメント。
90年代に急逝した、当時のSJの現役編集長だった故・村田文一氏の葬儀に参加させてもらったことがあった。
氏は大西順子を全力で世に送り出した人物のお一人でもあり、私はその、もの静かな風貌のなかに秘められた熱き情熱のフアンだった。その姿勢はかつて存在したジャズランド誌時代から変わらず、自分は大好きなお方であった。そして氏の葬儀会場で繰り返しながれていたのが、このアルバムの中の「インナセンチメンタルムード」だった。
エリントンのイントロといい、コルトレーンのやさしき音色といい、私の中にある村田氏のイメージそのものに感じられた。。そしてもう一つ葬儀の関係でのジャズの個人的に強烈な印象といえば、若き日にさかんに「喧嘩を売った」?相手の某ジャズ喫茶マスターの葬儀の出棺で、大音量で流れたアルバート・アイラーの「ゴースト」がある。これに呼応するかような霊柩車のクラクションの咆哮には涙が堰をきったようにあふれた。。参列された方のなかには驚かれた方も多かったと思うが、私には(これこそ、「聖者の行進!」だな!)と思えた。。
TAKESI0506さん⇒御駄賃取郎さん
村田編集長は99年に51歳で亡くなられましたが、スイングジャーナルでの追悼文は岩浪洋三さんが書いています。
『直前まで元気に仕事をしていたというだけに、その突然の死には大きなショックを受けたし、今も信じられないほどだ。
村田文一氏が本誌編集長になったのは1993年の夏だったが、実はそれ以前から別冊スイングジャーナルの『The Standard Songs』や『JAZZ名曲名盤』にはコントリビューティング・エディターとして名を連ねている。とくに「ジャズ歴史・スタイル事典」はほとんど、一人で丸ごと執筆しており、その適確なジャズ史の記述には感心させられたものだった。すでに「新伝承派ジャズ篇」はNew Standardと題されており、編集者として大切な時代を先取りするセンスを示している。ぼくは今もこの別冊を大いに参考にさせてもらっているが、彼はジャズ評論家としても立派な仕事をしていたのである。
これら別冊での仕事ぶりと人格が高く買われ、評論家・久保田二郎氏の推薦もあって、彼は93年8月号から本誌の編集長に就任し、編集者として傑出した才能を発揮した。彼の公明正大な精神と温厚な人柄はジャズ界の多くの人に愛されてきた。早稲田大学出身の彼は人脈も広く、それも大いに活用し、多彩な執筆者と取材で誌面を華やかにした。彼はジャズ界に対する大局的な見方とパソコンを駆使した詳細のデータにもとずく作業をたくみに両立させ、バランスのとれた理想的な編集長ぶりを見せてくれた。
彼のジャズに対する情熱は編集長になってからも変わらず、また、学生の頃ジャズ喫茶で没入してレコードを聴いた頃の初心も忘れることがなく、つねにジャズ・ファンの側に立って編集した。なかでも彼がもっとも愛したのはジョン・コルトレーンだった。ここ何号かのコルトレーン特集は、蘊蓄(うんちく)と熱情を傾けた彼ならではの入魂の企画と内容であった。
しかし、彼はこれで終らず、早くも今年生誕100年を迎えるデューク・エリントンの企画に向けて構想を練りつつあった。それだけに急逝は惜しまれてならないが、彼の名は本誌の名編集長の一人として、いつまでも忘れ去られることはないであろう』
Kawai Andyさんからのコメント。
さすがはエリントン、音楽を魅力的に成立させるために一歩引いて全体を眺めていたんですね、巨匠の余裕!
スタイルや音楽性は全く異なるのですが、パーカー以前のアルトサックスではホッジスは絶対王者ですね。
ホッジスのソロアルバムは色々ありますが、エリントンの「私の楽器は私のオーケストラである」の言葉通り、
ソロイストを生かした右腕、ストレイホーンのアレンジもあってやはりエリントンの元での演奏したものが
好きです。なんといってもエリントニアンが揃ったサウンドのブ厚さは凄いですね。
「ThePopular」、「HiFiエリントンUp Town」やベイシーとの共演盤「first time」で私はやられました。(笑)ww
TAKESI0506さんからのコメント。
スイングジャーナルの海外LP紹介は1958年から60年代にかけては岩浪洋三さんが担当してました。ハートマンとの共演盤は63年10月号で取り上げられてます。
『この組合わせにはちょっと驚いた。果してコルトレーンがこの歌手の伴奏に積極的だったかどうか疑問のような気もする。プロデューサー、ボブ・シールの趣味だろうか。何もハートマンの歌が悪いとは言わぬ。太い声でアル・ヒブラー的な美声で今どき珍らしいのんびりした歌を歌ってくれるが、何もコルトレーンが伴奏したからってよくなっているわけでもなし、コルトレーンの方もハートマンと共演したからどうってこともない。組合わせとしてはあまり必然性がないように思う。ハートマンは自分のペースで歌い、コルトレーンは自分のペースで吹いている。ただハートマンがコルトレーンを向うに廻わして、少しもおじけづかず堂々と歌っているところがよい。
つまり、日本だとすぐコルトレーンなどというとあこがれが先に立つが、そこが日本のジャズ・ファンの弱味で、そんなものはもたぬ方がよい。ハートマンはただ自分の仲間と気持よく共演しているに過ぎない。
6曲の中では「They Say it Wonderful」と「My one and Only Love」が印象的である。コルトレーンは「バラード」でみせたような円熟したバラード・プレイを聴かせる』
まあ仰る通りというか、この頃から岩波さんの主張は一貫していますね。
すなわち、コルトレーンの本質はバラードではなく激しい演奏にあり!
これを繰り返し様々な本や記事で主張されていましたね。
もちろん、私もその通りだと思っています。
というか、セシル・テイラーは小心者で手品のような演奏に騙されてはいけないと主張されていた岩波さんにはしばらく反感を持っていたのですが、コルトレーンに関しての見解は一致したので、これを機に岩浪さんの記事は、ちゃんと読む(?)ようになりましたw
Yuji Uchiikeさんからのコメント。
コルトレーンのバラードについても同じような事が言われていますが、管楽器奏者として、不調に感じる機材で吹きたくないのはむしろ長い音符を吹かざる得ないバラードではないか?と思う。音程、音色、むしろより集中が必要とされるのでは。
音程、音色、よりいっそうの集中……。
言われてみれば確かにその通りですよね。
まあ、コルトレーンはインタビューではマウスピースの不調で云々と語っているようですので、その時のコルトレーンの真意はどうだったのか、これはもう音源を聴きながら想像の翼をはばたかせるしかなさそうですね…。