1960年11月6日に録音された、トランぺッター、フレディ・ハバードのリーダー作『ゴーイン・アップ』を紹介しています。
コメント
大将さんからのコメント。
この動画を見て気になり、買ってみました!これは熱い!実際、ハンク・モブレイは遠洋漁業に連れていかれた感があります!ポール・チェンバースとフィリー・ジョー・ジョーンズは、自分としてはむしろ上品なイメージがあったんですが、雲さん仰るとおり荒くれですね。ジャズメッセンジャーズかと思うくらい濃いハードバップ臭がします!!
そうなんですよ、荒くれなんですよ、特にフィリー・ジョーは。
マイルス・デイヴィスは黄金のクインテット結成時は、多くの人から、へたくそなテナー(コルトレーン)と、うるさいドラマー(フィリージョー)を何で雇ったんだ?とよく言われていたそうですから。
べらんめえAORおやじさんからのコメント。
プラモデル好きなんですか。
小学生の時、クラスでタミヤの戦車のプラモデルが流行りました。
レオパルド、センチュリオン、チーフテン、タイガーワン、キングタイガー、T-34-85…..。懐かしい~。
懐かしい!
センチュリオン、チーフテン、タイガーⅠ、キングタイガー、T-34/85……
いやあ、あのテンション上がる戦車名の羅列。
特に最後の「/85」がイイですね。
もちろん全部作りました。
しかも3個作ったものもあります。
T-34/85もたぶん、3、4回作ってます。
しっかし、あの頃のタミヤは罪深いですよね。
あのそそるパッケージ。
小遣い貯めて、小遣い握りしめて模型屋さんに走ったものです。
チャーチル・クロコダイルと88mm砲が私にとっては贅沢品でしたw
で、今はというと、10数年ほど前から、「組む」より「塗る」ほうが楽しくなってしまいました。
作るよりも、塗装を試行錯誤することが楽しいんですね。
最近では「塗るために組んでいる」が正しいかもしれません。
以前の私は、プラモメーカーが指定する色どおり、ムラなく、均一に塗り、仕上げに汚すことが正解だと思ってました。
でも、ある時ふと気づいたんですよ。
「あれ? これ、言われた通りに塗っても“本物っぽく”ならなくないな」と。
理由は単純で、模型ってそもそも“見られている条件”が現実と違うんですよね。
実物の戦車は、何十メートル、何百メートルという距離で、太陽光や空気を介して見ている。
ところが模型は、机の上、蛍光灯やLEDの直下、しかも30cm前後の距離。
この時点で、もう「同じ色に見えるはずがない」。
そう、色って単体では存在しないんですよね。
明度、彩度、周囲の色、反射光、距離、空気中の粒子量……
人間って、そういう要素を脳が勝手に編集して「それっぽく」見ている。
だから模型に指定色をベタッと塗ると、逆に嘘っぽくなる。
これはスケールエフェクトの典型で、遠くの物体ほど彩度は落ち、コントラストは下がり、明度は上がる。
富士山が青く見えるのと同じ理屈ですね。
本当は赤茶色の岩や土だらけ、そして下の方は樹海の緑だらけなのに、距離と大気のフィルターで遠くから見れば青く見える。
でも模型には「距離」が存在しない。
だから、作り手がその距離を「捏造」してやらないといけない。
そこで随分前から「きれいに塗ろうという気持ち」を放棄しました。
もっとも綺麗に塗る技術もないんですが(笑)。
そのぶん下地作りに時間をかけるようになりました。
つや消し黒、マホガニー、ダークブラウン、ハル(ダル)レッド、そして時々メタリック。
これらの色をランダムに軽く吹く。一気に面塗りしない。覆い隠さない。むしろ残す。
この時点では、どう見ても汚いです。
でもそれでいい。
塗っては乾かし、乾かしては別の色を薄く乗せる。
狙った場所に当たらないことの方が多いけど、それもOK。
重要なのは、「均一にしない」こと。
均一に塗った瞬間、情報量が死ぬ。
これを繰り返しているうちに、下地の色が透けたり、重なったりして、
黒でも茶でもない、説明できない色が生まれてきます。
ここが一番楽しいところで、正直、この段階で塗装の8割は終わってる感覚です。
あとは表面色を「乗せる」だけですが、でも、ここでも完全には塗ろうとせずに、筆ムラをわざと残す。エアブラシの場合も隅から隅まで単一色で覆わない。つまり、下地を殺さないように、曖昧に塗ります。
人間の脳って不思議で、複数の色が微妙に混ざっていると、それを「情報量の多い物体」と認識するんですよね。
結果、「金属っぽい」「使い込まれてる」「重そう」という錯覚が生まれる。
これは完全に錯覚のデザインです。
さらに仕上げで油絵具を使います。
赤、青、黄色をほんの少し置いて、溶剤で伸ばす。全部は混ざらない。あえて混ぜない。
すると、塗膜の凹凸に色が残って、勝手に経年変化っぽい表情が出てくるんです。
「時間」の要素も、錯覚させる情報に混入させる試みです(うまくいってないので、まだ仮説の段階ですが)。
ここでも重要なのは「やりすぎない」こと。やりすぎると一気に嘘になりますから。
で、なんでこんなに長々と書いたのかというと、この感覚、ジャズの即興、それも初対面同士の楽器奏者同士た、せーの!でいきなり演奏するジャムセッションと似ているような気がするんですよね。
テーマとキーだけ決めて、あとは流れに任せる。
相手がどう出るか分からない。
自分も思った通りに弾けない。
でも、そのズレにどう反応するかが一番面白いんです。
模型も同じで、狙い通りにならない瞬間に、だいたい面白い表情が生まれるんですね。
だから私は、偶然を排除しません。むしろ楽しいます。トラブルも格好な脳味噌の「餌」となりますw
「偶然が起きやすい状況だけ整えて、あとは任せる」
この距離感が心地良い変態野郎です。
完璧主義だと、こういう遊びはできないと思います。
予定通りにいかないとストレスになるし、失敗が許せなくなる。
でも模型もジャズも、失敗しても誰も死なないですし。
むしろ「今日はこういう日だったな」で終われる。
だから楽しい。
イイカゲンですね……。
カッコよく言えば、私は「偶然と遊びたい」人で、「偶然と戯れる達人」を目指している人間なんだと思います。
地味だけど、これが案外、長く続く趣味のコツなのかもしれません。
このあたりの話は、もう少し整理して書いたものもあります。
よかったら暇つぶしにどうぞ。
https://cafemontmartre.tokyo/accidental_noise/
あと、最近はプラモの作成ペースが落ちてきていますが、作ったプラモの画像はこのURLにアップしています。
https://cafemontmartre.tokyo/gallery/
2019/11/08
