スタンダード・タイム vol.1
あり余るテクニックを、どう表出させるか。
どう抑制し、どう盛り上げるか。
小出しにしたり、一気にたたみ掛けたりと、演奏に対する眼差しと、それを実現できる力量の凄さ。
ウイントンの演奏には、常に演奏に対しての距離の置き方、いわばクールな眼差しのようなものを感じますが、特に『スタンダード・タイム vol.1』に関しては、ストーリーテリングのダイナミクスが小憎らしいほど完璧。
だからこそ、
「ハートがない」、
「ツルッとしている」、
「過去のジャズマンと違う違和感を感じる」などと、揶揄の対象にすらなってしまったウイントンなのかもしれないが、この受け止め方は世代によって異なるみたいですね。
私はウイントン出現後のジャズ聴きなので、さほど違和感は感じず、素直に「すげー!」と感じたクチ。
もちろん、古いジャズをたくさん聴いているうちに、古い世代のジャズ聴きが指摘するニュアンスも分かるようにもなってきました。
しかし、このアルバムだけは特別。
最初に聴いたウイントンのアルバムだからかもしれませんが、やはり、思い入れが強く、大好きなアルバムなのです。
《枯葉》をはじめとしたウイントンのスタンダードの解釈は、今聴いても最初に聴いたときの驚きと新鮮さを感じます。
と、まずは『スタンダード・タイム』をもとに、私のウィントン・マルサリス観を述べたうえで。
違和感
圧倒的にテクニックと構成力も有するトランペッター、ウィントン・マルサリスですが、彼がシーンに登場する前からジャズに親しんでいたジャズマニアの中には、ウィントンの演奏に「違和感」を感じる人もいるようです。
この「違和感」とは一体なんなのか?
中山康樹さん著の『ウィントン・マルサリスは本当にジャズを殺したのか?』に記された、彼の生い立ちを読むと、そこにヒントがありそうです。
そのことについて動画をアップしてみました。
コメント
視聴者さんからいただいたコメントを紹介します。
哀・縁斗2008さんからのコメント。
自分で作るとまずいって,水がまずいんじゃないですかねw ボルビックで作ると美味しいですよ.それか,プラシーボ効果.私はカルピスウォーターでカルピスを作るという贅沢をしています.
ウィントン・マルサリスは,スタンダードタイム第1集のキャラバンを聞いて「かっけーーー!」って思って好きになりましたが,本を読むと否定的な人多いんですよね…
やれ,アカデミックだとか,頭でっかちだとか,つまらないとか… これもプラシーボってことはないですかね? 50,60年代の演奏の中にウィントンの演奏をそっと入れておいても,ウィントンの演奏だけつまらないって,みんな思うんでしょうか?
「Live at the House of Tribes」とかすごくいいけどなぁ…
私も《キャラヴァン》聴いて、「おっ!」と身を乗り出したクチです。
『Live at the House of Tribes』も、観客の熱気がすごくていいですよね。
で、そのことを以前、中山康樹にお話ししたら、「あの観客の熱気、ほんとだと思う?」みたいなことを聞かれたことを思い出しました(汗)。
そのことに関しては、あまり深入りせず、会話が自然に別な話題に移ってしまいましたが、あの中山さんの問いかけ、今もって謎です。
そして、今はもう確認する術がないのが残念です……。
もつぁれらさんからのコメント。
マルサリスが出てきた当初に聴き始めましたがたとえば当時の新譜のハービーハンコックカルテットの油井さんの解説で「テクニックは完璧でアート・テイタム以来の傑物。私はすごく気に入ってる」とあったように特に違和感は感じませんでした。ジャズとは人それぞれでいいのでクラシックの観点からみても超絶技巧を振りかざすかのようなやり方でも好みは別としてそれはそれで良いのです。あとはトランペッターは技術がすごい人は他にもいろいろいますがマルサリスの肌触りの独特さはその時のレコードの性能を目一杯活かした演奏にあるのでは?と考えています。Think Of Oneなんか典型的ですかね。あそこまでダイナミックレンジを活用するのはそれまでいなかったように思います。
なるほど!勉強になりました!
yasさんからのコメント。
ウイントン・マルサリスの登場で、ジャズが妙にアカデミックなものになった気がしました。
若い彼が注目されればされるほど、現在進行形の音楽だと思っていたジャスが、一気に古典音楽になった印象を持ちました。
演奏に帯びるスピード感のようなものの違い、なんでしょうかね??
同じような感想をお持ちの方、けっこうたくさんいるようです。
re: baldさんからのコメント。
ライブ盤は案外好きです。ウィントンを辛うじてジャズたらしめているのはモネットの音色の気がします。
ブルース・アレイとか、私も大好きです。
kamaichi2002さんからのコメント。
ジジイですから、ボクもウィントンには違和感をおぼえてしまうのです。でも、その理由をいまだに論理化できません。困った困った…。
ところで、ウィントンは高校時代をコルトレーンのあの「カウントダウン」を完全にコピーしていたという(しかもトランペットで!)エピソードは本当なのでしょうか。
本当だとしたら「恐るべき子供」といわざるを得ません。
もしかしたらこれ(「偏差値秀才(笑)」をバカにする劣等生の感情)が違和感の源泉でしょうかねぇ?
「カウントダウン、ジャイアント・ステップ伝説」は本当のようですよ♪
Macahn Sakuraiさんからのコメント。
私もウイントン・マルサリスは苦手ですね。余りにも隙が無く洗練されすぎた音色とテクニックなので、まるでニニ・ロッソでも聴いているようで、聴いていて退屈で楽しさがみじんも感じられませんね。雲さんの説明を聞いていると、なるほどなと思います。
やはり、中山さんが主張されている、彼がデビューするまでの足跡が、肌触りの違いに大きな影響を及ぼしているんでしょうね。
ちなみに、私はウィントン出現後のジャズファンなので、違和感は感じないほうなんです。
むしろ、違和感を感じている人からのお話をいろいろ伺って、「どこがリー・モーガンやブラウニーとは違うんだろ?」なんて思いながら、必死に聴き比べをしているうちに、ようやっと「ニュアンスの違い」のようなものに気づいたというタコです(苦笑)。
ま、歌謡曲も、歌い方ひとつとっても今と昔では全然違いますからね。
ブラウニーとウィントンが活躍した時代の差は、山口百恵と中森明菜以上の開きがありますから、「違う」のは当然なのでしょうw
金田一金太郎さんからのコメント。
オーストラリアのジャズは面白く、オールドジャズの次にフリージャズが輸入されて、その間のジャズのカテゴリーがごっそりと抜けているそうです。だからこそオーストラリアジャズはガラパゴス化していてとても特異で好きです。北欧ジャズに肌触りは似ているんですけど、微妙に違います。
興味深いです。
文化間の交流or断絶ってけっこう我々が思っている以上の差があるのかもしれませんね。
では、ネット時代の現在は?
となると、まだわかりませんが……。
田村昌久さんからのコメント。
いつもありがとうございます🙇
関西人から見ても吉本ネタは、バッチリでした✌️
80年代頃からスイングジャーナルでウィントン・マルサリスなる新人を急に毎号のように取り上げだして 初めは ウィントン・ケリーの息子だと信じてました😅
そして私が見た 初来日公演が 確かハンビー、ロン、トニーのトリオにサンタナとの顔合わせのバンドに加入していたと思いますが、えらいテクニシャンで上手く鳴らす新人だと驚いたことを昨日のように覚えています😊
その頃の私は、同じく新人のチコ・フレーマンの私的大名盤スピリット・センシティブに魅了されていてさほど泥臭くないウィントンには あまり興味がわきませんでした😁
でも今の私のウィントン評は、マイルスと同様レコードとライヴでのプレイに大きな違いがあるプレイヤーだと思います。
レコードでは、完璧なものを目指すがために 過去のジャズマンにあった 伝統のくっさい汗臭さが感じられないのが 嫌いな理由だと思うのです😅
たぶん実際のウィントンの体臭も、あの体全体から湯気だして太鼓を叩いていたアート・ブレイキーやエルヴィン・ジョーンズの 鼻がもげそうな臭さが微塵も感じられなく ブルガリの香水なんかつけて いい香りがすると思いすよ😁しかし その反面 ライヴやジャムセッションでのウィントンは、かなりアグレッシブで強烈なインタープレイをするのでマイルスもそうであったように 同じタイプのプレイヤーだと私は、思っており 現存するジャズジャイアンツの一人だと信じています😌
いつも すんません🙇やっぱり マイルスから離れられませんわ😅
ありがとうございます!!
>関西人から見ても吉本ネタは、バッチリでした✌️
仰ってること、いちいちごもっともだと思います!
坂巻洋さんからのコメント。
🤠🎶🌸💙
🌸🎶💙🤠
Jさんからのコメント。
テクニック全面的で あまりブルースが 感じられず なにか擬似的なジャズ デジタルで緻密に作り上げたアナクロという感じしますね(チョッと言い過ぎかな(笑)) エリス マルサリス とか シダー ウォルトン なんかは ブルースそのものですよね J
人が感じるブルースって様々ですよね。
たぶん、これまで聴いてきた音楽経験によってずいぶん開きがあるように感じます。
坂巻洋さんからのコメント。
💛🌷☺️
💛💛💛
ペンギンちゃんさんからのコメント。
日本のフュ―ジョンから入った世代なのでマルサリスは洗練されていて好きです。 トランペット超初心者の時に a foggy day のテーマパートをコピーしました。 ちなみに今も初心者ですw
ウィントン好きな人は、スタンダードタイム好きな人多いですよね。
私も好きでした。
トランペットやってたらコピーしてたかもしれない♪
ごうかいこうさんからのコメント。
こんばんは~
ウィントン▪マルサリスが出てくる以前からジャズを聴いています。
率直に言いますと、音を出す技能と楽理は100点なのだろうけど、
「音楽」とは感じない。彼の音からは「俺は凄いんだ、聞かせてやるよ」というものしか感じなかった。
今現在に至るまで、色んな事をやって来ている様だけど、
結局、何のアイデンティティーも感じない。ここの兄弟は皆、若い内から講釈ばかり垂れていて、講釈以上のものが出来ていないから、ミュージシャン以前に、人間的な未熟さを感じますわ。
ブランフォードの「日本人はレコードにたよりすぎている」発言は、一時期物議を醸したようですね。
ま、兄のブランフォードのほうが、頑固な(頑固そうな?)弟と比べれば、身軽でさばけているような気もしますが。
ノエルNoelさんからのコメント。
ブランフォードの方がフレーズとか音色とか含めて黒さがあって好きです。
上手いけど、カッコイイと思えるかどうかは別の話なので
そこがウィントンいまいち刺さらないって人が多い理由なんじゃないですかね。
同感です。
>ブランフォードの方がフレーズとか音色とか含めて黒さがあって好きです。
『トリオ・ジーピー』や『クレイジー・ピープル・ミュージック』なんかは、遊び心あっていいですよね。
Kawai Andyさんからのコメント。
高いテクニックゆえに、クリーン過ぎてヤバさを感じさせてくれない。私が多くのJazzに感じるごった煮感、何が起こるのか判らない闇鍋的?(笑)を求めるには明快過ぎて(予定調和的?)余りゾクゾクしないのです、表現の内容にとってはテクニックが必要な音楽もある事も解りますが、偉大な先人の音楽性を顧みるに、何を表現したのかが大事だと思う。モンクやミンガス、サッチモ、コルトレーン、マイルス、ドルフィー・・・忘れようにも忘れられない強烈で個性的な何度も聴きたくなるサウンドを聴いて感動してきた古いマニアが違和感を感じているのは、彼の音楽に対する個人的(マニアの)評価と社会的(マスコミ等)な評価の齟齬かもしれない。
今や世界で当たり前になったブラックミュージックのHipHopについてもどう考えているのでしょう。個人的希望として、彼には現代の音楽を大胆に取り入れたものもやって欲しい、レディオ・ヘッドをやるブラッド・メルドーやグラスパーみたいに(多分やらないか)。今までのアメリカ社会での評価はそれはそれで良いと思うし、日本の一個人のこう云った感じ方もあるのです。
すごく大切なことを的確にサラリと述べられていることに感動!
↓
偉大な先人の音楽性を顧みると何を表現したのかが大事だと思う。
モンクやミンガス、サッチモ、コルトレーン、マイルス、ドルフィー・・・忘れようにも忘れられない強烈で個性的なサウンドを聴いてきた古いマニアが違和感を感じているのは、彼の音楽に対する個人(マニア)の評価と社会的(マスコミ等)な評価の 齟齬 かもしれない。
花野夏さんからのコメント。
『ウィントン・マルサリス』の反対語は『セロニアス・モンク』だと思います。
なるほど〜!
さらに花野夏さん。
ウィントン・マルサリスはセロニアス・モンクのピアノのようには吹けないし、セロニアス・モンクはウィントン・マルサリスのトランペットのようには弾かないと思います。前者はcan not、後者はdo not。若干、こじつけ気味ではありますが(笑)。
うまい!!
花野夏さんからの返信。
😆
くまが集う喫茶店さんからのコメント。
今さっきウイントンのCDを
買ったばかりです。
(^o^;(笑)好きですよ。
ずっとアルバムを集めています。
(^^)僕の今までの経験から言うと
ジャズだけに留まらず、
ロックやフュージョン等、
色んな音楽を聴く人は
ウイントンを抵抗なく楽しめる
みたいです。
あ、それはあるかもしません。
>色んな音楽を聴く人は
>ウイントンを抵抗なく楽しめる
>みたいです。
ひるあんどんさんからのコメント。
ブルースでいうと丁度ロバートクレイみたいなもんなのかと。世代の隔絶。オリジンと比べれば上手いけどつまんない。白々しくて嘘臭い。90年代初め頃の三部作?はリアルタイムで直接購入して聴きましたが…結局鼻に付きました(^ω^)
ロバートクレイ、なるほどなるほど、その喩えわかります。
ジャンル問わず、時代過ぎれば隔絶感というか、先人が汗水垂らして敷設したレールの上をすいすい器用に運転していく感って、やっぱり感じられるものなのかもしれませんね。
もちろん、それがいいって人もいるけど。
特撮でいえば、やっぱり私は昔のウルトラマンや仮面ライダーのほうがスッキリすべすべで、武器やアイテムだらけな今風のウルトラマンや仮面ライダーよりは好きですが、それに似た感じなのかもしれませんね。
もちろん、最近のライダーやウルトラマンが好きという人のほうが多いかもしれませんがw
Tube Youさんからのコメント。
聴き専の人と楽器を演奏する人で評価が全然違うような気がします。
あと世代もあるでしょうか。
自分はウィントンの演奏好きですけどねblack codesとか。
所謂ジャズ喫茶のオヤジどもが取り敢えず嫌っているというイメージです。
ま、イメージ的にはそんな感じかもしれませんね。
『ブラック・コーズ』、私も好きで、一時期はけっこう夢中になって聴いていたことがあります。
いくざかたびすさんからのコメント。
jazzの演奏家だとわかると思うのですが
Bebopのコンセプトの中であそこまで色々な可能性を提示できるトランペッターは見たことがありません。
bebopは小さなフレーズを組み合わせてアドリブがそもそもできています。
bebopはフレージングでコードを説明できるものなので着陸する音や強拍にコードの要である3度や7度、コードトーンが乗っていることが多く聞いてる側は安定しているように聞こえます。
それはbebopができる人からすると、とても高度な技術と理解できるのですが
素人さんからすると表面的な派手さはないのでjazzの技巧と携わっていない人つまりは雰囲気上だけでしか音楽を聴けていないリスナーの方は彼の凄さは理解できないと思います。あと、マイルスがやっている音楽の仕組みは4thインターバルビルドという4度積みの和音や分数コードを多用しトーナリティーもよくわからないように曲自体が作られていますし
いわゆる3rdがない和音を多用していてコードのキャラクターをほかしてあります。
なので不安定ですしその分色々な自由度は増すのですがbebopの世界の自由とはまた違います。
ウィントンの音楽はトーナリティーがあり調性引力がある音楽構造ですのでインプロビゼーションもマイルスとウィントンマルサリスは言語が違うので比べること自体がお門違いです。
例えるならば、お蕎麦とラーメンのどちらのほうがおいしいかを論じている答えがないレベルの低い話です。
詳しい解説ありがとうございます。
>言語が違う
なるほど、まさにおっしゃる通りですね。
そこが、ある種マイルスの浮遊感というか、安定しきっていないところが、様々なスタイルのリズムやハーモニーに適応できた秘密だと私も考えています。
とはいえ、それが逆にパーカーともろビバップやっている時に感じる微妙な違和感にもつながるのかなとも思います。
いくざかたびすさんからのコメント。
あとウィントンに限らず、やって楽しい音楽と聴いて楽しい音楽が違うケースは音楽家内ではよく出る話でウィントンがアースウィンドファイアーが好きなのも別になんとも思いません。
私もなんとも別に思いません(あくまで、本に記されていた「ルーツ」を引用しているだけなので、私自身が珍しいと思っているわけではないので誤解なきよう)。
むしろ、今の時代はジャンルの越境が当たり前というか、ガチガチジャズのみという環境で育つことのほうがむしろ難しいと思います。
ピアニストのジェフ・キーザーなんかは、趣味でヘヴィメタ・バンドやってますし、同じくピアニストの西山瞳さんにいたっては、ヘビメタアルバム出したりもしていますからねw
大田市代官山動物園Aveさんからのコメント。
なるほど、違和感or断絶感を抱く人もいるのですね。自分の中で Wynton は、Jazz Fusion, Jazz Funk として捉えていました。
なるほど!
Miki Nanaseさんからのコメント。
彼のバロックへの憧憬を鑑みるに自身をJazzに捧げるというよりそのうえの音楽そのものに捧げてるという感じがします。
マイルスは「なんであいつは古いJazzばっかりやってるんだ?」とのたまわったそうですが、マイルスには彼がやってることが理解できなかったのでしょう。
かなり批評的に古いJazzスタイルのアルバムを総覧的に出し続けてるポジションも古いJazzファンには気に障るところでしょう。
ワタシはクラシックやロックも聴くのでマルサリスの孤高さ加減はとっても好ましく思えます。
Jazzという音楽スタイルの良さはこういうところだよ、と批評的に教えてくれてる気さえしますね。超絶技巧、という意味ではクラシックにセルゲイ・ナカリヤコフSergei Nakariakovというペッターと双璧じゃないでしょうか。
勉強になります!
クラシックはほとんど知識ないので。
Yellow Sexy Monkセクシー和尚さんからのコメント。
カルピスとブラックニッカの配分から入って「ウィントンマルサリスの違和感」というタイトル付けのセンス。安らぎの贅沢な時間に感謝。
嬉しいコメント、ありがとうございます。
御駄賃取郎さんからのコメント。
マルサリスは日本でもアメリカでも「最もCDが売れない有名人」として著名である。なぜか?私が思うにSJの売り出し方が大失敗したと思う。「ジャズの次代を担う天才新人現る!」とぶちあげ1年以上にわたり「二宮尊徳伝」?
をくりひろげた。これにフアンは猛反発を感じた。(てやんでえ!若造がよお!おめえのあたらしジャズなんざいらねえやいっ!」自分もそう感じた。直前までのブレイキーバンドでは好感もたれていたのにジャーナリズムにあおられて本人が勘違いしていったのだ。(ちなみに大西順子もコレに近い)(ちなみに大西順子の評価でSJにさからったイーグルの後藤さんはエライ!)SJは過去こうして(笛吹けど兵おどらず)という失敗をくりかえしてきた。
しかし「無心に吹きまくるマルサリスはやはりすごい!・・ジャズに未来はないのでもっとシンプルにふきまくってくれ!
その当時のジャズ雑誌は読んでいませんでしたが(まだジャズ聴く前だった)、なるほど、送り手はかなりイケイケで盛り上げていたわりには、受け手側(リスナー)は、そういう雰囲気だったのですな。
ヤミーカ トモッピさんからのコメント。
音楽の刷新性を理解出来ないと、旧弊するという典型ですね
ウィントンの音楽も聴き込むとちゃんと深いブルースがあります
高度な演奏技術の奥に、単なるブルースにしか聴こえなくなる面もあります
聴こえてこないのは、表面的な音面に囚われて浅くしか理解できていないんでしょう二十年ほど前の話
原朋直さんのライブに別の会場で演奏を終えたウィントンとバンドのメンバーがやってきて、そこらへんの若手も交えて朝までセッション
ウィントンがペットを置いて、その場にいた皆が、あぁそろそろ終わりなんだなと思ったのだけど、ウィントンはピアノに座ってスローブルースを弾いたそうです
原さんにはもの凄いブルースフィーリングを感じたそうです
わたしはこの記事を読んで
「やっぱりね」
と思いました違和感は当然ですよね
それが個性ですから
しかしそれを違和感とするのは、ウィントンの音楽の本質が理解できない限界だと考えてみては?
マイルスも出てきた時は、このような古臭い評論を受けていたそうですね
同様の論理を使い回す人はけっこう多いですよね
膨らみのない意見の裏打ちを、他者の文章に借りるやり方をする人も
それが悪いわけではありませんけど
コメント有難う御座います。今後もご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。
山川川山さんからのコメント。
アメリカの電子掲示板で議論を見たことがあるんですけど、マルサリス弟さんの音楽作品に対する批判はそんなになくて、彼がジャズの権威かのように振る舞うのが嫌だとかそんな感じでした。
情報ありがとうございます。
日本だけでなく、本国アメリカでも、彼の「態度」を嫌う人が一定数はいるんですね~。
飛田野正人さんからのコメント。
日本人はマイルスが大好きで、日本のジャズ評論家とは「マイルス評論家」なんじゃないかと思ってしまいました。
では何故、日本人はマイルスが好きなのでしょうか。まあ、愚見ではありますが、日本人はマイルスに「禅」を感じたのではないかと。
なかなか興味深い考察かもしれません♪
伊藤哲朗さんからのコメント。
「New OrleansでJazzが聞けなかった」という評論家の話がありましたが、それは多分フレンチクォーター(観光スポット)でのことを話していると思いますが、Jazz Clubなら、フレンチクォーターの中でも外でも結構見つけられるはずです。「Preservation Hallがしょぼかった」という話もありましたが、それは観光用に昔のまま保存(preserve)しているからです。私は、アメリカの伝統音楽が好きで、ジャズフェスティバル(New Orleans Jazz & Heritage Festival)を見に、これまでNew Orleans を2度訪れました。フェスティバルで一番感動したのは、地元の黒人の高校生のブラスバンドで、「彼らにはNew Orleans Jazzの血が脈々と流れている」と感じました。私は、ガチガチのJazz Fanではありませんが、Wyntonの音楽を聴くようになったのは、彼の演奏に、生まれ育って、無意識的にせよ影響を受けた、New Orleans Jazzのフレーバーを感じたからです。違和感を感じる方が多いのは、その泥臭さから来るのでしょうか?
そうだったんですか。リアルな現地情報ありがとうございます。
であれば、「当時のニューオリンズにはジャズが(あまりorほとんど)流れてなかった」という著者の前提が変わり、その後の論の展開がまったく変わってきちゃいますね(汗)。
同じ土地でも、行く人、見る人、足を踏み入れる場所が異なると、ずいぶんと違った風景、印象になってしまうのだなと思いました。
伊藤哲朗さんからの返信。
人気のあるJazz Clubは、開店前からお客さんが行列を作っていますよ。
そうなんですか。
本から得たイメージとは全然違う……(涙)。
伊藤哲朗さんからのコメント。
ロックやR&Bが大音量で聴こえてくるので、ジャズだけを期待して行くと、ビックリするかもです。まあフレンチクォーターは、飲屋街なので、いいんじゃないでしょうか。
良さげですね!
さきほど、観光ガイドのサイトでフレンチクォーターを検索してみてみましたが、行ってみたくなりました。
伊藤哲朗さんからの返信。
是非行って下さい。お勧めは、New Orleans Jazz & Heritage Festivalの頃、日本のゴールデンウィークの頃(今頃)です。郊外の競馬場が会場になります。フレンチクォーターから送迎バスが出ています。会場では、ジャンルごとに演奏会場が分かれていて、自分の聞きたいジャンルやバンドをパンフレットで調べて行きます。地元の料理の屋台もいっぱい出ているので、ピクニック気分で楽しめます。私は、地元の黒人の高校生のブラスバンドの演奏に、心を揺さぶられました。夜は、フレンチクォーターのJazz Clubやバーの雰囲気をenjoy 下さい。値段も安いと思います。New Orleansにいかなかったら、Wynton にも興味を持っていなかったと思います。
情報ありがとうございます!
いつか行ってみます。
Nyankichi Ichigoさんからのコメント。
周りがジャズ環境に囲まれて育つジャズマンなんていないんじゃない?あのあたりから、、、。マルサリスに違和感を感じる人は松丸契なんかどう思うのかね。60年以上のジャズファン。
とくめいくんからのコメント。
友人にウィントンを聴かせた事がありました。
彼は、感覚がクラッシックの人でした。
ドラムスが聴こえてこないのでしょう。
JAZZを聴く時も変なノリ方でした。
ハードロックギターをやってましたが、それこそクラッシックのように本人と全く同じように弾けるようにする。アドリブは、、
できない。そもそもその感覚がないし、わからない。で、彼のウィントンへの感想は意外なものでした。
なんで、そんなものをきかせんだ、とキレました。
テクニックのひけらかしに
聴こえたようです。
だって、君もギターで超絶技巧やっねたよねw彼曰く、JAZZトランペットは少し、へ、た、
に聴こえるほうがいいのだとか( ⊙⊙)!!なんだろね
きっと、トランペットには
そんなヤバさというか、
魅力があるんでしょうか。ギターはジミヘンのように
弾け!と言う人いますけど
ある意味わかるもんなー
興味深いですね~。
矛盾しているようで、その方の気持ち、私、なんとなくわかるんですよ。
「暗黙に求めてるもの」があるんでしょうね。
たとえば、私の場合、ブルース(B.B.キングとかマディ・ウォーターズなどのギター&ヴォーカルのミュージシャンが括られているジャンルです)のギタリストが、マイナー・コンバージョン・メソッドをフル活用して正確な粒立ちで弾きまくっていたら、「うーん、なんか違うよなぁ」と思ってしまうと思います。それに似た感覚なのかもしれませんね。
あああさんからのコメント。
僕はウィントンマルサリスが世界一のトランペッターだと思ってたのですが、あまり好きではない人もいるんですね。自分はまだ高校生でトランペッターについてまだ勉強中なのですが、ウィルトンの技術力が圧倒的世界一だと思います。
高橋レモンさんからのコメント。
好きなの聴けばいい
kouzmo10さんからのコメント。
ウイントンマルサリスとの出会いは雑誌ぴあの懸賞で当たったブラックコーズというレコードです。
確かに当時トランペッターの友人の評価はよろしくなかったですね。雑誌の批評もそうだったような気がしますがもう覚えていません。
テクニックは完璧だけど云々というものです。フィールが違うのでしょう。
私はと言いますと大好きです。楽器はギターでロック、フュージョン、ジャズという変遷だったのも関係あるのかもしれません。
ジャズ界隈で評価の分かれる作品などは私の好みである場合があります。ビルエヴァンスのアフィニティーもそうだったように思います。
当初は物議を醸しても時代が下ってから聴き始めた人にとっては普通に聞こえるのはオーネットコールマンのフリージャスもそうではないかと思います。
『ブラック・コーズ』は素晴らしいアルバムですよね。
最初はピンとこなかったのですが、聴けば聴くほど、凄いことが行われているのだとだんだん気付くようになり、今となっては、アルバムの数か所では鳥肌が立つほど高次元な瞬間が訪れるほどとなっていますw
habusanseiさんからのコメント。
マイルスデービス以前と以後という感じで見てもわかるように、進化するジャズという形容と同時に、ジャズと黒人音楽という観点で聴いてみると「一流ミュージシャンであっても、音楽の一歩外に出ると同じホテルにも同じレストランにも入れない」この部分をやはり考えるべきである。音楽そのものには人種問題や歴史など考慮せずに音楽にみを聞けばよい、というのであれば、この「ウィントン・マルサリスに感じる違和感」なるものを消化できないままであろう。ウィントンの音楽性の背景には同時にアフリカ系アメリカ人の歴史が脈々とあり、それゆえにそれを意識するウィントンが、それまでジャズの奥底に押し隠していた隠されてきた黒人の音楽表現が表に出てきたのである。だからと言って、これまでの伝統的なジャズのスタイルを否定したわけでもなく、むしろ敬意をもって表現しているのだ。Portrait of Louis Armstrong をビッグバンドで伝道師のように演奏するウィントンの涙を見た時の底知れぬ感情の深さを聞くと、その意味が分かる気がするのだ。だから、ウィントンがジャズを殺したなんてことを、外野が騒ごうが、ウィントンは行進し続けるのである。
yoshonori oguraさんからのコメント。
マルサリス一家には違和感しかありません、一応買ったけど売りました(=^ェ^=)
あちゃぁ〜!(=^ェ^=)
>一応買ったけど売りました(=^ェ^=)
マヌルTV @ 南大沢さんからのコメント。
お父さん、家庭にジャズを持ち込まないタイプだったのか
😆
2020年9月25日 22:02